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石垣島引っ越し3

2018-11-15 04:01:03 | 石垣島

 石垣島の出来上がった家姿。車も運び込んだ。

石垣島の引っ越しもいよいよ石垣での受け入れである。車の方はすでに石垣港に着いた。という留守電が東西海運から入っていた。受け取りは14日午後と聞いていたのだが、予定とは違う、どういう事なのだろうか。車の方は12日についてしまったらしい。11月14日朝4時30分小田原の電車。6時35分の飛行機で10時10分には石垣南ぬ島石垣空港に着く。それから車を取りに行くしかないと思うのだが、車は港に置いておいて大丈夫なのだろうか。こういうことがすべて初めてのことなので、落ち着かない。カーフェリーの方が引っ越し荷物のコンテナ船よりも早く着いたという事か。カーフェリーには「ニラカナイ」と書かれていた。石垣に着いたらすぐに港に行き八重山港運で車を受け取る。すぐに設計事務所に向い、鍵の受け渡しをする。かんたんにすすんだ。14日10持40分引き取り。いよいよ引っ越しの荷物の受け入れが始まる。14日一日でその準備をする。

新しい家のキャットウオーク。

家の受け渡し。考えていたようにできた。特に心配だった壁の色も指定通り塗た。入口の上に付けた屋根は、想像以上に丁寧に出来ていた。郵便物の受け取り。建て替え費用の支払い。電気関係では、入り口の上の電線の始末がよくない。。光ケーブル。光テレビ。インターネット。これは今日荷物が来ないとわからない。家の点検。畳屋さんへ行き畳の配達をたのみに行く。出来ているはずが、これから作るというので驚き、さすがの沖縄畳。沖縄のイグサで作る。石垣スタートの泡盛のクウス作り。甕がついてからゆっくりやればよいということだった。玉那覇酒造さんへ引っ越しのお願い。大きな荷物はここから入れさせてもらわないと無理。

アトリエの床は明るい色になり、うまく 天窓の光がアトリエに回っていた。絵がか見やすい部屋かもしれない。時間経過で光が変わってゆく。このかんじが悪くない。窓をすべて開けて、空気を入れ換えた。窓からの景色がよい。絵がかきたくなった。今日はここに家具が入る。松本民芸家具の黒っぽい色が8つ入る。落ち着きが出るはずである。左の下に風を入れる窓がある。反対側の高いところに風の抜ける窓がある。とても良い風が通り抜けてゆく。石垣の11月は過ごしやすい季節である。あまり湿気もない。

飛行場に降りた時、石垣に帰ってきたという気がした。こんなに気持ちが変わるものなのだ。あたりの様子も前回までとはどこか違う。この違いが絵に出てくるものなのか。

 

 

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安倍改憲論の破たん

2018-11-14 04:01:46 | Peace Cafe

安倍氏は公明党を忖度して、加憲という形だけの改憲論に変えた。その程度憲法改定をなぜこれほどの無理をして行うのか。自民党憲法草案が国民に受け入れられないと考えるからだろう。狙いは自民党草案であり後は何とでもできるという思惑。9条に自衛隊という言葉は加えるが、9条自体はそのままの形で残すという手法である。後は解釈の変更で何とかなるという破綻である。憲法を変えるなら、憲法の位置づけを明確にすることが前提である。憲法をないがしろにする人間が憲法改定を悲願にする自己矛盾。何故、こういう無意味な改憲論に拘るかと言えば、政治家一族の意地のようなものと考えるしかない。憲法改定を行った立派な政治家であると、名を残したいというような程度の低い意地ではないか。憲法というものは理想論に過ぎない。棚の上にあげて置き、現実の政治はそれとは別に行っているという実感があるのだろう。たまに憲法上問題がありそうな場合は、内閣法制局に新解釈をさせれば構わないというのが、アベ内閣である。こうした立憲主義とは程遠いアベ内閣には憲法の存在意義など理解したくもないのだろう。立憲主義における憲法はあらゆる権力に対して、こういうルールに基づき、政治を行えと制限を加えている物なのだ。

権力というものは自由に動きたがる。特に保守政権はその傾向が強い。そういう自由を自ずと持ちたがるものだ。権力者は自分の思い通り、制限なく政治を行いたいに違いない。憲法の制限で思い通り行かないことがあれば、憲法が邪魔だと考える。権力の邪魔になるように存在するのが、憲法である。例えばアベ政権のように近隣諸国が悪い奴らで、武力を増強し、日本に攻め込み支配しようとしていると考える権力もあり得る。先制攻撃をして、その力を弱めなければならないと妄想をたくましくする。すると、憲法を変えて自由にそういう暴力行為が出来るようにしなければ、抑止力にはならないと考えるようになる。憲法では平和的努力で国際問題は解決しなさいとされている。ところがそんなものは理想論で、現実世界の力の闘争を知らない奴のたわ言だと、占領軍アメリカの日本の力を弱めるための謀略憲法だと言いたくなる。日本の保守層の発想では平和外交などきれいごとで、現実社会では無意味だと結論を出している。ここにアベ憲法改定論の破たんが潜んでいる。

