古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

「年次改革要望書」

2010-02-16 | 経済と世相
「拒否できない日本」(文春新書)で知られるノンフィクシヨン作家の関岡英之さんが、VOICE1月号にこんな文を寄せていました。面白い話でしたので、その“さわり”を紹介します。
 【ところで、2009年の「年次改革要望書」はどうなったのか?外務省も、米国大使館も、公式サイトで何の説明もしていない。
 そもそも「年次改革要望書」は1993年7月の宮沢・クリントン日米首脳会談で成立した「日米包括経済協議」という政府間合意を根拠として、翌1994年11月、村山政権下で初の「要望書」が取り交わされて以来、2008年までの15年間一度も途切れることなく公表されてきた。それはわが国において「構造改革」を推し進める、知られざるメカニズムになってきた。
 このメカニズムが経世された宮沢政権末期から村山政権にいたる時期に大蔵省の財務官として対米交渉の最高責任者だった中平幸典氏は、2009年9月23日、最初の鳩山・オバマ首脳会談が行われたその日に自宅マンシヨンから転落死している。
 宮沢・クリントンの「日米包括経済協議」は、1997年6月の橋本・クリントン日米首脳会談で「強化されたイニシアテイブ」に改組された。これが橋本政権の「6大改革」、なかでも金融ビッグバンの原案となった。
 2001年は米国で政権交替があった。・・民主党が下野して共和党のブッシュ政権が成立した。その年の4月、わが国では小泉政権が誕生した。6月にワシントンのキャンプ・デービッドで行われた初の小泉・ブッシュ日米首脳会談で「成長のための日米経済パートナーシップ」という政府間合意が成立した。
 これを根拠として「年次改革要望書」の推進母体たる「規制改革および競争政策イニシアテイブ」と「日米投資イニシアテイブ」が設置され、小泉政権が推進した「聖域なき構造改革」、なかでも郵政民営化、司法制度改革、独占禁止法改正などに決定的な影響を及ぼした。
 その後、わが国では首相の交代が相次いだが、米国との間では新たな政府間合意は形成されず、安倍・福田・麻生の歴代政権下では、小泉・ブッシュの「成長のための日米経済パートナーシップ」がそのまま継承された。こうした経緯は、日米関係に関する正史ではまず取り上げられることはなかった。ジャーナリズムもアカデミズムも奇妙な沈黙を守ってきた。だが、すべて外務省の公式サイトに記載され、2005年通常国会では与野党の国会議員が国会質疑の場で取り上げているれっきとした公的事実である。
 2009年、奇しくも日米両国で政権交代が成立した。これまで8年間継続されてきた小泉・ブッシュの「成長のための日米経済パートナーシップ」は廃止されるのか、あるいは刷新されたうえで継承されるのか。・・・
 村山内閣以来15年間、わが国の国政に少なからぬ影響を及ぼしてきた「年次改革要望書」は、このまま何の説明もなく、総括も検証もなく、歴史の闇に葬り去られるのか。(2009.11.28)