古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ヒトラーとケイズ(3)

2011-02-10 | 経済と世相
 勿論、この制度はドイツが世界大戦で敗れたため、世界的に採用されることはなかった。イラク戦争でフセインは処刑されたが、米国が開戦に踏み切った背景には、フセインが石油の決済をドルでなくユーロで行おうとしたことがあると私は考える。世界の金融システムは戦争に訴えても争われる問題なのだ。

面白い挿話がある。ケインズは1940年11月、情報省からある要請を受けた。ナチスの「欧州新経済秩序」に対して、経済学者の視点から批判してほしい、というものだった。イギリス情報省は、「自由貿易と金本位制のほうが優れていることを示し、「欧州新経済秩序」を否定してくれ」とケインズに頼んだのだ。

「明らかに私は、戦前の金本位制の美点や長所を説くにふさわしい人間ではありません。私の意見では、ドイツの放送から引用した部分のおよそ4分の3は、もしその中のドイツとか枢軸という言葉を、場合に応じてイギリスという言葉に置き換えるならば、またく優れたものになるでしょう。フンク案を額面どおりに受け取るならば、それは優れたもので、まさにわれわれ自身がその実現に努力すべきものであります」ケインズの返信です。

1944年にアメリカのブレトン・ウッズで開催されたブレトン・ウッズ会議に、ケインズはイギリス代表として参加することになる。

ケインズは、この会議のため、新しい国際金融システム案を用意していた。ケインズの国際金融システム案は、実はナチスの「欧州新経済秩序」と似た点がかなり多いのだ。その骨子は

1. 各国の決済は中央銀行が一括して行う。各国の貿易業者同士、民間銀行同士が独自に決済しない。

2. 金で決済を行わず、バンコールという国際決済のための通貨を使う。

3. 各国は輸出と輸入の均衡を図る義務がある。

4. 国際間の資本の移動は規制する。

 残念ながらケインズ案は破れ、ブレトン・ウッズ協定では、ドルを今後の世界経済の基軸通貨とすることが定められた。



ヒトラーはケインズに学んだのであろうか。

時系列で言うと、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』は1936年に発表された。ナチスの公共事業政策は1933年である。この点について、筆者は、ケインズは1924年にすでに、失業救済のために大規模な公共事業を行うべき、という論文を発表しており、ヒトラーの帷幕には、シャハト(ドイツ帝国銀行総裁、経済相)という経済担当の知恵者がいた。だから彼らは、ケインズの理論に学ぶことができた筈、と説明する。

 しかし、私は逆ではないか、と思う。ケインズがヒトラーの政策およびドイツの経済を見て、彼の理論を体系化したのではないかと。

ケインズは、人類史上5本の指に入る経済学者と思うのですが、マルクスであれスミスであれ、著名な経済学者の理論というものは、彼らの生きた時代のある国の経済社会を分析することで、完成出来た。ケインズとて、例外でない。現実の社会を分析することで、ケインズ理論は生まれた。その現実の社会とは、ナチスドイツであった?と考えます。

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