津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■読み解きたい文書

2021-04-16 06:45:20 | オークション

      細川忠利書状 掛軸 細川忠興・ガラシャの子 初代熊本藩主 古文書 消息 花押状 戦国大名 戦国武将

 

 非常に興味深い文書が登場した。書き出しの「采女様」とは何方であろうか。忠利時代交流のある人物で心安く「采女様」と読んでいるのは、豊後府内藩主にして長崎奉行も務めた竹中重義であろうか
采女は長崎奉行時代の密貿易が幕府に知られるところとなり、寛永十年には罷免され、後には切腹を仰せつかっている。
違うかと思いよくよく紙面を眺めて居ると、上段中央のやや左寄りに「淺采女殿」と見える。
浅野長政の三男・長重だ。ウイキペディアによると、慶長五年(1600)采女正に叙任されている。細川家は浅野家とも非常に懇意である。
忠利が越中守を名乗るのが元和八年(1622)十二月であり、長重は寛永九年(1632)に亡くなっているので、その間約10年の間の書状であるが、日付に「閏八月」とある。
10年のあいだで八月が閏月になるのは、元和九年しかない。元和九年閏八月十三日の書状であることが判る。
これはこの文書を読むにあたり、大きなヒントになる事だろう。
        
 宛名の加々山主馬(可政1,000石)はよくわかるが、左の人物は何方だろうか(冨田?)
興味深い文書だが、随分高値になるのではないか? 年金爺には到底太刀打ちできそうにないから、早々に撤退することにして、ただ、なんとか全文読み下してみたいものだと思っている。
                             

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■子供らの水浴びと小堀邸跡 | トップ | ■沼田家記2・延之様御一代諸... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