また、国民の多数派も安倍氏と大きくは違わない様に考えている。こうした多数派の武力主義への移行は世界的な傾向でもある。その背景は経済戦争が起きているからだ。強い国の関税要求を認めない奴は、経済封鎖だ。それでもいう事を聞かないなら、武力攻撃も辞さないぞと脅す世界。力で経済的な有利を導き出そうとしている。良い製品を作ることが経済競争であるはずなのに、貿易の不均衡に対して軍事力で脅かして変更しようとまでしている。自動車の輸入台数制限を認めないなら、核の傘から取り除くというような暴力主義である。まさに暴力団のメカ締め料取り立てと同じことだ。武力のある強い者が正義となる過去世界への先祖返りだ。こうした経済戦時下、大親分にたいして、いくら手下になるから許してくれと言っても、もっと上納金を持って来いと言ことになる。この事態を抜け出るためには、弱い者同士が、団結して暴力団お断りの正義を張り出すことしかない。一度メカ締め料を払えば、泥沼関係が生まれるだけだ。

おおよそこんなところがアベ憲法改定論のうまれた背景だろう。経済戦時下自由にやらせろ、そうでなければ日本はつぶされるぞという、怯えで歪んだ幼稚な弱小暴力団的考えなのだ。弱い者同士の連携だけが戦時下をくぐりぬける道である。断固暴力団お断りが、日本国憲法にある理想論である。日本が弱い国の連携を進めるためにも、平和憲法のある武力的には弱い国である必要がある。堂々と武力はないが、平和外交を進める。世界は弱い国ばかりなのだ。そうした国の灯台に日本がなる。格差の年々広がる状況に対して、弱いものの一人として日本国があるという正義を示すことが日本の正しい選択ではないか。世界の崩壊を食い止める唯一の道ではないか。少なくとも日本国憲法はそういう道を指し示している。

 

 

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河野外務大臣の不自然な変貌

2018-11-13 04:39:21 | Peace Cafe

河野太郎氏がおかしくなっている。信じがたい変貌である。2度話を聞く機会があった。なかなかの勉強家であるし、人の話に対する理解力もある人と見えた。ところが最近の様子は明らかにおかしい。人相まで変わっている。アベ政権の鵺に飲み込まれたようだ。総理大臣になりたいの一心が起こした変貌なのだろう。忖度の輩である。反骨精神のあった河野一族出身者にしては不甲斐ないではないか。朝鮮徴用工問題である。これがアベ一座での彼の踏み絵なのだろう。その為に外務大臣という紳士的でなければならない職務を、異様な形相で行っている。良心がある人間だから苦しいのでは無かろうか。日本がやってしまったひどいことを、近隣諸国ではいつまでも忘れてはくれない。忘れないどころかそれを政治利用してくる。日本の国民としては辛い。辛いことではあるが、永遠にその責任を胸に刻まなければならない。戦争というものは悪いことばかりである。帝国主義を後追いした明治政府の愚かさを憎む。

今同じような焦りが日本の社会に産まれ始めたようだ。世界の動向が一国主義である。経済戦争が始まっている。強い者が正義という野蛮社会に戻ろうとしている。アベ政権は韓国最高裁判決を即座に「判決は国際法に照らして、あり得ない」と興奮気味に発言した。安倍氏は韓国司法が政府の意向を反映して出した判決と決めつけている。日本では自分が司法を従わせているので、こんな発言になったのだろう。河野太郎はアベ木偶人形一団の座員になったようだ。徴用工判決は国際司法裁判所で裁判をすれば、日本企業が敗訴する可能性もある。しかも世界における日本に対する批判効果は、慰安婦少女像の比ではなく広がることだろう。支持されたいが故に、日本の大衆の感情論に乗っかっている外務大臣は哀れ。まさに、戦前の追い込まれた日本の姿の再現である。徴用された韓国人を思うべきだ。分かりやすく逆のことを考えればよい。日本政府がロシアと平和条約をむすび、補償問題や戦争犯罪は解決済みとしたとしても、シベリアに抑留された人の怒りが消えるわけではない。ロシアは戦争の賠償として強制労働させたと主張している。シベリア抑留された三人の方と親しかった。強制労働のひどい状況を克明に聞かせていただいた。樺太にいた人からは、侵攻してきたロシア兵の暴虐を聞いた。ロシアを絶対に許さないと、お会いする都度と言われていた。故郷であるにもかかわらず、もう2度と樺太に行きたいなどと思わないとも言われていた。

