津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--風・1

2014-10-08 08:44:54 | 史料

                   奥村久左衛門なる人物が「御姫様付」を申付けられたがこれを嫌い請けようとしない、周辺の人達が納得させようと必死である。
                         女性に仕えることに違和感があったのであろうが、切腹も覚悟せよとの説得にどうやら一件は落着したらしい。
           

             一、拙者新知被下候者貞享二年九月十二日 其年七月七日に奥村久左衛門御禮仕舞候て残り候新知貮百石
               被下江戸御姫様へ御附被成候由被 仰出在宅に罷歸御禮も不申上御断を申筈にて氏家甚左衛門殿兄
               弟共に前々より心安くいか様久左衛門母豊前にて氏家は歴々故奉公分にて居申候哉久左衛門伯父奥
               村二郎右衛門は歩使番忠利公被召仕候者にて三百石被下御奉行勤拙者は江戸にて親以来とて懇比に
               被申候 唯今弓削太郎右衛門か舅にて上田新兵衛殿は氏家兄弟の妹聟右の衆打寄異見被仕候へ共承不
               申候 久右衛門は豊前中津に一類とも在之中津にて生れ十四五より次郎右衛門奉行役故全盛の時熊本
               へ呼寄次郎右衛門子にして御兒小姓に十六かと覺申候 拙者も可被差出と有吉頼母殿より内藤左門三
               盛所は被下其後拙者は成人にて成不候 人により被召出候と覺書に書置候は此久左衛門事に面候故
               覺書には扣名は有間敷候へ共各の心得に成可申と調申候 右の通にて御禮不仕候 七月十一日に三盛屋
               敷に居申時今日はいきみたまとて親方を振舞申日と三盛被申候 神以拙者終に不承候 是にて拙者事御
               察可有候唯今各の様成若き衆不存者は有間敷候 右の仕合にて心いそかしく居申所に上田新兵衛少可
               得御意儀御座候て参候 御暇入候とも可懸御目との口上にて候 惣躰上田殿年寄にてきうくつに存候へ
               共同名文左衛門と相役にて度々同苗とも所にて咄申度々在江戸にて毎度上御屋敷へ被居候 御供に参
               候ては必上田殿より呼に参候て度々料理給申心安く被申候 其時節もすくれたる能人と申たる事にて候
               扨罷出候へは被申候は此間久左衛門事御聞候哉と御申候 新知御拝領の祝儀に次郎右衛門殿屋敷に帳
               に付置候 其儀は何共不承候と申候へはいやケ様々々七日に拝領仕四五日に成候へとも承引不仕候 拙
               者事兼々ケ様の時分御聞候はゝ御異見可有事と被申候故神以御咄にて初て承申候如仰毎度互に定御
               供にて在江戸中は無類に心安く語り熊本にては輩にうとく御座候はよのつねの事に御座候 唯今の御
               咄承候へは私儀は久左衛門同年同位の者にて御座候内々承及候氏家殿御兄弟殊に各様伯父次郎左衛
               門殿なとの御申候事を合點不仕候事を何と仕私式異見可仕哉と申候へはいや々々左様にて無御座候
               人には合口と申事昔より申傳候 拙者は無類の合口と存候是非々々今日中に遠方にて候へとも御越被
               下候様にと偏に々々頼申ために申振舞参候と被申候故今日は老母をいきみたまと申振舞候物とてい主
               の三盛申聞今晩は右の通にて其上居敷に乍慮外御覧被下種物も御座候て柿原村は是より一里半も可
               有御座候 何と仕今明日中は成間敷と申候へは左候はゝ夕食過に拙者方より駕を進可申申候 右の通最早
               四五日に成申候 事の外打寄御禮延引を気遣仕候 是非々々と被申候拙者も何とも噺難申左候はゝ夕食
               過七ツ時分より可参と申候へは扨々恭奉存候とて歸り被申候 跡にて右の通の時節は近頃遠方と申参
               る事も快く不存扨々にくき久左衛門おのれか身もしらす御姫様に付候儀心に不叶と申事は 殿様
               を先輕く存ると聞へ候と日本の神拙者心は別て々々腹立色々工夫仕居候無程七つに駕人共に上田殿
               より來候故罷出候 其刻は三盛は今の櫻馬場澤村主膳屋敷に添申候 唯今南春伯と申か御醫者の向にて
               口九間半かと覺申候 拙者共生れたる所にて候 調候内にも老父母其外兄妹の事神以存出し落涙仕候
               乍憚 玄旨公(藤孝)の御歌
                 行止る心を宿と定めても尚ふる里の方そ戀しき
               右の心底にて久左衛門何と申て御請申させ可申哉事によりたらは打果候て残念なく拙者四拾一の年
               駕の内にて色々様々案し扨参候へは其儘罷出申候ゆゑ今日上田新兵衛殿御出にて初て咄承申候 何と心
