津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--風・8

2014-10-19 09:03:16 | 史料

                一、幼少の時三盛・拙者両人者老父臥し被申候跡に寝せ色々の咄聞せられ候 十歳斗の時と存候 三盛拙者に
                  臥なから色々小歌其時分のはやり事下々の申儀なと互に申候 其時分は切支丹宗門の御改毎月ふれ小
                  身者家内にも帳をとち男女手に墨付させ判形のことくさせ申候両人に被申付候 其時ていうすさんた
                  まりやなとゝ申事思ひ出し三盛ひたと拙者に覺ぬかとて被申候時扨々うつけめか左様の事を覺何
                  の役に立事かと以の外腹立夜更候へ共三盛を踏付被申候へは逃て次に被参候處を又起て追被申候
                  へは長屋迄被参候 老母もおき色々断被申候へとも聞不被申拙者はおそろしく震ひ居申候へは気に入
                  夫程おそれ申か能そ天下の御法度殿様よりの毎月の御觸にて候にかりそめにもあの様なるあほう成事
                  又は下々のはやり言はいはぬ物そと被申候 唯今八十に成候ても失念不仕候 扨も々々ケ様成事を覺候
                  ても幼少より公儀の重き事申聞せられたる其志能々可被思知候 與風存出し書置候
                一、右の時分茶の間にてわるさ仕候故老母しかり候へは腹たち薪有之を投打いたし候へは内入居被申お
                  とれめは母に投打仕候哉とたゝき可被申と被仕候處に其儘逃け門外に出其後歸候へは母被申候は親
                  に不幸成者は 天道御にくみ候男女に限らず天窓を打申事はせぬ物にて候 天窓には不断神か御座候
                  尤下々男女の事にても告口せぬ物に候 立聞とて人の物云をしらぬ顔にて聞ぬ様にするのは道をあるく
                  とても不幸成者のありき候へ者地神とて土の下に神ある物にて剱をさかさまに立たるよりはいやに
                  思召孝者成者の歩行候へはとふしみ一筋置きたるより輕く思召物とて色々のおしへ被申候 八十に成候
                  ても少も忘れ不申只今思ひ出落涙仕候 扨も々々両親ともにおしへ被申候事皆々 天道神を敬申候斗
                  に候 各心得子孫に傳へ可被申候 皆々拙者に親母の被申たる事各の為に成可申候 扨拙者果申候ても必
                  々精心無用に候傳右衛門は格別夫もよそへ参申或は悦の座敷へ参候て扨々能所へ参候とて魚鳥給不
                  申今日は親の日なとゝ断申事てい主の心に祝事にては心にかけ可申候 其心をやふり申事あしく候 心
                  に精進の事忘れ不申ために御主の日は格別と親被申候 五十年以前十左衛門殿初て江戸へ御越候時拙
                  者毎度咄申候 拙者精進多く候 誰々かと御尋候故に其時分同名八右衛門八月五日に被致病死候兄是安
                  は八月九日両日共に朝斗精進仕候と申候へは八右衛門日は跡継候子可仕候伯父多く候に無用是安者
                  跡なく候一日の筈に候と御申尤に存少も忘れ不申近年は誠に精進多く毎月朝も止申征月斗は八月五
                  日・九月廿三日不白は四月六日かと覺申候 江戸に居候時にて唯今も慥に覺不申候 右の通に候間必々内
                  入被仰置候とも拙者存生に申入候 たとへは々々々々征月に召れ候はすとも此一冊を御覧候て祖父祖
                  母は見られ不申候へとも如斯の心底其本を御吟味可有候 拙者に被申候事を如此処傳申筈に候 尤了簡
                  御吟味候て善悪御わけ候事不及申當然の道理に叶候様にと存候 祖父祖母より生れ増たる者世に多く
                  候 かろき事は其時々の風にまかせ被申候様にと存候 信は古へ今に日月の如くにて候人たる者は本
                  武士たるは義理を専一に用申候 軍書近くは大坂夏冬の御陳にて如斯天下治申候 其後島原記此時者
                  御父子様御供御家中不残被召連候 拙者も随分致吟味書置候 御心付御覧可有候 尤夫々の働の次第は委
                  細に見へ不申候へとも定て御褒美の如くと存候 大坂關ケ原皆々天下にしられ能武士と申者いつれに
                  ても信を用申候 御明将の御吟味にも兎角勇を好は世上に常に候へとも吟味仕候へは唯律儀成者武士
                  は第一に好申候 律儀成者は此筈士の役と存武道能頼母しく存候 血気の勇者不頼母敷小身者は他家を
                  仕候ても立身望大身成者は謀叛を工み兎角頼母敷と存候者は律義者ならではと御意候旨加藤左馬助
                  殿御申候様に何やらの書に見へ申候心を付見候へは大坂陳の刻水野日向殿右筆にて廣田儀太夫と
                  申者五月六日の合戦の砌そはに居候役故念比に思たるか今日は先手へ参候へと御申候 忝と申参候て
                  高名仕能歸申様には明日は其儘御側に被召置被下候様にと申其時何も先手を好可申にこりたるかと
                  目引鼻引笑申候 扨七日の合戦に日向殿御手に大坂方より大勢突かゝり日向守殿も自身鑓にて二三人
                  御働首は家来共に御とらせ候 右の儀太夫如斯可有之事を前六日に先手に参働心にかけ候故一番に日
                  向守殿前にて討死仕候 餘り志を不便に思召候て御覧候得は少息も有之故かうかいにて口を御あけ御
                  薬御用候へは気も付次第に能く其後有馬に湯治被仰付候て段々御取立御家老役に成候よし勇士一言
                  集に有之候 寫置候へ共近年見へ不申候何方へ借申候哉繪入たる書物三冊有之候を一冊に寫置たると
                  覺申候 御吟味候はゝ後々出可申候 難波戦記には廣田儀太夫なと能き働と迄有之如此委細に者見へ不
                  申候
                一、兄弟三人少成人仕寄合四方山の咄いたし候時老父被申候はいかにも々々々々左様に寄合候て咄申事
                  は能々惣別人の吟味他人は内證の事不知物に候 八右衛門角本文左衛門三人は奥へ参候 三人の伯父其
                  事を能々見候てたれは是が能きと致吟味其能と思ふをまねて見習候へはと被申候事唯今も存尤成
                  事に候 

                   

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