朝鮮の人たちに置き換えて考えてみてもらいたい。愛する朝鮮を日本の植民地にされ、日本に連れてこられて強制労働させられた。確かに韓国政府は日本と平和条約を結び、賠償金に当たるものを韓国の発展の為に利用した。国家間では解決済みの問題であるかもしれない。しかし、直接働かされた徴用工個人の被害は解決していない。金銭的賠償があったわけではない。国が解決済みだとしても、個人の気持ちが収まらないのは当然のことだ。個人が働かされていた会社に補償をして欲しいという主張は理解できる。しかし、日本政府の態度はまるで過去の過ちに対して顧みる気持ちがない。日本の河野外務大臣がまるでネトウヨやヘイトスピーチ集団と変わらないレベルの反応をしている。まず、過去の歴史を謝罪するところから話を始めなければ、両国の会話など出来ない。外務大臣というものは、感情論に一番遠い存在でなければならない。

アベ木偶劇団に参加させて貰った恩義があるのか。アベ一座の人間は稲田氏、下村氏、甘利氏、など妙に怪しげなところがある。怪しげなところを上手く押さえて、忖度させるのではないか。これがアベ座長のお坊ちゃんの汚さである。今度の新座員河野氏は次の総理大臣という野心を弄ばれている。誰がマネージャーなのか、スカウトなのかわからないが、政策で河野氏と安倍氏と結びついたとは思えない。座員にしてもらった以上、頭は木偶人形の振りと考えるほかない。外務省を通じて世界の日本大使館に、韓国の最高裁の判決の国際法上での問題点をアピールしろと指示をしているそうだ。そして、韓国政府の対応次第では国際司法裁判所に提訴するとしている。これでは感情的対応で、国民の反韓意識を煽るだけである。激して対応すればするほど、韓国の人たちの怒りを煽る。良いことはない。いや、たぶん安倍氏の憲法改定には有効な戦略の一つなのだ。アベ一座に踊らされてはならない。

 

 

 

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凶悪犯罪の増加

2018-11-12 04:25:28 | Peace Cafe

殺人などの凶悪犯は増え、二千四百八十六件(7・8%増)。殺人は四百六十四件(7・2%増)、強盗は九百五十二件(6・4%増)で、警察庁は「殺人や強盗が増えた明確な要因は分からない」としている。昨年の刑法改正で強姦(ごうかん)から罪名が変わった「強制性交」は六百一件(26・8%増)だった。

警察庁平成30年7月のデーター

凶悪犯罪が増加している。毎日の報道でも殺人事件が目立つ。人口が減少しているのに、犯罪数が7,8%も増えているという事は、曖昧に済さず原因を考えなければならない。にもかかわらず発表した警察庁では原因はよくわからないとして、終わりである。警察は犯罪の減少努力を怠っているのではない、と言いたいのだろう。殺人の原因が警察で分からないというのでは困る。原因は明確だ。家族の問題である。家庭の中の犯罪が増加している。その為に警察では防ぎ難い側面が出てきている。親が子供を殺し、子供が親を殺す。孫の祖父母の殺人も目立つ。家族崩壊が犯罪の増加の主原因である。家庭崩壊が起こる原因は社会の弱まりにある。社会の矛盾が家族に集約されてきているのだ。追い詰められた人間が、一番近い、弱い存在にその矛先を見つけてしまう。親が子供を殺してしまうなどという事は、よほど病的なことだ。社会が親という存在を病に追いやっていると考えた方がいい。

可愛いはずの子供を親が殺してしまうなど、想定外の事態が起きている。日本人の中に強く存在した家族主義。封建主義下の家族の姿が大なり小なりあった。家が個人よりも優先されていた。長男が家督を相続して、それ以外のものは家を成立させるための協力者となる。分家を作ることも、開墾などをして農地を広げる以外になかった。その結果人口増加も歯止めがあった。明治になり人の移動が可能になっても、人口を一定数よりも増加できない農村の社会状況から、移民政策が始まる。移民という名の棄民である。とんでもない不毛の地に棄民された日本人が多数存在する。満蒙開拓団なども農村の疲弊から始まったものだろう。原因は新興帝国主義国日本が、実力不相応の軍事競争に巻き込まれた結果である。今起きている事態は経済戦争の結果である。極端な能力主義が、子供たちを追いやっている。引きこもりの増加。分断の始まり。高い能力の者を作り出すことがお国の為である。軍事競争が敗戦によって終わり、今度は経済競争社会である。能力主義によって追い込まれた家族が増えている。追い込まれた人間は自分だけ以外のものが見えなくなる。

