古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

小沢問題を考える

2010-02-25 | 経済と世相
小沢幹事長について、15日夕刊で、哲学者の梅原猛さんが寄稿していました。
【今から16~17年前、私はこの欄で「小沢一郎と宮沢賢治」というエッセイを書いた。
当時、小沢一郎氏は新政党を結成し・・・
 それより少し前、私は小沢氏の故郷の岩手・水沢市で講演をした。小沢氏はこれからの日本人ははっきりと自己の主張を持ち、「千万人といえどもわれゆかん」の気概を持たねばならないとしばしば語っていた。それは、日本人が独立自尊の人間にならねば日本の近代化は不可能であるという福沢諭吉の主張の現代版であり、私も彼のその主張には100%賛成であった。
 私はその講演で、「小沢氏の主張に共感するが、小沢氏には要望もある。それは、小沢氏に同郷の宮沢賢治の作品を読んでもらいたいということである。賢治には、生きとし生きるものを救うためには自分の命も捧げるという慈悲の思想があり、豪腕の小沢氏が賢治の心を学んだならば大政治家になれるに違いない」と語ると、満場大喝采であった。
 それからしばらくして私は、環境に悪影響を与える長良川河口堰の建設を中止してほしいと小沢氏に陳情に行った。それに対する小沢氏の態度はけんもほろろであったが、私は帰り際、彼に宮沢賢治の本を読むように勧めた。その後、この欄で私が書いたエッセイに次のような文章が含まれていた。
<小沢氏との会談を終えた帰りに私の口を出た言葉は「アンファン・テリブル(恐るべき子供)」であった。たしかに小沢氏は恐るべき政治家であった。人間がいかにして権力を獲得し、それを保持することができるかということについて、小沢氏ほど精通した政治家はおそらくあるまい。
 しかしその反面、彼は情操面において十分に大人になりきっていないという感を持たざるを得なかった。
 そのエッセイが掲載されてまもなく小沢氏から手紙が届いた。そこには国の研究所の長たるものがこのような特定の政治化を批判するエッセイを書くとはまことにけしからんが、この件について話し合いたいから東京に来て欲しいという趣旨のことが書かれていた。・・・会いにも行かず、返事も出さなかった。
 今回の政治資金をめぐる事件で小沢氏は不起訴処分になったが・・・彼が私の勧めに従って賢治の心を学んでいたならば、このようなことにならなかったのではなかろうか。】

 小沢さんの件、私は政治資金の法律が問題だと思っています。
小沢さんの金にまつわる話は、決して誉められた話ではない。しかし、不起訴になったことを見ても、法的に罰することは難しい。なぜなら、政治資金規正法は、小沢さんが中心になって制定した法律で、自分たちが処罰されないように法律を決めているからです(税法により脱税を見つければ別ですが)。穴だらけの法律です(規制法でなく規正法であることにご注意)。
 ですから、根本解決には、企業献金を禁止するように法律を改正しなければいけない。
でも、政治にカネがかかるのは現実ですから、個人献金を奨励する制度を作る必要がある。たとえば一定限度の政治資金寄付は税額控除する(代わりに現在の政党交付金は廃止)など。
 検察にも問題があります。こんな法律で処罰できるなら、議員の殆ど(少なくとも有力者と言われる議員は)が処罰できる。だから、検察の気に入らない議員だけ、恣意的に控訴できることになります。