古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

なごやマスターズ2011

2011-06-06 | 水泳
なごやマスターズ水泳大会の報告です。

 5日、9時に家を出て日本碍子プールに向かいました。10時前会場に着き、受付で選手名簿と、例年どおり参加賞の大きなバスタオル。しかしタオルは「出来れば東日本震災に寄付をお願いできないでしょうか」というので、即、差し出しました。

 早速、ロビーに座り、名簿を点検。100mバタフライ1組の組み合わせを見る。6コースが小生。隣の5コースはSATOH KENさん(75歳区分)、その隣の5コースはOHSAKIさん(65歳区分)だ。お二人ともバタのスペッシャリストで有名、今日の優勝は内定です。お二人の隣で泳げるなんて光栄だ。今日は小生70歳区分になります(名古屋マスターズは実年齢ですから74歳)。1組は皆65歳以上だが、70歳区分は私の他に出場者がいない。反則を取られずに最後まで泳げば3年連続の一位です。着替えしてサブプールに行き、100mを平で5本泳いで、アップを終え、観覧席に上がり見学しながら、出番を待ちました。

 女子の背泳のすんだところで、11時35分、水着になって選手控え室に行きました。

 まだ時間がかなりありそう、選手召集所の近くに行くと「NOZUEさん」と女性から声をかけられた。「ITOHです」という。アァ、小生のブログの愛読者だ。

 「もぅ泳がれたのですか?」「えぇクロールとバックを泳ぎました。バタですか?」と言う。

 「えぇ、何回も泳いでいるんだけど、スタート台に立つと普段25mプールでしか泳がないから、50m先がはるか遠く感じられて、あんな遠くまで泳いで帰ってこられるかな?って不安になりますよ」「でも、100mに挑戦されるのはスゴイですね」。

 次にあったのは、HANAI先輩。控え室に坐っていたら見えた。体がぬれているので「今泳がれた?平泳ぎを泳がれたの?もぅクロールはやめたの?」

「クロールはもぅキツクなって、平だ」

 いつもの例だと、ここで「あんたいくつになった?若いなぁ、オレより10歳も若い」というのだが、今日は違っていた。

「お互い年取ったなぁ」。懐旧談をはじめた。「あんたと初めて会ったときはコムスの5階のプールだった(15~19年前)。あんたセビロで来た(会社の帰り)から「この人現役なんだ」と思った!」。最後は「オレ、いつお迎えが来ても思い残すことない」。85歳まで水泳大会で泳ぐ人生なら思い残すことないかも?

 SATOHさんが来た。

「お久しぶりですネ」と声をかけたら、「あんた遠くまで行ったんだナ」「神戸ですか」「うん、俺インターネットで見たヨ」。インターネットって、ずいぶん普及したんですね。

 召集所に行くと、IIDAさんがいた。55歳区分200mクロール、200個人メドレーの日本記録保持者です。今日はバタフライに挑戦するようで、次の2組の5コースを泳ぐ。手を上げて挨拶。

 12時半過ぎ、スタート台に上がった。両足の親指を台の先端にかけ、飛び込みの姿勢、5m先の水面を見つめ心を静める。笛で飛び込む。冷たい!(水温は27.5度)、もう不安など考える暇はない。ひたすら前へ前へ。50mターン、2掻き1呼吸が続く。75m過ぎで少しキツク感じられたが、無事にフィニッシュ。2分28秒64だった。今の実力からいえばこんなところか、納得。

 次の組が飛び込んでから上がって、しばらくIIDAさんの泳ぎを見ていた。1分15秒で泳いだ。日本記録ではないが、さすが!

 サブプールで100m5本泳いでから上がった。

ロビーでおにぎりの弁当を広げ、腹ごしらえを済ませた。速報の掲示を見て記録を確認してから、記録証と1位の商品(紺色のSPEEDO水泳キャップ)を受け取る。去年の賞品は白の水泳キャップだった。

 午後の50mレースが1時半始まったが、曇り空で降ってきそうなので、帰ることにした。2時過ぎ帰宅、3年間のなごやマスターズ記録をチェックしました。

 2009年 2分16秒39(1位)

 2010年 2分25秒80(1位)

 2011年 2分28秒64(1位)

年をとったことが歴然とする記録です。