孤立させられた家族。分断された人間。地域社会の崩壊。希望の喪失。下層に位置したものには展望のない社会しか見えない。日本という国家の漂流が始まりかかっている。目標の持てない家族が精神の崩壊をきたす。その結果家族内の凶悪犯罪の増加が起きていると考えるほかない。警察庁は何故こんな明確なことすらわからないというのだろうか。分かりたくないということなのだろう。社会の在り方や、方向性に問題があるというような分析をしたくない。家族の再生が必要である。地域の再生が必要である。人間の暮らしを取り戻さなければ、家族内殺人は減少できない。どれだけ監視カメラを増やしたところで、家庭内に監視カメラは付けられない。人間の暮らしを取り戻すことは難しいことではない。過度の競争を止める以外にないだろう。他者との競争ではなく、自分を深めてゆくことに向うべきなのだろう。

 

 

 

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石垣島引っ越し2

2018-11-11 04:01:26 | 石垣島

引っ越しが済んでさぞやすっきりしたかと言うと、まだそこまで進んでいない。石垣への引っ越しは長期戦である。昨日は有明のフェリー基地まで自動車を運んだ。初めてのことでなかなかわかりずらかった。電話番号で入れたナビに従っていたら、なんと江戸川区役所という訳の分からないところに到着してしまった。そこからまたやり直しで、家から3時間もかかってしまった。最初から有明フェリー乗り場でナビに入れればよかった。東西海運という会社で探していたことが間違いだったようだ。場所を一時的に借りているという事なのだろうか。結局捜し歩いて、たどり着いた場所は入り口のそばだった。でもグルグル回っている間に、有明という港の様子が分かり面白い経験だった。都営の港のようだ。豊洲市場の周辺は工事中ばかりだった。車の輸送で心配だったのは荷物を車の中に置けるのかどうかだ。ネット情報では車に荷物を満杯にして送ったというのもあった。心配なので、控えめに座席の影位に載せておいた。一応保証は出来ないよという事で通過させてもらえた。将来もう一度引っ越しをするとすれば、石垣行きのコンテナを自分で借りることができないかである。コンテナの場所まで、レンタカーで荷物を運び、コンテナに自分で入れる。これが出来れば引っ越しも格安である。

家の方は荷物が減って、やっと人間が暮らせる家レベルかといえば、そうでもない。何しろ冷蔵庫がいまだ4台もあり、使っている。ごみ屋敷というより、お化け屋敷だ。冷蔵庫は捨てたことがないから、こういう事態になった。つまり今回石垣で購入した冷蔵庫は過去40年で5台目という事になる。1台10年間使用は普通レベルではないか。冷蔵庫というものは当たり前だが温度調整可能になっている。15度に設定すれば、お米や小麦の保存庫に適している。一般のお米の保存庫よりも断熱性が高いから、電気代はあまりかからない。15度に設定する方法は以前書いたが、要するに温度センサーを冷蔵庫内に付けて、それをコンセントの間に付けるだけだ。こんな利用の仕方をするから、冷蔵庫が捨てられないで溜まってゆき味噌部屋になる。古い冷蔵庫はもう40年前のものだから、これは電気は入れずに、ただの保存庫として使い分けている。ジャガイモや小麦粉など入れてある。自給農家というものは食糧保存が重要になる。そいういう事で冷蔵庫は捨てられないが始まり、4台の悲しい状況になっている。現役冷蔵庫は一台である。

整理をして、一人暮らし状態になんとかする。そこまで片づけないとどうにも落ち着かない。石垣に行くまでに後4日しかない。帰って来た時に、そのまま一人暮らしが出来るようにして出かけたい。試験勉強の前には机の片づけから始まる性格。食事関係はそのままいける。ずいぶん石垣の家に台所関係のものは送ったつもりだが、最小限の台所には程遠い。保存ガラス瓶が26個出てきた。これは早急になんとかしなければならない。ずいぶんいろいろを漬け込んできたものだ。増える一方であった。これからは漬け込まないから、中が空になれば捨てるだけである。何しろ漬け込んだからと言って、時間をかけ熟成したころに食べる当てがない。お酢でも、味噌でも、醤油でも何時まで作ればいいのか。梅酒だけで、まだ一升瓶で20本はある。あと一年で飲み切るつもりだ。先日東京から運んできた、40年物の梅酒を飲んだ。美酒であった。保存が良かったのだと思う。洗濯機は2台あったから、一台は残した。洗濯はやっていなかったので、昨日練習してみた。何とか出来そうである。

