津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■史談会10月例会

2014-10-11 17:32:23 | 熊本史談会

 今回の講師は元日本航空のパイロット(滞空時間日本一)の清田泰興氏、「暦と時間」考え方とその歴史を拝聴した。
先の「江戸の三貨制度」につづいて、卓越した話術と豊富な知識をよどみなくご披露いただき、会員一同に喜んでいただいた。
企画者として大変ありがたく貴重な一日となった。

毎回の事ながら史談会が終わるとがっくりと疲れが出てしまう。帰宅して1時間ほど仮眠をしてしまった。

 

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■「旦夕覺書」--風・4

2014-10-11 06:50:03 | 史料

                            父・三盛の死去と家屋敷差上げ、他

                   一、父三盛被果候年は拙者廿七才の時にて其時分は親果候て三日法事過家屋敷差上申様に被仰付候是は傳
                     々にて能家屋敷御次方の者共病中にも夜るは屋敷の間を打見申なとゝ沙汰仕申候 老父承申扨々笑
                     止成事昔は無左候、唯今も先君へ被相勤申被候衆御側にも有之候 是程の事を不被申上候哉と悔被申候
                     右の通にて手取金津助十郎屋敷へ荷物なと遣候時坂崎清左衛門殿通り見被候て尋させ被申候へは
                     三盛荷物と申たるよし 御花畑へ當番にて詰被申し候時にて御家中侍果候て三日過家屋敷差上申事妻
                     子嘆きの内に扨々笑止に存候 今日三盛屋敷差上候故荷物のけ申候を見申候て三七めか或は三十
                     五日かに上ケ申様に御奉行衆へ申度事と被申候、近年は五十日過に成候哉其時分も御家中古人は三盛
                     は存命の時人の為に成候者にて候つるか、果候て跡にても諸人の為に成申と心有衆は被申候段神以承
                     候 扨皆とも助十(郎)屋敷在宅にて座敷なく奥に何も居申處に續頭太夫被参候て傳右衛門殿には御下着
                     以後不懸御目是へ御出候へ逢申度と被申候處臺所口より出候へは拙者手を取候て扨々拙者は能時に
                     着仕數日御看病にて候 先御代より定御供被召候衆親のしに目に逢申衆はすくなく能覺申候 扨々御
                     孝行天道に御叶候 忌明候ハゝ早々御出御勤候へと被申聞候 其時節は廿七にて歩の御使番定御供は必
                     立身被仰付候事見及候へ共三盛存生にてこそ立身仕候ても悦可被申候 母者女にて候へは夫程には被
                     存間敷候 一所に居候事悦可被申候 當り前の御供は格別定御供は御断申上止可申哉なとゝ嘆きの内に
                     色々あんし申内に右の通り次太夫被申候に付神以其儘心に通し誠に尤成事を承候と其儘心を改申候
                     能存候へはあやまりては改に憚る事なかれと申は如斯の事か此次太夫は 三齋公御兒小姓勤被申候
                     龜之助二男にて候 不思寄の縁に成候 右の仕合故老父の一言と同前に唯々落涙致候 

 

                   一、右の通に銘々上下共に屋敷をもたぬ者はなく忠利公御時に興津作太夫と申者御奉行勤一國一人と
                     申たる三百五十石にて唯今土山半内居被申屋敷にて予は彌五太夫と申角入は近所にて別て内外とな
                     く咄被申候 續五太夫姉聟にて能覺申候 三十一二にて病死弟三五郎と申おろか成者にて乱心に成り申
                     後に何方へ参果候哉彌五太夫存生の内ちくてんいたし知れ不申候 其時分老父被申候は親作太夫全
                     盛の時分心儘に屋敷の内には輕き者共大勢居申候 追立居屋敷廣く仕候 小倉より熊本へ被成御座直に
                     落付たるかろき者共にても皆々子供も生れ候 尤公儀よりは決て能屋敷家無之には親子など被下尤作
                     太夫も内證にては心付候へ共其内に老父老母は別てなけき申候 皆其むくいと被申候 すきと其跡無之
                     候 興津彌五右衛門同名にて實は兄弟の別れと被申候 横山九右衛門屋敷を津川一八拝領にて只今平左
                     衛門居被申候 此屋敷差上候時分水前寺へ御供立直に日くれ時分九右衛門方へ見舞に参候得者奥へ参
                     候へとて初て通り申候 扨々不及是非次第是見候へは爰は親父被居候所是は母か女子共にはり物なと
                     させ申たてとて奥の椽一間餘に長さおし通し十間餘可有竹椽付其身妻の居候所は茶の間と臺所の間
                     に拵氏家林雲院隠居のことく仕居被申候故神以泪を流し口惜次第御奉行所にて被仰渡候故石寺九兵
                     衛に申候は私儀は如御存御取立者首を被召上候とても兎角可申上様無御座と申上たると事の外立腹
                     被申拙者も神以尤に存候故涙を流し初て見申候 御すまひの様子見尤成事御両親への御孝行感し申候
                     神以涙なかし申事唯今も同前にて泪を流し申候 其時分家有にて一番の屋敷山崎に平野清兵衛と申四
                     百石被下御奉行役にて勝手も能く座敷ぬり床に圍ひも有之奥は三間はりにて如形相應より廣く候 就
                     夫御吟味にて其刻被仰渡にも右之通惣躰家は九右衛門家よりは殊の外能く候へ共屋敷せまく右之通
                     九右衛門心に叶不申候 其儘替申は老母すまひ思様にならぬと申ても少上にもあたる心有之と存候 即
                     刻段々達 御耳候て事の外 上にも御迷惑に思召九右衛門為に本の屋敷の家より能き様に被聞召九
                     右衛門に被下候 此後屋敷の儀別して々々々念を入可申と被仰出候由角入被申神以少も于今失念不仕
                     候 筑後殿御存生十左衛門殿も御存たる事も哉と九右衛門は直に心安申たる由承候 曾て段々のわけ御
                     存知なく九右衛門方へは十左衛門殿即刻御出候て御存知なきの御申分被成候 然は一八親父も父子と
                     もに惣躰利發は勝れ候へ共身慾も又すくれたるとの咄は井田太郎兵衛とて筑後殿より十左衛門殿御
                     もらひ被成候おとなにて十左衛門殿姉聟達の藤崎作兵・津川子供衆御兒小姓に被召出候時十左衛門殿
                     御母儀へ御所望召れ候衣類等に付段々夫々の咄拙者は分て十左衛門心安く存候とて十左衛門殿御申
                     おき内證の咄一々承候 以後にも拙者に作右衛門・一八・半八三人ともに存候哉と御尋候故神以心底
                     不残申候へばいかにも々々々々其通と神以御申被成候 扨其後流水も口中の煩にて果被申 一八も病気
                     に早く御断被申一八跡も病気とて御断被申候へとも譯有家にて唯今の平左は次男にて家を御つかせ
                     被成候 如斯のわけ諸人共にいや其筈是は此筈と當世の不實のみにて心實昔咄は當世にあわぬ々々々
                     と上下申事にて候 尤當世にあひ申能事も有之候へとも以後は必々本に成申候 唯今江戸の趣承傳候に
                     も昔したひと申傳候 是にて能々合點可被仕候 

                     
                      

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