まんもく なび はき
「二百十日の風と雨と煙りは 満目の草を埋め尽くして、一丁先は 靡く姿さえ、 判然と見えぬようになった。」
夏目漱石の「二百十日」の書き出しである。
余りにも毎日暑いので少々不謹慎だが、台風十号のおこぼれを頂戴して熊本にも少々雨が欲しいと思ったりしていたら、その不謹慎が祟ったのか向きを
変えて九州上陸、熊本通過の公算が大きくなった。
今の子供さんたちは「二百十日」等という言葉も、ひょっとするとご存知ないかもしれないが、私らが子供の時にはこの時期になるとやや構えたものだった。
TVもなかった時代、ラジオから流れる台風情報を聞いたものだが、これは予防にも何もなりはせず、気が付いたときにはあちらこちら被害が出ているという
ような状態だった。
そもそも台風という言葉は、明治の末に気象台によって使われ始めた気象用語である。
それまでは「大風」などと表現していたのだろうが、「野分」という優雅な言葉がある。
阿蘇のススキが原を風が自在に走り廻る様は、まさに「野分」という言葉がふさわしいと思えるが、木が倒れ屋根が吹き飛び家が倒壊する様などは、そんな
優雅な言葉で一からげにはできないように思える。言葉の限界だろう。
二百十日とは立春を起算日としているから、ほぼ9月1日前後となるが、今年は8月31日になるようだ。
気配りの台風10号は速度を緩めながら、まさに二百十日に合わせるかのようにやってきた。
熊本は30日に通貨予定だが、雨も風も被害が出ないようにほどほどにしてお通り願いたいものだ。
二百十日は俳句の世界では「厄日」ともいう。熊本を題材にした大島民部という方の句がある。
をかぼ
火の国の厄日過ぎたる陸稲の香
コメ不足と云われる中、こちらも被害が出ないように大いに願いたいものだ。