石垣に荷物が付くのが15日になる。14日の午後には石垣港に車は到着する。この車を引き取り、引っ越し荷物の受け入れ準備をする。インターネット接続など、予測がつかない要素がある。石垣のドコモショップがもう一つ状態だった。インターネットのプロのはずが、もう一つ情報が鮮明でない。テレビは9月から新しい方式に変わったらしく、調べていた私の方が詳しかった。エディオンという大きな電気屋さんがあり、価格も小田原と変わらない。テレビやエアコンはここで購入したのだが、ここでもテレビの受信について、良く分かっていなかった。私が間違っているのかもしれないので、正直接続するまで不安がある。前回行ったときにお願いした畳屋さんに沖縄イグサの畳を取りに行く。畳ベット用である。玉那覇酒造さんで玉の露 金 の古酒を壺に入れてもらう。引っ越し記念である。一斗壺なので、これを毎年飲んだだけ継ぎ足して行こうと考えている。

 

 

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100歳の健康法

2018-11-10 04:23:00 | 暮らし

腸にいる微生物が人間の調整をしている。こういうことはほぼ共通認識になってきた。その微生物は人間の細胞の数より多いと言われている。という事は人間は微生物の塊が中心でそれに依存して存在する寄生生物と言えるかもしれない。そう考えると愉快だ。細胞は日々生まれ変わっている。微生物も日々生まれ変わっている。昨日の私は今日の私ではない。良い自分になりうる可能性が開けている。微生物は生まれ変わりながら、その傾向は引き継いでゆく。細胞も同じで変異を起こせば、病気という事になる。大きな変化が起きない様に調整してゆくことになる。100歳を生きる時代と言われている。腸、腿、心の3拍子が揃えば、100歳は確実なことになる。腸を鍛えるのは、発酵食。腿を鍛えるのは、日常生活。心を鍛えるのはなかなか難しい。私の場合は絵を描くことになる。

歩くという事が健康には重要である。これもほぼ共通認識である。それは腿の重要性だ。腿が人間の体温調整をしている。これは私の推測。発酵には温度が重要である。経験的にそう考えるようになったのは、腿を温めるとか、腿を冷やすという事が、体調の変化をきたすという経験からだ。足を冷やしてはならないという意見がある。それは腿の調整のように考えた方がいい。足が冷えると腿も冷える。腿の先に足があるのだから当然である。足先が冷えるというのは結果論なのだ。腿を健全にすることを考えた方がいい。よい腿を作ることが健康な体には重要な要素になる。だから歩くことが大切になる。私は歩数計で4か月ほど記録してみたが、平均で1万1千歩である。2万歩を超えたことは過去4回ぐらい。最小が6000歩ぐらいである。自給農業者はだいたいこんな具合だ。腿は現状では年齢の割には良い状態である。体脂肪は10%。内臓脂肪が5%。有酸素運動レベル64。安静時心拍数平均58。

腸の方の注目点は、ウンコとオシッコである。排泄物は、食べ物のカスではない。食べたものが吸収しきれないから、廃棄物となって押し出されるという流れではない。内観法の結果なので、人様の身体は違うかもしれないので注意事項。食べたものの大半は一度身体が吸収する。そして、身体が不要となった廃棄物を、ウンコ、オシッコとして廃棄すると考えている。もちろん食べたもので消化されきれないものがウンコになるという側面もある。そんなものはごくごくわずかな異物である。全体から言えば、微生物や微生物の廃棄物、そして微生物の死骸。この方が量は多い。それくらい腸では微生物が吸収の手助けをしてくれている。だから、体内から絞り出された排泄物で健康の確認をする必要がある。微生物の活動状態は一番よく分かる。オシッコも同じだ。飲んだ水を必要な分だけ吸収して、その残りが排泄物として出てくるというのではない。腸の中の状態をよく保つためには水分量が重要である。それは発酵を考えれば、かなり厳密な数値で温度と水分量が影響する。

