古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

北の湖の句碑も見たウオーキング

2015-11-23 | 旅行

22日もウオーキングでした。地下鉄主催の「駅ちかウオーキング」です。地下鉄堀田駅④出口を9:25出発。伝馬町東でまずは亀足山(きそくざん)正覚寺。今日はご本尊の阿弥陀如来を特別公開でした。

お寺を参拝した後、宮の渡し公園です。
ここから船が出ていた。



聞くと「国際会議場迄行きます。500円です。」
名古屋学院大学のネーム入り上着を羽織った学生のボランチアです。国際会議場の南に、名古屋学院大学のキャンパスがある。大学周辺のウオーキングだから学校のPRでボランテイアをつとめているらしい。
「この船に乗ればゴールまでラクチンだ」と思ったが、やはり真面目に歩こう。
このところ、左足裏が痛い。もっと鍛えなくてはいけないのだ。
 聖徳寺というお寺に出た。解説のパンフを頂いたので見ると、「その昔、須賀浦に住む漁夫が沖に出て網を打っていて仏像が掛り船に引き上げ持ち帰り村人に見せた所、聖徳太子の像に違いないとして太子堂を建立し祀った。古くから熱田の漁夫達の信仰を集め、第二次世界大戦で寺が戦災にあった時も、本堂や太子堂が燃え盛る炎の中に入り、阿弥陀如来、聖徳太子、延命地蔵を救い出した。その時聖徳太子像はバラバラに剝れ左袖の矧目に「元弘(鎌倉末期)3年9月3日重兼」の刻名が見いだされ作成年代が明らかになった。高さ90センチの寄木造で、父用明天皇の病気平癒を祈念している太子16歳の孝養の像。
阿弥陀如来坐像も藤原末期のものと思われ、近世の補修で漆箔を二度加えられているという。
 当寺は七里の渡しの常夜灯とも関係が深く、寛永2年犬山城主成瀬正虎が太子堂の西に常夜灯を建立、港の安泰を祈念んさせた。
なお聖徳太子像は昭和29年愛知県で最初の文化財に指定された」。今日は阿弥陀様も太子像も特別公開で見学できた。
 寺を出て堀川沿いに歩くと白鳥橋の東に出た。
熱田神宮の方向に歩くと、神宮の東に本遠寺という日蓮宗のお寺があった。ここも特別公開で、書院に上がることが出来た。ここの旧書院は清洲城の書院であったが、空襲で焼け、昭和29年新書院として復元された。ふすまの書は立正大学教授野村無象の筆。

庭に人だかりがあるので覗き込むと横綱北の湖の句碑があった。
「うん ほんまに横綱になったんや 母ちゃん」とある。21歳で横綱になった時、北海道の母に送った書のようだ。碑の前にある石を抱えて足腰を鍛えたとのこと。
面白いことにここにはお稲荷さんも祀っている。
西へ歩き、御陵橋を渡ると白鳥庭園がある、今日は無料公開だった。

庭園を出て北へ回り込むと名古屋学院だ。


国際会議場の南を回り再度堀川河畔に出た。北へ曲がると宮の渡からくる船の乗り場。もう7.5㎞は歩いた。本調子でない左足の足裏が痛むので、「船で来れば楽だった」と再度思った。記念橋を渡ると、熱田神宮公園。断夫山古墳近くで「古墳マルシェ」と題して市場が開かれていた。ここがゴール。
12時半、3時間のウオーキングで9㎞ちかく歩いたであろうか。

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