津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

明智次左衛門か事

2012-09-26 21:43:33 | 史料

 明智次左衛門といえば忠興の愛娘・於万の生母、小也ゝの父親だということで承知している。また喜多流能楽師・狩野鵬家の系図によると次右衛門光忠なる人物が記されており、その室は明智光秀の二女律だとされる。小也ゝに妹・栄陽がおりこれが喜多家の二代目・窪田善助室であるとする。
この善助は忠興二男・興秋の守役を勤め、興秋の自害の三年後後を追い自害している。
明智系図は種々見受けられるがこれらを確認できる資料がないが、興味有る史料ではある。

さてここでご紹介するのは、宮村典太の膨大な筆写記録・雑撰録に記されているものである。「雨窓間語」からの書写である。
元々は「太閤奥方素性并に明智次左衛門事」とする一文であるが、「明智次左衛門事」をご紹介する。

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御恵贈御礼「肥後澁江傳来の文教」

2012-09-26 09:14:27 | 徒然

 A4判728ページにわたる大書である。著者・山口泰平氏の原稿が1ページ4枚、p3~710にわたる縮小複製本である。2800余枚の原稿が転写されていることになる。
ご恵贈たまわったT様には感謝申し上げる次第だが、さてこれを読了することが出来るかどうか、いささかたよりない。御礼とともにその旨を申し上げた。
菊池地方の文教に代々力を注がれた 澁江家の業績を称える書籍である。澁江家のみならず、山口泰平氏のご尽力にはただただ敬意を表するのみである。

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マツタケの食べすぎ・・・・・?

2012-09-26 08:30:50 | 徒然

 兄弟仲が悪かった忠興・興元であったが、元和五年興元がなくなると忠興は其の子供たちの婚姻などに大変気を使っている。
興元女については、老中井上正就の子息にと考えるが諸般の情勢から断念している。

その井上正就が子供の結婚問題で、殿中で刺殺されるという事件が起きた。(寛永5年8月10日)
          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%AD%A3%E5%B0%B1
井上正就の嫡男と大坂町奉行・嶋田直時女の結婚話が進捗、春日の局の反対で頓挫する。仲人役の旗本で目付の豊島信満がこれに腹を立て井上を刺殺したという事件である。このことに心痛めた嶋田直時が切腹するという事態に至り、諸資料はそう伝えている。

ところが忠利が聞いた話として 「マツタケを食べ過ぎて積り刀を突き立て」死亡した、という話がある。
直時の死は同年10月5日である。時はまさにシーズン切腹前にマツタケを食されたというところか・・・・忠利のまじめな語り口が面白い。 

小便が出ず下腹部に刀をつきたてたとか、奥方の喉の病気に旦那が鍼灸を施して失敗死亡させたとか、すごい話がいろいろあるが、マツタケを食べ過ぎて切腹というのはいささか眉唾ものではある。

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