腸と腿よりも健康に重要な機関が人間にはある。心である。心がかなりの部分を調整している。脳というより心と言った方が良い。心と言っても心臓ではない。気持ちの方である。病は気からというが、気が衰えれば身体などひとたまりもない。だから、100歳まで生きると決めた。その前提で考えた方がマシだ。前向きな気持ちを持つ。これは意志的なものだ。信念でも良い。その為には目標がなければならない。これをやり遂げるためには健康を害することはできないという決意である。この気で体内の状態も違ってくる。この気を発するのは脳である。脳トレなどというボケ防止があるようだが、あんなもので脳の活力増加は期待できない。気を強めるためには、頭を活発に使うというようなことではない。丹田を鍛えるという事に近い。いざという時に動じないような気力を充実させてゆく。まあ、そこが修行である。生きることに真剣に向かい合うという事になる。私には絵を描くことになる。心を強めるというより、深くしてゆく。奥底まで知ること。分かればだいぶ違うと思うのだ。

 

 

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外国人労働者問題

2018-11-09 04:39:45 | Peace Cafe

外国人労働者が日本には今もいる。耐えられないで不法就労になる人も多い。世界から日本の今のやり方は人権上問題があると批判をされている。香港や韓国は批判をされていない。アベ内閣はこの異常な就労状態を拡大しようとしている。そしてあくまで移民ではないとしている。その理由は日本に必要な人以外は入れないという事のようだ。私は外国人労働者を入れるのであれば、移民として受け入れる覚悟がいると考えている。国というものはそういうものだと思う。安倍氏は国家主義者のくせに、国という枠組みを持っていない。安倍氏は鵺だから、実にご都合主義だ。安倍氏の口ぶりでは労働力不足なので、ロボットを導入するという意識と同じなのだ。人間ではなく、労働力で済ませると考えている。都合よく利用して、5年経って日本の社会に入り込みそうになれば追い返す。5年経って大丈夫そうな人材だけは、受け入れを延す。こんな扱いはまさにロボット意識である。これで済まないのが人間である。日本という国の在り方にかかわる、非人道的な問題がある。日本人は気づかず、人種差別をしているが、人間すべてを同等のものであるという意識を普通に持つ人々だ。

仕事とは何か。働くという事は何か。そこには暮らしがあるはずだ。人間の生きるという姿がある。人間が良い仕事をするという事には、その仕事に命をこめる喜びがなければならない。そういう本当の仕事部分を日本人は行い。単純労働を外国人労働者がこなす。それが都合が良いという事に日本社会がなってきている。嫌な社会が産まれそうではないか。差別の社会ではないか。格差社会の下の階層のさらに下に新しい階層が生まれる。日本人にはなれない人間外という階層を設けようという事ではないのか。日本人の下層の方がましだと言いたいのか。分断社会が近づいている。まだ今の日本は良い国だと言える。善良な人々が、排除はされない領域が残っている。自給生活者が居場所がある世界が残っている。世界で台頭している、一国主義の普通の国にはなってもらいたくない。

経済戦争中の日本は日本の経済の為であれば、何でもありである。なりふり構わず国家資本主義に進もうといしている。明治日本帝国が植民地をやったように、外国人労働者の使い捨てをしようという事だろう。植民地時代の徴用工問題では、日本人以上に過酷な仕事を押し付けた。同じようなことが起きないであろうか。民族間の問題は簡単なことではない。日本は都合の良い労働力を想定して受け入れようとしている。しかし、いま世界で起きている不法移民問題は、世界経済の格差の深刻化で崩壊しかかった国から追われるように脱出している人々の問題である。その国にとどまっていたとして暮らすことができない。脱出してボートピープルになって死んでしまうかもしれない。それでも逃げ出す以外にないという深刻な事態が世界の各地で起こり始めている。こうした移民圧力がある中で、日本だけ都合の良い、優良で、勤勉な労働力の受け入れで済むはずがない。そうした甘い空想は想定外の事態で破たんする。労働力を受け入れるというのであれば、移民を受け入れる体制の整備が必要なのだ。

韓国では外国人労働者が5%ぐらいいる。フランスで6%だ。このやり方をまねてやろうというのが、アベ政権の考えと思われる。韓国でも問題は多発している。韓国では外国人労働者を希望する中小の企業は、まず韓国人の募集をする。それで人が来ないときには外国人を希望するという事らしい。ところが新卒の大学生の10%が就職できないでいる。中国や韓国では分断がすでに起きている。日本人がやらない日本人の食糧を作る仕事。外国人が日本を支えるという構造が嫌だ。日本の甘い社会が世界の寒風に晒される。まず、その前にやることがある。日本の地方消滅はどうするのか。人口減少問題にどう対処するのか。食糧自給はどうするのか。アジアの一国としてどういう外交を展開するのか。日本という国をどういう方向に進めるのか。アベ政権の目指す明治帝国主義日本に戻ることで良いはずがない。明治日本が世界に対して無知なあまり、アジア諸国を軽視するという愚かな外交政策をとった。遅れたアジアを日本が救済するというような驕りである。外国からくる労働者を、アベ政権は把握できていない。

