津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■加藤忠廣代・熊本城下地図

2014-10-20 12:11:59 | 地図散歩

 最近熊本城の馬具櫓が改修されて多くの人が見学に訪れている。この馬具櫓と書物櫓(現在はない)の間から藩主の居館・御花畑邸に向かって下馬橋が架けられていた。
江戸期を通しての絵図をみると、花畑邸の前は広大な勢屯となっており下馬橋はこの勢屯からすると、随分右に寄っていて奇異な感じがする。
さてこの寛永初期の絵図を見ると、その疑問が払しょくされる。つまり花畑邸の前の勢屯はこの時代は存在せず、細い道が存在するのみでほぼこの道の延長上にあることが判る。
花畑邸は忠利の肥後入国後しばらくしてから居館になったものであり、加藤時代は数寄の屋敷といった性格であったのだろう。

絵図の屋敷に「上々々」とか「上々」「上」「中」等が書き込まれているが、これに連動するように有力家臣がその屋敷を拝領していることが判る。
そして細川家の入国後、これ等の屋敷を拝領した人たちも加藤家同様有力家臣が入居しており大変興味深い。

 

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■「旦夕覺書」--風・9

2014-10-20 06:46:36 | 史料

                        一、真源院様江戸にて御逝去の年御参勤の砌立田にて皆共見物仕候 拙者は五つに成内入者九つと被申候
                          半こふにそり髪をゆひ被申候由就夫御目に立申誰か子かと御尋させ被遊候と内入被申候 拙者は唯御
                          駕に黒き御小袖を召させられ御色白く被成御座候と斗覺申候 正月の飾物なと伯父三人の内誰とは覺
                          不申候 法師に成り被申候は覺右のかさり物取捨させ被申候を取除被申事は覺申候 翌春 御遺骸下
                          着唯今御花畑と御馬屋の間の廣き所に御家中の妻子各罷出拝申由其刻拙者は六つに成候由 御通
                          被遊候跡にて女中何れも聲を上涙を流し候時拙者も高聲にて泣候由事の外高く候故なかぬ物々々々
                          々とすかし候へはいやなこふと申一しほ高く泣候由母後に度々被申候故右の通かすかに覺申候 直に
                          川端通船場橋より妙解寺へ被成御座御家督延引仕候に付御家中にても上下の内侍中夫々心替り色々
                          わる口被申たる衆中老父打寄咄被申候覺申候 長谷川仁左衛門殿老人にて武功有之人にて幼少より親
                          召連参候故男振覺居申候か小男にて若き時唐瘡煩被申候由鼻もひしけ見苦敷男振にて候 直江山城與
                          力にて度々上杉の家にて武功御聞及八百石にて被召出即座に千石の折紙被為頂戴候 是にて察可被申
                          候 此仁左衛門所に御家中老若心ある者皆々毎度咄に参候よし拙者も幼少にて覺申候 大里儀太夫・大野
                          傳兵衛抔は拙者覺申候 右の御跡目不被仰出候内は熊本上下の侍一人も野邊へ出不申ひつそりとして
                          居申候由然處に或日大勢咄申候に仁左衛門被申候は今日は天気能く段山邊に気はらしに各同道可仕
                          と被申候へは各見合返答無之故何と憚入候哉と被申候時何も申候は唯今の時節上下侍中遠慮に存不
                          罷出候 尤曲輪より外には尚以にて候由申候へは笑ひ々々其筈々々拙者致同道候程に各心安く被存候
                          へケ様の時節は別て若き衆は手足すくやかに心も夫に應しすくやかに成物にて候 山にて何も同道に
                          て段山にて茶辨當くわし抔持参三盛は殊にかわゆかり被申候ゆゑうすへり敷枕に臥し被居候處近
                          くに居申候 御城つく々々見被申三盛に被申候は何と々々拙者には可被存若き時より東國中の城
                          々を見ぬはなく候 御城つく々々見申扨々能枕にて老人の心底察被申候へと被申候 三盛も心に萬一
                          の時は 御城にて打死と被極たると早心にうかみ申と被申候 其後御家中上下歴々も尤と存候て野邊
                          へ出申候由三盛申聞候 八十に成候て少も失念不仕候 扨も々々左様に可有事御家中多き士にて候へ
                          は仁左衛門武功におとらぬと可有之儀に候へ其時節に逢不被申候へは委細に心付申さぬ筈にて候 ケ
                          様の事老功の武道を能吟味被仕たる物と存候 佐久間半之丞は大坂にて能三千石にて唯今備前殿屋敷
                          に居被申候 此半之丞被申候由先年江戸にて野田小三郎咄申候 半之丞には色々咄多き人にて候武士の
                          道の相談可仕は長谷川仁左衛門と被申たる由是にて察可被候 唯今の長谷川久兵衛曾祖父にて候 

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