古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

堂ヶ島への旅

2011-06-05 | 旅行
 3日~4日、D社のOB会の旅行で、伊豆堂ヶ島温泉に出かけました。

 総勢60人くらい。バス(2台)旅行でした。

バスが静岡県に入った時「ここから浜松市。浜松は日本第二の大きな面積の市です。第一の大きな市は岐阜県高山市」とバスガイドが言う。確かに小生の郷里の隣村まで浜松市に合併したから面積は大きい。子供の頃の印象では「浜松は海の傍の町」だったが、猪の徘徊する山村まで浜松市になってしまった。 

 日本平のSAを過ぎた辺りでしょうか、ガイドさん「右に富士山の山頂が見えます」と教えてくれた。新幹線で富士山が海側に見える場所があったが、東名でもそうした場所があるのだ。沼津で東名を下りてレストラン。ここで、関東から来た仲間と合流する。この後、伊豆長岡方面に。韮山の江川太郎左衛門の造った反射炉を見学する。この辺り「伊豆の国市」というらしい。その後ホテルに向かうのだが、「伊豆市」に入る。「伊豆の国市」と「伊豆市」があるからややこしい。

西伊豆町のD温泉ホテルに着いたのは、予定通り4時ごろ、最初、会議室で1時間ほどOB会の総会。労組からの来賓挨拶で、組合の副委員長が挨拶しました。

「私は両親ともにD社に勤めていました。ですから、家族の立場から見たD社について語りたいと思います。子供の頃、毎年、会社の創立記念日にカステラを貰ってきてくれました。子供心にこれが楽しみでした。それから年末に板チョコを労組が斡旋してくれたと大きな板チョコを1枚丸々親から渡されました。・・・」

 小生、二つのことに感慨無量でした。

 一つは、自分の同僚の子供がもう労組の役員をやっている!いかに自分は年をとったか!ということです。

 もう一つは、嘗て、日本の会社は、単に経済的組織としてだけなく、家族の機能の、少なくとも一部を代行する存在であったと思う。だが、できるだけ派遣労働者を使うような昨今の「会社」にそうした役割を期待することは出来ないだろう。人間は経済的組織に属するだけで安住は得られない。昔、村社会や家庭が持っていた人を安住させるしくみは、社会の近代化に伴い、企業が負担するようになったが、グローバル化に伴い、企業はその負担から逃れるようになった。では、日本の社会において人はいかなる社会に帰属することで安住を得られるのか?グローバル化に熱心だった政治家・経済学者に聞いてみたい。



 4日は8時半出発、ホテルの近くの乗船場で遊覧船に乗り、湾内の洞窟めぐりを楽しんだ。その後、天城トンネルなどおなじみのルートを通り、伊豆市湯ヶ島の浄蓮の滝を目指す。11時に着いたが、「20分の休憩です。滝は25m下ですから、時間的に滝の傍までは無理と思います」。ガイドは言ったが、滝の傍までくだり5分。5分間見物、わさびのアイスクリームを頂き、また5分で登り、戻った。

 大仁のレストランで昼食。1時帰途につく。三島駅で関東勢を下ろし、焼津の海産物買い物センターで土産を仕入れ、あとは高速に乗る。豊田辺りの渋滞で30分の遅れはあったが、無事帰宅しました。