古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

小牧をウオーキング

2015-03-28 | 旅行
 3月27日、住宅のシニアクラブで、ウオーキングに出掛けました。行先は小牧城です。
9時半集合。男子3名、女子6名の9人が9時半出発、名城公園駅から地下鉄で平安通り乗り換え名鉄前小牧駅に10時20分着きました。
 駅前で出迎えてくれたのは、名古屋コーチンの像です。

名古屋コーチンは、名古屋でつくられたように思えますが、実は小牧の人が開発し、ここに「名古屋コーチン発祥の地」の記念碑があります。
駅前のきれいな大通りを北へ。西源寺という寺があった。ここで左折。
10日前に下見に来た。小牧城が見えるのでその方向にまっすぐ歩いたら登り道の偉く険しい道に入ってしまった。聞いてみると、南のアピタ側から登るのが大手筋だと言うので南に回り込むことにしたのです。
二筋で県道197号線(小牧・春日井)、右へ回るとメナード美術館があった。度々見に来たことがある。日本が名作展をやっていたが今日はパスした。
http://museum.menard.co.jp/
翁橋をわたると小牧城への入り口だ。道幅は広いが坂道だ。シニアにはきつい坂なので。ゆっくりゆっくり上る。
「Sさんが“きついからここで待ってるとといってるよ」
「お城から反対側に降りるから、ここには戻ってこないよ」
Sさんが来た
「大丈夫?」、「歩きます。木陰に入ってくると歩こうという気がおきてくる」
40分も歩くと、木陰に小牧城の天守が見えた。
 城は「小巻歴史館」になっていて、発掘された土器が陳列してあったり、小牧の歴史の説明が書いてある。4階は展望室になっていて周囲が遠くまでよく見える。
名古屋在住の実業家平松氏(故人)が私費を投じて建設し小牧市に寄贈したもの。鉄筋コンキウリート造、高さ19.3m、4Fの展望室は約14m、(標高100m)。設計は名工大の城戸久教授、昭和43年竣工。
小牧城というと、信長が岐阜に移る前に、美濃攻めの一時的拠点として作られたと考えられていたが、近年の発掘調査によると、石垣の規模は壮大で、とても一時的な構築ではなく、信長は小牧が交通の幼少であることから、本格的な城下町を構築する考えであったらしい・
4Fの展望室からはお天気が良かったので御嶽山がかすんで見られた。
帰りは北東の駐車場側、警察署前に降りることにする。途中タブの樹、この地にはあまりないが、なぜか小牧山には自生しているので「小牧の市の樹」に指定されている。




山麓は公園になっていて、梅がきれいだったが、桜はまだ蕾。桜樹の下に早くも花見の予約の札が置かれていた。
「4月5日、××社」」など
警察署前から北へ。200mほどで、割烹料理の店「錦」があった。みんなでランチを賞味した。

小一時間、おしゃべりと食事。
変えることにする。店の前の道を左に25分ほどで小牧駅に戻る。
名鉄、地下鉄で3時帰宅。隣の教会の桜が咲き誇り、春がすっかり住宅を覆いつくしていました。



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