津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「古今肥後見聞雑記」にみる五家荘(五ケ庄)のこと

2014-10-17 15:16:45 | 史料

                                  Go-Kanosho.jpg 歌川広重 六十余州名所図会【肥後・五ヶの庄】

 細川藩士・寺本直廉著による「古今肥後見聞雑記」から、五ケ庄(熊本県八代市)に関する記事の抜粋を御紹介する。
実はある方のリクエストに応えていろいろ調べている内に、この資料の存在を思い出し取り急ぎ読み下しをしたものである。
左座氏等についてはこの資料とは異なり、菅原道真の子孫であるとする説が有力であるが、その事をお含みおきお読みいただきたい。 

 

                        一、五ケ庄の事聞書左之通 天明二年十二月六日五ケ庄久連子の八郎
                                          兵衛と云老六十七歳咄覚書也

                          五ケ庄ハ八代郡の内にて五人の頭有て五ツに分ル 所謂雑座(左座)・仁田

                          尾・モミ木・椎原・久連子也 雑座ハ入口にして久連子ハ真の端也 雑

                          座領の口に境より久連子の端迄十五里程有て雑座の人家

                          より久連子の人家迄ハ八里程有り 其内所々に人家あれと

                          も山半ふくにて一所に家居なり難く所々に人家二三軒或ハ四五

                          軒又六七軒宛有て切々に住居す 人家至て多き所十四五軒

                          程有て雑座領分六里四方程有之由皆山谷にて平原

                          少し 當時雑座に居住の雑座中務親は大蔵といふ 當時

                          隠居にて七十余歳なり 此中務先祖ハ平知盛の二男知

                          時より続たる家系也 中務兄ハ周防といふ 是ハ前宅にて作な

                          と致居候由豊丸中務幼名兄なれとも下腹の子故跡に不立 又

                          外に兄あり合志郡弘生村緒方九郎兵衛方ニ参り裏の方

                          に家を建住居し子供ニ手習なと教居候 雑座久門といふも

                           兄弟なれとも故有て五ケ庄を追放せしと云 また藤崎

                          宮神護寺ニ居候圓宿坊といふも同兄弟ニ而下腹の子なり 右

                          大蔵子供都而十八人程有之由 右中務居宅す雑座の谷割

                          といふ所也

                        一、田尾と云所ハ當時緒方杢之進居住也 是は平家郎

                          等の家筋にて上総の五郎兵衛か家筋也

                        一、モミ木と云所ハ當時緒方金吾居住此家筋も平家の郎
                                   盛次
                          等越中次郎兵衛か子孫也と云

                        一、同椎原と云所は當時緒方蔵人居住是も平家郎等の

                          末にて飛弾四郎景家か末葉也と云

                        一、同久連子と云所ハ當時緒方美濃居住是ハ平の重盛の

                          三男清経の末葉也 此美濃親ハ大膳と云 當時勝手向宜
                 
                          敷ハ此美濃也 其次ハ仁田尾の杢之進方也と云傳ふ 平家没

                           落に及び右乃人々落下暫く豊後の緒方三郎か許に滞
    
                          留す此時緒方か娘とき姫を清経の妾として所々さまよひ日向國
                                    
                          耳川の邊より耳川といふ所ニ來り 夫より山賊強盗廿年

                          家の人々を伴ひ五ケ庄に連來と云傳ふ 右とき姫五ケ庄に連来り

                          今や山に墓有と云 五ケ庄に引籠候ハ文治元年三月下旬

                          也といふ 今に於て家傳の品あり 鎧チキレタリ 太刀長さ五尺斗り赤地ニ金ノ

                          蝶ヲ付タリ 此品々銘々の家に置すして三王社の地に小堂ヲ構

                          へ常に秘し封し入置と云々

                          三王社三月廿三日・廿四日祭といふ 右傳来之家宝の品々

                          祭の節と六月土用干の節にて入物の蓋を開く由

                        一、矢部の奥に屋敷か原と云所の口に宮あり 平ノ重盛の

                          墓と云て五ケ庄之者三月に参詣すと云へり

                        一、五ケ庄にてハ安徳天皇入海の日祭と云々

                        一、五ケ庄七十五軒は同氏の末流にて皆一家也といへり

                        一、五ケ庄に引籠る平家より今に至数十代の墓は皆山にあり

                          野石に銘を切て有といふ

                        一、眞宗菴二ケ所あり熊本順正寺末菴ナリ 庵 文字不知善應 正法菴

                        一、五ケ庄久連子ハ至而山奥也 熊本ゟ行程小川通廿四里程有之由

                        一、五ケ庄に引籠居候由世間へ相知候事は慶安四年に洪水出て

                          人家ヲ洗流し川下に流れ來るものを見て川上の山奥に人家

                          有事を知れりと云 川下より川上を志し山を傳ひ登りて五ケ

                          庄有ル事を知れりと云 此節迄五ケ庄よりたま/\人出ても彼所

                          を深く隠して不語故に人不知といへり

                        一、五ケ庄の山猪・鹿ハ勿論熊・狼珍 羊・山犬等多し 又鷲・雉多く

                          又ウワバミ間ニ出る 谷川にイダ・ハエノ類あり 鮎ハ不立といふ

                          人家に牛馬不飼 犬ハ多く飼置猫ハ不飼と云 食物粟・ひえ

                           とうきび様々の物あり 麦ハ出来す 平日の食物獣類を品々

                          食すと云

                        一、五ケ庄の山奥故か流行の病なし 又雪不強 雷之事ハ終に不

                          聞といふ


     天空の遺産「五家荘」 http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/r/s/A/sA4UYXiBTRlF20NuHk8T0YjW.pdf

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■「旦夕覺書」--風・6

2014-10-17 07:06:23 | 史料

                一、同名(堀内)弾蔵御用人に御加増にて被仰付候 其刻熊本にて拙者へ祝儀を被申心には少過きたると被存たる
                  様子に見及候處即座に返答仕候は如御結構に被仰付候て私共迄難有奉存候 併被仰付間教平八にて御
                  座候 其子細は太守様は格別御老中方への御目利にても平八事においては何として拙者程御存知可有様
                  に無之候 平八事に候へは幼少より能存候 惣躰親も御懇比に被召仕御加増も被下候得とも親よりは益
                  たる處多く候 其上相役中も前々より能存候 團之進(宮村)なとは貮千石迄被下候 先祖もさのみ皆共に替り不
                  申候 併是は兒姓達と申御家の宇右衛門(沢村)殿も御兒姓達と申傳候 然は唯今の御用人にて貮千石迄被下候
                  共さのみ相役にはおとり申間敷と存候 御家老役に被仰付候ても宇右衛門殿例有之候へは一萬石迄被
                  下は餘り珍敷事と不存候 神以返答仕候事唯今存出し書付見せ申候 弾蔵に御見せ可有候 笑ひ可申候心
                  底には多分拙者返答心に叶可申候 當世は同名か一門近きは必々ひけの事のみ十人は九人にて候 上下
                  共に侍りたる者の思様に如斯の事にさへ傍輩中我より上に被召仕候人に尚以遠慮仕候心にては中々其
                  身を捨勤申事は成兼可申候 しかれば忠義の程も當世なみと存候 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする