津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

memo 西山左京消息

2012-09-17 18:00:49 | memo

 (寛永十五年)三月十五日眞田信之宛(忠利)書状(4235)
       この書状之尚々書が今回のメイン・・・・

       尚々 西山左京(至之)殿儀 大坂ニ置候へ共なじミ不申候へハ無紛事と存
      我等國へ申入 心安御有付候様ニ支度 右之仕合ニ候 以上

 西山左京とは足利道鑑の息である。 「大坂ニ置候へ共なじミ不申候へハ・・」という状況は一体どういうものであったのだろうか。
忠利は此の時期、有馬一揆が終結しその後始末に忙殺されている。そんな中での道鑑息のことを心配している。そして此の年左京は細川家の扶持を
得ることになる。ちょっと興味をそそられる内容ではある。 

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津川近利・辰珍・近元etc消息

2012-09-17 11:06:03 | 史料

細川家史料において、斯波氏武衛家最後の当主・津川近利(義近、初・斯波義銀、号・休閑)についての消息はあまり見受けられない。
別の史料から以前 津川近利のこと で若干触れた。
大日本近世史料・細川家史料においては、寛永十五年の嶋原一揆の前後に忠利が発した書状が二通見える。

   ■寛永十五年二月十六日津川近利宛書状(4008)
         内容については割愛するが陣中見舞いに対する返礼の書状である。
         戦況がわりと詳しく書かれており、この時期の状況を知るのに有効である。

   ■寛永十五年三月十四日津川近利宛書状(4217)
         こちらは一揆終結後の書状で、弟辰珍のことなどにも触れている。

      如仰有馬一揆早々討取埒明申ニ付而 いつれも歸國仕候 隠岐殿(松平定行)より御使者を被下
      忝儀共ニ候 御心得候て可被下候 四郎右(辰珍)も今度首尾能候つる間 可御心安候 恐惶謹言
             三月十四日

             津川休閑様
                   御報 

 寛永七年すでに弟・辰珍が細川家に召し出されている。その弟の安否を近利が気遣ったのであろう事に応えている。
この戦において辰珍は忠利の傍に在ったらしく多くの書状を受けている。その状況が忠利の礼状によってわかる。
     (4007)神田入庵・河内、(4062)野々口彦助、(4067)森可春、(4070)各務正利、(4086)吉原少兵衛、(4149)淀屋言當、(4152)稲田示植、
     (4153)山田宗登、(4157)可島政重ほかである。


又近利の息・近元が細川家にいた事が寛永六年五月廿日「日帳」抜粋(1)や、(福岡県史・近世編--細川小倉藩二p259)(2)で知ることが出来る。

 
     (1) 「津川数馬殿御座候前之へいころき候間、作事申付候様ニとの御使候(以下略)」
     (2) 「津川近元邸前ノ転倒ノ塀ノ作事ヲ命ズ」との脚注がある。


         織田信重
            |------津田三十郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→津田家 
        
        +---●

        |         数馬
斯波義近---+---近利----近元----辰房
        |               |
        |               ↓                      平左衛門
        +---辰珍======辰房---+--辰之---辰貞==辰氏---辰陳・・・・・・・・・・・・・・・→津川家
        |                   |             ↑
        |                   +---辰則(辰氏)・・・・・・
        |
        +---親行
            |
  織田有楽------●


 近元が細川家に召し出されていたのかどうかは、史料が乏しく現況では判然としない。細川家家臣・津川家祖辰珍は近元の息・辰房を養嗣子としている。当時辰珍は1,250石、寛永十九年250石を甥・津川三十郎に分知し、養嗣子・辰房は1,000石を家督している。いろいろ面白いお家の事情がある。

 

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不愉快な敬老の日

2012-09-17 08:20:15 | 徒然

私も70歳8ヶ月の身だから敬老の日対象者なのだろうが、この日がやってくると毎年のこと不愉快な思いに駆られる。
熊本では例年、地元新聞社の主催で「金婚夫婦」を表彰するのである。天皇陛下のご成婚を記念して始まったらしい。
お二人お元気で金婚式を迎えられた皆様には、心からお祝い申し上げる。
問題は夫を亡くし、妻を亡くして50年がんばってこられた方が大勢いらっしゃる、そんな方々の気持ちをまったく忖度していない。
私もあと五年もすれば該当者になるのだが、10年ほど前まではいわゆる戦争未亡人という方がたくさん居られた。
女一人で苦労して子供さんを育て上げられた。そんな人たちを横目に見ているこのような行事は、差別に他ならない。
私の母は戦争未亡人ではないが、結婚生活が十年にも満たずに夫と死別した。
叔母(母の妹)夫婦が金婚式を迎えたとき、そのことを知った母が発した「良かったね」の一言が、自らの無念な思いをこめたように聞こえて泣けるような思いに浸ったことを思い出す。
はたして天皇・皇后両陛下はお喜びになるだろうか。否、両陛下のお心は夫を亡くし、妻を亡くしてがんばってこられた方々にも注がれるであろう。

もっこす爺はこんな偽善的行事は大嫌いである。

 

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