Life in America ~JAPAN編

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「硫黄島からの手紙」

2007-02-23 11:13:56 | movie
昨日からずっと、Dedeとの議論を思い返していた。

マイケルさんは奥様のダイアンとともに大の日本通であり、私などが言うのもおこがましいが親しくさせていただいているいい友人のひとりでもある。行ったことも生活したこともないくせに、エラソーな批評ばかりならべる学者さまとも大違いな、立派な人だ。それは百も承知している。
しかし問題は、彼の指摘が正しいかどうかではないのだ。
私の心のもやもやは、心の奥底にふつふつと眠っていた「所詮、味噌もクソも一緒なアメリカ人に日本の何がわかる?」というかなり過激な感情から沸いてくるものなのだ。
戦争でコテンパンにやられて価値観を根底から覆され、必死で這い上がった日本人の魂を誰が知るものか、と。
誰に言われるより、本土を焼き尽くされた経験のない人たちに言われることに無性に腹が立つのだ。
こんなことを言ってしまう私は、いけない人間なのだろうか・・・。

そんな思いからというわけでもないが、「Letters From Iwo Jima (硫黄からの手紙)」を見に行った。前から早く見なければと思っていたが、今週はPちゃんがシカゴに行って留守なのをいいことに近くの映画館に走りこんだ。平日の夕方にもかかわらず、映画館はほぼ満員。

見ている間中、胸の奥のほうからずんっと重く熱いものがこみあげてきて止まらない、そんな映画だった。
「硫黄島を日米両方からの視線で語りたい」というクリント・イーストウッドの想いが、多くを語らず凝縮されているように感じた。コアを共有したあとは、各々の俳優に任せる・・彼の信頼度に真のディレクターを見た気がした。「サムライ」をあほみたいにハリウッド仕立てにした「ラスト・サムライ」とは両極をいく映画だ。彼の知性にリスペクトしたい。

しかし反面、そんな私の想いとは裏腹な観客の心無い反応が気になってしかたなかった。
「そこ、笑うところやないやろ!」という場面で大きな笑いが起こったり、逆に変なところで悲鳴が起こったりするのだ。
例えば、赤紙を渡された西郷(二宮クン)に「ご出征おめでとうございます」と隣組のご婦人が告げるシーン。「Conratulations. You will go to the war.」という英訳もいかがなものかと思うけれど、どっと笑いが起こる。“おめでとう”と言わざるをえない女たちの気持ちのひだなど感じるすべもない。
さらに、勇ましく特攻を試みた兵士が無数の死体とともに夜を明かすうちに死に切れず生き残ってしまい、ついには生きて捕虜になってしまう。その彼の間抜けともいえる悲しい姿にも笑いが起こる。“生き残ってしまった”彼の心の葛藤などとうていわかるはずもない。(私はもう、ただ泣いていた。)
かと思えば、空爆でかわいがっていた馬が死んでしまうシーンでは、「Oh, No...」という悲鳴のような声が起こるのだ。

分かり合うということは、難しいことなのか。
どうか映画を見た方、ご意見をいただきたく。




Comments (2)
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