               得被申候へは御請不被申候哉と申候へはいや思ふても見候へ拙者事は他國者御家生れ多候に御姫様
               へ御付被成候は不及是非候と申候故成程尤夫斗かと申候へはいかにも々々々々と申候時拙者申候扨
               はそなたは御家御先祖の事しらぬか 細川家繁昌の根元知らで侍の勤式は勤間敷と申は先其身のお
               こりと存候  秀林院様御自害天下に知らぬ者なく書物にのせ置候 其忠義を御代々如斯に候 他家に
               て女につくをきらゐ申儀は拙者御國にて生れ申候へ共随分他國の名ある侍を承及ならすなからもま
               ね度他所の望少も無之歩の御使番を望出申候 於御家は御姫様へ被為付候人は小笠原備前・河喜多石見
               拙者縁者にて候へ共金津助次郎此者は輕き者にても名を顕したるは何故そ萬一 殿様其御心付なく
               は 殿様の御あやまり君君たらす共臣は臣たらすと聖賢の詞にも見へ申候 扨々夫は他家の事にて御
               家にも嫌ひ申男は偏に鉄炮の上手稲冨をうら山敷思ふ男か嫌ひ可申そ本より如斯申候へとも拙者も
               望候ては有様か此方より望申事にてはなく候 併被仰付候はゝ御請召れ候へ能了簡被仕候へ其方今度
               御断被申候はゝ萬一如願成申候か扨は切腹可被仰付候 本より侍たる者のわけよく侍の道にて切腹は
               結構成事そなたも本其覚悟にて可有之候其跡に被仰付候者も定て侍にて可有之候をそなたの切腹にて
               埒明申跡の御國中廣く共いか成者か其跡を勤可申哉しかれは御姫様御一代侍を不被召仕と腰ぬけ斗
               か下々斗被召仕候様に成行申時は御家御姫様方に對し兎角可申様もなきそなたにて候 拙者事心安く
               段々上田殿御頼色々断不成参候 道すがらあんし扨も々々そなたは大不忠者切腹望と存候拙者儀にて
               御心安く存候へ共 殿様御姫様へ大不忠の人なれは切腹召れ土にうめ候とも拙者心に成る事ならは
               引出し討果度神□存るそと申候へは一言も返答なく泪を流し候 其時拙者も泪を流し落涙仕候 扨久左
               衛門合點仕候様子に見へ候故拙者儀是迄参候しるし今夜早熊本へ御出候へと申同道仕只今一村彌三
               兵衛屋敷奥村二郎右衛門居候同道仕直に座敷へ参候へは次郎右衛門其儘扨も々々恭久左衛門奥へは
               いり料理申付候へ傳右衛門殿へ御酒を進度と被申久左衛門は勝手にはいり申候 其跡にて拙者へ次郎
               右衛門禮を被申たる事共は我身の上にて書しるし難く其時段々久左衛門親の事私弟にて中津へ町人
               仕居申候久左衛門を熊本へ呼御兒小姓に被召出候咄にて段々ケ様の者にて御座候へ共私甥にて如斯
               成行申候 此間打寄何も御異見承不申候處に扨も々々と悦ひ被申皆共若く此後御奉公の為とて先御代
               にも御目利の咄是は誠に無勿躰奉存候へ共此咄は拙者若く御奉公の為とて 妙解院様の時御目かね
               違たる侍中の咄迄被申聞候 右の通に候 皆々拙者より年増後々は御備頭平九郎親父も貮拾挺御預上
               田殿は番頭に成り伯父の次郎右衛門奉行も勤申候衆にても 秀林院様御事實に思はれさるにて候 拙者
               申合點仕候は 秀林院様の御咄初て久左衛門承候哉ひしと咄止拙者事斗つく々々と承候 いか成事に
               ても本の正敷事をいやとは可申様無之候 久左衛門は同年同位にて右の通に埒明候は少し自慢に存候
               備頭番頭奉行は不及申拙者小身にても勤は成間敷は不存候 尤平九郎は萬一新兵衛殿咄承にも可有之
               此事の外にも上田殿拙者も事の外感し被申候事石寺九兵衛被申聞候 是は小原長四郎事堀次郎右衛門
               殿に申候時一座に新兵衛殿居被申承申候多分覺書に可有之候 堀殿は弾蔵同前に其刻埒明と申人に
               て候 毎度如申古人の事を不承候ては今時鼻の先口に任せ時々に合候者の好事にて無之候 武士の武道
               も十人並の侍の咄と一位上へに聞へ申咄と語申内に早其者の心しられ申候 随分々々御吟味可有候 皆
               々老父咄か本に成申候 随分の心付可被申し候 尤其時分の風にて無御座候へは通り不申 拙者も四十餘年相
               勤覺申候 然共何そ大事に成候て古き侍の申傳古き事不承候ては當世斗にては成不申候 江戸も古きを
               御慕ひの趣に聞へ申候 


                      おまけ: 先祖附では伺い知れなかったが、この文章から久左衛門が奥村次郎左衛門の甥(弟の子)であることが判明した。 

                

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