 

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石垣島引っ越し法

2018-11-08 04:48:45 | 石垣島

石垣島への引っ越しはかなり大変である。費用が普通の引っ越しの3倍近くかかる。間に船が入る。船にはコンテナで載せる。その積み下ろしがある。コンテナが小田原の家そして、越してゆく石垣の家に横付けられればまだいいのだが、どちらもトラックでの積み下ろしが必要になる。家の条件がとても悪い。そういう場所が好きだからしょうがないとは言えるのだが。普通の引っ越しよりかなり手間がかかることになる。11月7日の10時半小田原の家に石垣引っ越し便の池田さん達6人が来てくれた。2台のトラックである。そこから荷物を一気に運び始めた。大変な荷物を手際よく運んでくれた。てきぱきと、一気に1時まで運び続けた。見事という運び方であった。絵の入ったタンスなどは300キロは超えていると思う。それを4人でなんと持ち上げた。専門家とはいえすばらしい仕事ぶりだ。11月15日が石垣の家への搬入になる。こちらはさらに大変な仕事になりそうである。不安が膨らむ。

彫刻の関係のもの。そして私の絵に関するもの。2つ併せるとなかなかの荷物になる。2つのアトリエの引っ越しだから、仕方がないのだが、それにしても荷物がすごい。半分以上は廃棄したのだがすこしも減った感じがない。生前整理のつもりで、ここ2,3年は毎月最低は軽トラ一台分は捨てるという事で来た。それでもこんなに荷物があるという事が恥ずかしくなる。生前整理は1年間使っていなかったものは捨てると言われているが、年に1回でけは使うというものが山のようにある。捨てればまた買わなければならないものが山のようにある。それが絵を描くという事のようだ。面倒くさいところがある。何か仕事をしている以上生前整理にも限界があることを思い知った。絵を描いて生きようというのだから、どうして生涯無一物という訳にはいかない。

それでも、なんとかかんとか、荷造りを進めた。私の本の類は段ボール箱に7つだけにした。どれも死ぬまでにもう一度読みたいものだけにした。絞りに絞り限界である。水彩画は保存ダンス2棹が一杯になった。もっと減らす方が良いのだが、もう少し描き続けたいという絵が山のようにあり無理だった。古い油絵の類はすべて持って行かない。小田原に残してどうなるかはわからないが、持って行かないことにした。押し入れにぎっしりある。恐ろしくなるがこれもどこかの段階で処分するほかないのだろう。アイランデクス株式会社「石垣引っ越し便」という大阪の会社にお願いした。離島専門に引っ越しをしているらしい。ネットで見つけた会社である。3か月前に連絡をした。下見と見積もりに来てくれた。とても紳士的な池田さんという方だった。いわゆる、引っ越し業者さんにも見積もりをお願いしたが、そこよりかなりの低価格であった。有名な引っ越し業者さんは明らかにやりたくないという感じでもあった。石垣には引っ越し業者さんというものはないから、港から引っ越しする家までは専門業者ではない運送業の人にお願いするほかないのだそうだ。こういう面倒な仕事は大手の引っ越し会社は気乗りしない。

石垣の越して行く家が狭い路地の先なので、ここがまた厄介なことになる。その石垣の運送業の人が、どうしたらいいのかを下見してくれた。お隣から入れさせていただくしかないという事で、工事に引き続き通していただくことをお願いをした。「玉那覇酒造所」さんである。古酒を寝かす倉庫が隣にある。生涯玉那覇酒造所の泡盛しか飲まないことにした。駐車場を通させていただくことになっている。有難いことだ。石垣に着いたならば、古酒を記念に一壺入れてもらうつもりだ。良い壺を運んだ。

 

 

 

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コンピュター絵画の時代へ

2018-11-07 04:15:44 | 水彩画

米競売大手クリスティーズは26日までに、人工知能(AI)技術を使って描かれた絵画が、43万2500ドル(約4800万円)で落札されたと発表した。同社によると、「アルゴリズム」(計算手法)と呼ばれるAIの関連技術で制作された芸術作品の競売は世界初。予想価格の約45倍の高額落札という。

アルゴリズムで描かれたといってもよく分からない。アルゴリズムというのはコンピューターの思考方法だ。結論に至る最適な方法を手順よく進めるという事らしい。囲碁ではデープランニングというコンピューターの手法で人間を超えた。こちらはコンピューター自身が対戦を行いながら、強くなったという事だ。問題点を自分で改善できるという事らしい。絵画であれば、良い絵とされる静物画を記憶させ、リンゴ3つを描けばどうなるかというようなことをやるのであろうか。こういうのは私は絵だとは思わない。描く技術については、人間のレベルなど簡単に超えられる。ここまでは私は50年前に想像していた通り成り行きで、怖いくらいだ。機械がやるようなことを人間がやってどうするのかという事を、自分の絵の方向と併せて考えていた。悩んだ末、過去にあるものをなぞるようなことは、芸術ではないと結論した。技術的に他より優れているなどという事は、遠からず無意味になると考えた。それから自己否定する事が出来るかと進んだ。

