津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「北村甚太郎覚書」釈文--19・20

2014-10-04 08:11:54 | 史料

                                /\尓柱を立もがりを結ひ廻し一町一町尓番屋を立きひし

                                 く番仕候海手盤磯辺尓ももかりを結ひ廻し沖尓ハ番船

                                数多敵方より置申候城中よりハ雲龍斎と申出家関東越
                                ココロザシ
                                志此注を 忠興公与十郎殿江申上度存候て罷出候処番

                                所稠敷候て出申間敷の由申候越色々断を申出家の儀敵
                                                                    慈悲歟     イ も慈悲とも
                                尓も味方尓も成る者尓て無之候間 是非と思召て出候て給候へ

                                無左候ハヾ是尓て被打果候へと申尓付各其理尓免し出し

                                申候敵の前を多ばかり夫より関東へ参り 忠興公へ御目見仕

                                籠城の次第具尓申上候関東御利運尓て御帰陳の砌な

                                連ハ弥 越中守殿玄蕃頭殿与一郎殿与十郎殿急御登被成

                                候由尓て寄手の人々も関東の様子御利運の由を聞百

                                日余相詰居候敵次第尓退散せら連候なり

                                   旦夕云関東ヨリ田邊の城へ被差遣候両使之内小崎六左衛門と有

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                                   之候此仁の咄盤老父三盛度々咄申を覚申候

                                   三斎様八代尓被成御座候時御目の御用とて熊本より参候

                                   刻何角御意之内尓小崎忠三郎子供ハ定て越中か不

                                   便がるかと御意被成候へとも志かと様子不存候由申上候へハ

                                   いか尓もわ連ハ前の儀存ましく候田辺御籠城の聞へ有之

                                   関東より御書物を被遣候持様萬事御おしへ被遊候所之

                                   尓て難儀仕候へ共無恙田辺の御城尓参り申骨を折たる

                                   ものヽよく其時ハ定て小崎次郎左衛門は孫右衛門親の由三盛

                                   咄申候慥尓覚候ゆへ書付置申候

                              一、其後 禁中様より為御勅使八条殿より大石甚助と申家

                                老御書を以城中へ入被申候 幽斎公御對面被成御馳走の後八条

                                殿へ 幽斎公御自筆の古今集御進上御短尺も被相添候其

                                御歌に

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