津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■松井分家(古城家)・三渕家・郡家の複雑な養子話

2017-03-26 09:39:38 | 歴史

 先日のブログ「■定彦さん、順養子なるか」を書く中で、上妻文庫の「肥後風刺文学」中にある記事のことが頭をよぎった。
それがこの記事だが「定彦さん」とは少々時代が異なるが、全く関係ないとも言えない。
細川家血縁のお宅の縁組に関わる複雑さが透けて見える。
この記事の内容は、郡織衛の二男・衛三郎が松井家の分家の松井典禮の養子になっていたが、典禮の死後は典禮家は、衛三郎が居るにもかかわらず松井土岐に相続せられ、「衛三郎は侮られた」というのである。土岐は松井本家七代豊之の末弟である。
土岐の実兄直武も養子で郡家の三代当主、郡衛三郎の父親である。土岐と衛三郎は「叔父・甥」の間柄となる。
そこで落書が出回った。
     四千石(松井家の家禄)ゑ さむらうとはきょくもなや じつにまつゐ(松井)の とき(土岐)もあらふに 
そして松井家で「侮られた」衛三郎は又々三渕志津摩の養子にせられた。
松井家は四千石だが三渕家は五千石である。「被仰付」とあるから、衛三郎の養子先の変更には藩主(重賢)の意向が働いている。

松井家は忠興公の末子・寄之が興長の養子となって、細川家の別家のような存在である。典禮は分家(古城家)の二代目である。
三渕家は幽齋公室・麝香夫人の実家、郡家は三渕家の分家筋である。

五千石三渕家の養嗣子となった衛三郎は家督未相続のまま21歳で亡くなっている。 

 

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