津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■幽齋女婿「木下延俊慶長日記」

2024-08-10 15:54:24 | ご挨拶

 細川幽齋の娘・加賀の婿が日出藩主・木下延俊である。延俊が自ら書いたものではないが、慶長十八年一年間の延俊の詳しい行動が見て取れる。
この年延俊は正月を江戸で迎えたが、2月に至り帰国のお許しを得ると京都へ上り、しばらくは京すまいをし、叔母(父・木下家定妹)である高台院(豊臣秀吉室ねね)などとの交流が見られる。8月末には京都を離れ日出へ帰国している。
日記の内容を見ると翌年に迫る冬の陣の気配などはみじんも見受けられない。
この時期、室・加賀はこの世の人ではないが三人の娘の内の二女・於豊(おぶん)が京都に居り、高台院が親しく接している。当時10歳位だとされる。
高台院は延俊の娘一人くらいは京都に置きたいと希望し、於豊は後に北野松梅院に嫁がせている。
長女(於岩)三女(於栗)は日出にあってしばらくぶりに父をむかえた。

 慶長十八年の六月十六日の記録には「今日程熱き事ハなく候」とあるが、グレゴリオ歴によると8月2日であり、ちょうど今の時期である。それでも大徳寺に出かけたりして精力的に活動している。
この延俊日記には、細川家関係の記述がたくさん登場する。わが「細川家歴史年表」に反映させようと、該当記事を引っ張り出してご紹介しようと思う。乞うご期待。

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■夏痩せと食事

2024-08-10 06:58:21 | ご挨拶

 熊本の猛暑日は先月の22日からで、もう20日にもなる。クーラー入れっぱなしの部屋で過ごしているが、どうも食事が進まない。勢い夏痩せと相成った。
生来の面倒くさがり屋の私だから、毎食の食事を作るのが大変億劫で、少々食事が偏っている。店屋物ばかりだとカロリー過多にもなるし、何か自分で作れないかと試行錯誤する毎日である。
味噌汁くらいは何とかなるだろうと作ってみると、味噌が多すぎて下限を見ながら水を足したりして、それでも何とか出来上がる。
朝は「御飯+味噌汁+梅干し(その他諸々)」もしくは「トースト+ハムエッグ+コーヒー」といった按配である。
昨日のお昼は夏の定番「冷素麵」、これは茹でるばかりだから今後何度も登場することだろう。
今日も大いに暑そうだが、夕方には夕食のおかずの調達と、お盆の仏壇の花を買いに出かけねばならない。
妻が入院してから25日になる。女性の毎日の仕事が大いに大変だという事を実感しながら、何とかなるものだと思いながら過ごす毎日である。

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