昨日返却が遅れた本を返しに県立図書館に出かけて、この辺りを散策した。
下の写真の右手、地図ではマークした場所の下(北側)に「ぞうさん滑り台」がある水深がひざ丈程の天然プール(水場)があり、夏になると子供たちの嬌声が聞こえる。
昨日はここに遊ぶ人はいなかったが、左手の川の中で、小学生の高学年らしい男女六七人が泳いで居るのにびっくりしてしまった。
昨日は気温も20度にはなっていなかったのではないか?。この場所はまさに私が子供のころ遊んでいた場所そのものである。
子供は元気だ。水着というわけでもないが、裸で泳いで居る猛者も居る。
証拠写真を撮ろうかと思ったが、いろいろうるさいご時世だからこれは控えることにした。
通りがかったご婦人が「見たばかりで震え上がる」と言っておられたが・・同感。
上の地図にマークした場所を南から写しているが下の写真で、林の中がかっての細川家家臣・小堀家の屋敷跡である。
母方の祖母の実父の兄弟のほとんどが透水術・小堀流の師範を勤めていた。
このとんでもないでかい屋敷に祖母の従姉妹たちが住んで居たので、幼いころ二三度あそびに出かけたことを覚えている。
屋敷の北側に溶岩流の谷間が有り、ここから綺麗な湧き水が流れ出ていて、川舟がもやってあった。
写真でもわかるように西側には、樹々がうっそうとしているが、相当な年代物である。
そして、私が水遊びに興じた場所の東の崖上がこの小堀の屋敷であるが、子供のころは全く気付かなかった。
現在体育館がある当りに、かって日本一といわれた酒精(アルコール)工場があって、その排水で江津湖の一部はドロドロになってしまったが、大正二年に此の江津湖で遊んだ徳富蘆花もその現実に遭遇して眉をしかめている。
排水の落し口が何処であったのか、私はよく理解していない。少なくとも私が遊んでいた場所は、いつもきれいな水であった。
幼いころの思い出は、誠にかけがえない物であり、この豊かな自然の恵みが壊されることなく未来につながってほしいと思う。
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