津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

召出しの消息

2012-09-20 13:08:49 | memo

 小崎五郎左衛門・同三右衛門・速水助兵衛此三人新参ニ召置候
 五郎左衛門千石・三右衛門弐百石・助兵衛六百石遣候筈候間当
 物成之分ハ家中へ遣候知行並のことく蔵米ニ而可相渡候 謹言
    (寛永十六年)九月七日     越 忠利 御判
                西郡要人佐殿
                浅山修理亮殿
                河喜多五郎右衛門殿
                椋梨半兵衛殿 

                       (綿考輯録 忠利公・下 p289)

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猛烈アピール

2012-09-20 07:53:36 | 歴史

 天草島原の乱が終結したのは2月27日である。3月2日飯尾惣兵衛なる人物が猛烈斡旋の書状を長岡監物に届けている。
対象となっている人物は、討死した岩越惣右衛門がかかえる牢人三人である。なかなか面白いので全文をご紹介する。

   態以飛札申上候 先日爰元へ罷下候時 書状以得御意候 其節川尻ニて舟なと被 仰付忝存候
 一爰元いつき共御たいち候て 御父子様御帰陳目出度存候
 一岩越惣右衛門儀内々被懸御目候由及承候 我等おや同前之知音ニて御座候 せかれ九十郎ニ
   不相替被懸御目可被下候 年若ク御座候間 万事御さしつ奉頼存候
 一惣右衛門かゝへおき申ろう人三人御座候由 荒川三太郎と申候ハ惣右衛門おいにて御座候 是
   ハ越中様へ御目見仕候
 一三原勘兵衛と申候者ハ惣右衛門むこニて御座候 加藤肥後殿ニ罷在候 其後惣右衛門所ニかゝ
   ゑおき申候 其段下津将監前後被存候
 一布施十兵衛と申者是も三人之内ニ而御座候 我等も知音ニて御座候故 松倉長門殿へ我等申こ
   ミ身上相済申候 長州帰国次第ニ礼をうけ可被申とやくそく仕候処ニ 今度之儀出来仕候ヘハ 則
   十兵衛嶋原へろう城可仕と申候て罷出候処ニ 惣右衛門申候ハ 数年かゝへおき かやうの刻ろう
   人を他所へ遣候ハゝ惣右衛門ふりちき者と 越中様可思召候 惣右衛門手前すてニ仕候て可罷
   越と存候ヘハ不及是非候と申きり候故 十兵衛なミたをなかし迷惑かり候へ共 嶋原へはいり申事
   不罷成候 今度御陳場をもつとめ申候 三原助兵衛・荒川三太郎・布施十表絵此三人ハ九十郎と
   一所ニ廿七日廿八日かせき申候 惣右衛門とハて加ハり候て廿八日晩まてハ先手ニ居申候故
   惣右衛門手おい申と計承由ニ候 ふひんなる仕合共ニ御座候
 一九十郎ハ惣右衛門をふひんニ 越中様思召候由承候 其上御用ニも立申候間 御ふひんを御く
   ハへ可被成と存候 かゝへ置ろう人共之儀を御取成被下候ハゝ可忝候 貴様へかやうニ申上候事
   なめ過たる儀を申と可思召候へ共 爰元にて及見たいせつニ存候知音之儀ニ御座候ヘハ 思召
   候処をもかへり見申候事不罷成候
 一下津将監・岡部道宇をめしよせられ 様子をも被聞召 惣右衛門あとの儀可然様ニ被仰付被下候
   ハゝ可忝候 恐々謹言
                                           飯尾惣兵衛 判
               三月二日
                   長岡監物様 
 

    岩尾九十郎は別としても、その他三人の名前は細川家直臣としては見つからない。

 しかしこれだけ「なめ過たる」要請をうけたのだから、監物自身の元に召しだされたのかもしれない。しかし強烈な文章ではある。
 この飯尾惣兵衛なる人物についても良くわからないで居る。  (綿考輯録 忠利公・下 p139-140)

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