古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ヒトラーとケイズ(2)

2011-02-09 | 経済と世相

これには世界が仰天した。

他のヨーロッパ諸国は、世界大恐慌以降、金兌換の停止を行っていた。しかし、それはあくまで一時的なものであり、金融の混乱が回復すれば金本位制に復帰するつもりだったのだ。

ヒトラーは通貨に関して、次のようなことを側近に語っている。

「国民にカネを与えるのは、単に紙幣を刷ればいい問題である。大切なのは、作られた紙幣に見合うだけの物資を労働者が生産しているかどうかということである」

そもそも金本位制は緻密な経済理論に基づき、計画的に設計されたものではない。イギリスが金本位制を採用した(1816年)ために、なし崩し的に各国が採用したに過ぎないのだ。

金本位制が当初は国際経済の中でうまく機能していたのは、それが「イギリスの黄金時代」にかさなっていたからである。当時はイギリスが圧倒的に世界の金を所有していた。

イギリスは・・・世界中から物品を輸入する。そのため、イギリスの金は世界中にばら撒かれる。その一方で、イギリスは、世界の工場として工業製品を世界中に売りまくる。その代金として金が入ってくる。世界一の経済大国が、ダイナミックに輸出と輸入をする。このような循環があって、初めて国際的な金本位制は機能していた。



 1940年、ナチスは、「欧州新経済秩序」という経済計画を発表した。ドイツ経済相シャハトの後任のフンクが計画したもの。「欧州新経済秩序」とは、ヨーロッパの通過を統一して金本位制から脱し、ヨーロッパ域内のヒト、モノ、カネの移動を自由にする。つまりヨーロッパを一つの経済圏にするという計画である。

当時、ドイツはすでにフランス、オランダ、ベルギーなどを降服させており、西ヨーロッパの大半をその勢力圏に収めていた。その勢力圏をそのまま一つの経済圏にしてしまおうというのが、この「欧州新経済秩序」という計画だった。

このことは連合国側、特に英米にとっては衝撃的な内容だった。この計画が成功すれば、英米ともに、完全に世界経済の中心から外されることになる。その主な内容は・・

1. アウトバーンをヨーロッパ中に拡大する。

2. 金本位制に頼らない新しい金融制度。

3. ベルリンに世界銀行を作る。

4. 英米にかかわらないでやっていける経済システムにする。

 2の新しい金融制度の例を見よう。

ナチスが中南米や東欧諸国などと結んだ為替清算協定というのは、次のような仕組みで貿易の決済が行われるものだった。

 協定を締結した両当事国は中央銀行に相手国中央銀行名義の自国通貨建て清算勘定を開設し、輸入業者は相手国から輸入したとき、その代金はこの清算勘定に支払う。輸出業者は、この清算勘定から残高の範囲内で、自国通貨の支払いを受ける。双方の国がこの操作を行い、輸入と輸出の残高はそのまま残される。残された残高は、翌年の貿易の清算に当てられる。また双方の国は、残高が突出しないよう調整しあう。だいたいの場合、ドイツの輸入超過になっていることが多かったので、差額は特別マルク(ドイツとの支払いにのみ使える)で支払われた。・・つづく

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