津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--風・7

2014-10-18 06:52:42 | 史料

                一、四十年前屋敷拝領の刻は林兵助・村井源兵衛拙者三人にて候 其刻唯今江戸被仕候關川杢太夫親關川
                  検校は拙者兄是安・同名文左衛門心安く語りたるとて拙者も同前とて心安く被申候 熊本へ御供にて被
                  参候 其時澤村一官も別而にて振舞い被申鹽屋町屋敷に居被候時にて右關川相伴に同名文左衛門・大鹽彌
                  五右衛門・拙者参候筈にて文左衛門所へ参候へば早關川は参咄申候處に拙者参候へば傳右殿は屋敷
                  望と承候夜前御前に堀次郎右殿御召被仰付候 私も居申候 三人の者共屋敷望候由只今御吟味被成候
                  へば家有る屋敷三ヶ所有之由定て夫にも上下可有之思召候 右三人は同じ様なる者共にて此内傳右衛
                  門は老母も有之つうに似ぬ孝行成ると被聞召候 兎角くし取にて相渡候へど御懇比の様子と被申聞候
                  段被聞召候事近比恭内に迷惑至極奉存候 如御存知喜左衛門は諸人私よりはていねい成ると申三盛
                  は醫者にて毒薬のわけ能存老母給候朝夕の物迄念を入申候 私方へ母節々逗留仕候は御存知のごとく
                  定御供にて熊本に居申事すくなく就夫三十日に廿日は私方に居申候 毎度食傷なども仕候故餘り逗留
                  無用と拙者へも度々申候へ共母心次第と留も不仕候 右の通私のを孝行と被聞召候儀は忝内に却て致
                  迷惑候 能御聞被下候へ々々々々と返々申候 其刻文左衛門殿申たると被存たる面色に見へ候 扨彌五右
                  衛門も参一度に参候へば一友に關川申候は前夜是に参候事御前にて申上候へば土之丞に能申聞候へ
                  御禮日に御覧被成候へば若き時の風今になをり不申と思召候 衣類上下迄に御心つけられ候へば關川
                  申候 料理迄覺申候本膳の向に腹赤鯛を出し被申關川悦申候 高瀬に縁有之調申と一友被申候 其外は覺
                  不申候 拙者も珍敷覺申候如斯實に内入・三盛孝行拙者はおよひ不申と存即座に有様に申候 何事も物毎
                  につくろひ不申有様に申度是も昔の能き侍の咄毎度承申老父影にて候 是に似たる咄毎度山名殿・大木
                  殿にて承候へ共皆々我物に出来たる様に上下申事能見覺候 勿論おのづから出たる事可有之候へとも
                  能き事と申は皆々古人の言或は父老體の昔咄承おのづから與風出合申のみと存候故此間は別て果
                  候間もなく存各同苗中悪名を受申さぬ様に日本の神ぞ御加増御座候へ位も能く御成候様にとはさか
                  み不存候 唯今の通りに候へば各親より能き所も有之候 拙者も見申候 然れども年寄巧者に成候程實に薄
                  く成當世の風に成申右井田に咄申たる様に拙者心に覺申候 先御代よりの上下侍拙者程大勢出合申者
                  は又有間敷候 山名殿前へ出候程の男に拙者しらぬは無之候 上下の侍に是は實成人と存たるは少く大
                  身程輕薄多く覺申候 打死追腹心懸見可被申候 小心者には多く候 島原にても大形新参衆に多く古参は
                  すくなく見候 大形新参者尾藤金左も新参にて御一言恭事承り被申打死被仕候咄三盛被申聞候 島原の
                  事書たるを見被申一人宛に心付見可被申候 其子孫多く候 皆々親に似たると似ぬと思様成事心にかけ
                  候へば拙者ごときの者の心付申儀に候 爰を以存候へば無事なる時にも人にうたがはれ申者不實故に
                  て候 何程利口に立廻り被召仕候も宜く候ても不實と諸侍に思はれ候事人間の大なる恥と存候へ共其
                  者は人はしらぬ誰も如斯などゝ昔今の同類申たて誰も如斯是も十人は九人申候 大形左様の者が自慢
                  にておれより上は有間敷と思ふ事も脇よりも心有者は見る事に候 扨其二三日過堀二郎右殿より呼に
                  参候故唯今中瀬助五郎居被申屋敷に其儘参候 ケ様々々と被仰付候 村井源兵衛・林兵助は今少以前に申
                  渡候へば両人被申候は皆共儀は當分居申所少も支不申候 傳右衛門儀は母も有之其上承申候へば此中
                  縁組も極め申様に承申候 左候へば両人より傳右衛門早く拝領仕度可存候間鬮におよび不申候 傳右
                  衛門追付可参候三ヶ所之内望次第に被拝領候様被申両人ともに被歸候 扨々仕合成事と被申どれか
                  と尋被申候故坪井牧丹右衛門上ケ屋と望致拝領候 其後次郎右殿御申候は右の様子達御耳候へ者然ら
                  ば此後兵助・源兵衛に被為拝領候屋敷者傳右衛門に被下候屋敷なるを可被下間能覺候へと兵助・源
                  兵被申たる事申上候へば 御意に叶たると見へ申候由被申候 其時分御小姓頭にて毎度出合候衆谷
                  右衛門・兼松七右衛門被申候者傳右今度拝領の屋敷は世上にて如形家も能候様に承候 近所にて候故咄
                  承候へば板敷も古く天井も奥むきは無之と承および候由被申候故いかにも仰の通に御座候へば私に
                  は過たると存候は私親は御存被成まじく御家中一番のすり切にて奥に天井も無御座しふ紙をはり申
                  所にて生れ申たる私故に親より者過ぎたると存候と神以申候へば扨々むさとしたる事と申笑ひ々々被
                  申候故おし返々々々申候て大笑に成申事今に致失念不申候 拙者はかりそめにも偽と申事別て嫌ひ餘
                  勢成咄もきらひ故老父すり切住居など少もかくし候事なく候 心には扨々人はしらぬと覺申候が實の時の
                  忠義思ひもよらぬ事とおかしく存候 各能心付可被申候 天道明らか成事是に付ても存出書つゝけ申候
                  一両年の内に山田調庵果候て山崎の屋敷筑後殿振廻候故座敷ぬり床奥には能き蔵も有之候 林兵助
                  に被下候 村井は佐田儀太夫と申先御代より代々勤新組にて勤申候 唯今跡は無之候 貮百五拾石か被下
                  御幼少より被召仕候人にて拙者にも懇比に被申候 其屋敷蔵奥なる程能座敷は源兵衛代に立申候 是を
                  望候て致拝領候 是皆拙者拝領の時きし取なしに拙者に譲申候天道明らか成故におのつから如斯致拝
                  領候 扨江戸へ参候て拙者に横次右衛門其時は堀次郎右殿組脇にて幼少より隣にて能く存候 拙者に申
                  候は林・村井拝領屋敷と拙者屋敷とは格別善悪替り申候と御次にても何も被申候 只今は尚以能屋敷候間
                  望申候はゝ調可申と拙者ためと存被申候 即座に御心入忝は候へ共拙者に被下候時分能屋敷とて被下
                  候 唯今は右より能屋敷候とて願申儀心に叶不申とて願不申候 かりそめにも慾かましき儀老父殊之外
                  嫌ひ申候事少しも忘不申皆老父蔭と存調置候
                   

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