津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「木下延俊慶長日記」と細川家(5-了)

2024-09-02 08:45:42 | ご挨拶

慶長十八年
   十月一日:朝の五つ時分、小倉(忠興居城)より御状共参り申候。
     五日:八つ時分ニ内記さまより御状参り候。
     六日:中津より御返事参り候。
     七日:越中さまへ柿を遣はされ候。五十参り候。
     十六日:長前兵へヲ、長中務殿(細川孝之)ノ御向えニ遣はされ候。
     十七日:次太夫(小倉より)罷り帰り申候。越中殿一段御機嫌の由申候。
     十八日:小倉へ飛脚遣晴候。右近(松井)殿、民部(松下)殿、圓齋へ御状を遣はされ候。
     十九日:小倉へ飛脚を遣はされ候。
     廿六日:今日は細内記さまへ御鷹を遣はされ候。
   十一月
     朔日:外記(延俊弟)さまへ内記さまより参り候状を遣はされ候。夜ノ四つ時分ニ小倉より飛脚参り候。
        江戸御普請のふれ状参り申候。則ち御返事を遣はされ候。
     二日:小倉への御状を遊ばされ、御使者ニ■分太兵衛を遣はされ候。
     十三日:中津より大しゃくの御鳥参り候。小倉より御鷹の鳥ごいさぎ三つ、かも五つ、うづら六十六、さんか貮つ参り申候。
        則ちご返事を成され候。
     十五日:天キよく候也。三番鳥二日出を御立ち成され、中津へ日の入り二御着成され候。日暮候て、御城へ御出に成られ、
        夜半過ぎ二御宿へ御帰りに成られ候。内記さまよりははだぎ(肌着)を遣はされ候。
     十六日:天キよく候。中津より細内記殿ト御同道成され候。(中略)頓て小倉へ御付き候て御風呂へ御入り候也。
        其の後、越中殿に御相ひ候也。
     十七日:天キよく候。越中殿たか野へ御出候、則ち殿様も御出候也。
     十八日:早朝二越中殿御すきに相成され候。御たかも参り候。昼過ぎ二又城へ御上り申候。
     十九日:圓齋処へ越中殿御出候。則ち殿様も御座候。其の後御鷹野二御出候。
         晩二越中殿ト御すき二御座候
     廿日、早朝二小倉ヲ御立ち候て、中津ニ御とまり候。(松井)右近御鷹を上せ申候。中津ニて内記さま御鷹進上成され候。
         風呂も御座候
     廿一日:朝六つ時分二中津を御立ち成され、内記さま御同道成され(中略)。御城へ夜ニ入り五つ過ぎニ御帰り成され候。
     廿三日:小倉へ二郎介を遣はされ候。右近(松井)かたへほそうつぼ、くまのあをりを遣はされ候。
         越中殿へ御鷹のうづら貮十遣はされ候。
     廿四日:小倉より(木下家江戸不振の手伝い)御普請千石と申し来り候。
     廿六日:四つ時分二中津へ飛脚を遣はされ候。
     廿八日:与右衛門小倉より帰り申候。二郎介ももどり申候。内記さまより犬を引きて参り候。

   十二月
     一日:内記さまより御鷹の鴨、きじ参り候。則ち御返事を成され候。
     二日:織部(松井)、三郎右衛門所へ、御鷹の鳥の御状を遣はされ候。
     四日:内記さまへ御鷹の鶉の御状を遣はされ候。
     八日:今朝小倉へ飛脚を遣はされ候。晩ニ中津より御高の鳥参り候。
     九日:小倉へ人を遣はされ候。
     十日:松井織部ニ御茶湯を成され候。
     十一日:松井織部かたより御礼ニ人ヲ遣はされ申候。
     十二日:中津へはやぶさを遣はされ候。
     十四日:中津へ飛脚を遣はされ候。又中津へ遣はされ候山五郎罷り帰り候。
     十七日:中津へも御矢百、御文も遣はされ候。
     十八日:中津より御返事参り候(中略)長中務(孝之)殿へくり矢を遣はされ候。
     廿二日:松(井)式部殿より飛脚参り候。夜ニ入り中津より御状参り候。
     廿八日:二郎介中津より帰り候。内記さま長二郎と申す小小姓、腹を切り申候由咄し候。

                     (了)

 日出から中津までは約42㌔ほどだとされる。歩行にて1日の距離、中津から小倉までは約54㌔ほど、そんな距離を隔てた、木下延俊と義兄の細川忠興、甥にあたる細川忠利との誠に頻繁で親しい交流ぶりが見て取れる。
翌年は細川家・木下家共に江戸城普請に忙しくなるが、大阪の陣が勃発する気配が感じられる時期であろう。
     

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