かつてないものを描くという事が芸術であるとしたら、コンピューターが考える次の芸術としての絵画はどうなるのだろうかということには興味がある。かつてあるものから磨き上げるというのは職人の仕事であり、芸術ではない。ルールがあるゲームであれば、必ずコンピューターの方が上になる。良い絵というルールがあるとしたら、コンピュターの絵が勝るに決まっている。コンピューターの絵は商品絵画としては、人間を超える。それを芸術と呼び、人間がそこから感動を受けるのかに興味がある。囲碁ではコンピューターの手筋に人間が感動している。囲碁は遊びだからそういう事である。機械が増産できる絵はどれほど良い絵であるとしても、少なくとも私が目指す絵ではない。同時代の人間と競争し、評価されるなどどうでもいいと20年ほどやって分かった。分かって行き詰った。何のためにやるのか理解できないことを平気でやれるような人間に、芸術など作れるわけがないと思えた。そういう生意気な人間だったから、人に褒められる方向には進めなかった。

すばらしい絵を描くのはすばらしい人間だと、当たり前に戻って考えた。素晴らしい人間になるために得度をした。禅の修行のまねごとをした。まさに乞食禅である。ここが昔から今に至るダメなところなのだろう。その頃、三沢智雄先生や山本素峰先生の素晴らしい人間という姿に圧倒されていたのだ。素晴らしい人間になって素晴らしい絵を描きたいとあがいた。これも石膏デッサンをやるのと何ら変わらない馬鹿馬鹿しいことである。本当に生きるという事がない。それに気づいたのは40のころである。それで山北での開墾生活に入った。自分の為に描ければいいという事にならざる得なかった。ダメな自分であるのだから、ダメな絵を描けばいい。絵は自分の自覚の為のようなものだ。まず、見ているものを見えているように描いてみようと考えた。コンピュターであれば、見ているように描くというのはどんなものになるのだろうか。多分コンピューターには写る景色はあっても、レンズを変えれば、顕微鏡のようである。あるいは望遠鏡のようである。赤外線レンズかもしれない。人間が感じて見ているという事をどう分析するのであろうか。

コンピュター絵画が未来社会に登場するという事は、モナリザが必要な人にはモナリザを何枚でも複製できる。ゴッホの向日葵を部屋に置くことでもできる。コンピュターが制作する、さらに素晴らしい絵というものが出てくる可能性はある。しかし、私が私の興味と喜びで制作するという水彩画だけは残る。絵を描くという行為にある魅力だけは尽きないのではなかろうか。そいう自分というものにどこまで真っ当に迫れるかが絵をかくということだと思う。言い過ぎれば、人間が生きるという事はそういう事ではないのか。商品絵画の世界は、変わってゆくことだろう。職人技では勝負に負ける。人間が人間らしく生きるという事の意味が、より明確にされる。

 

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国家資本主義では自由に生きられない。

2018-11-06 04:19:15 | Peace Cafe

小学生のころは未来の社会は今の現実社会よりも、当然良くなるのだろうと思っていた。父が明治大正の時代をひどい時代だったと常々言っていた。迷信がはびこっていた暗い空気と封建社会の家長制度を特に嫌っていた。それが戦後社会はずいぶんよくなった。戦争に負けたことも悪いことばかりではなかった。もし日本が勝っていたら、よほどひどい社会になっただろうと言っていた。父は次男であり長男と食事まで区別されていたことがとても不愉快だったようだ。長男以外は上ってはいけない部屋があった。私も一度だけ体験がある。油川の本家に行き上の座敷には上げてもらえず、一段低くなった台所で食事をさせられた。こういう事かと封建制度というものを感覚で理解した。台所で一緒に食事をした女性たちは全くその状態を受け入れていて、何の意識もなかった。むしろ気ままで楽しそうだったことが却って印象的だった。1950年代は確かに世の中は一年ごとに良い方向に変わった。国家主義から個人主義への転換。

親を批判するときには封建的という言葉を使うと決定的であった。まだ迷信は残っていたが、消えてゆくのように見えた。親の祟りが子にのような思想が、まだ戦後社会にも普通に蔓延していた。封建制と迷信。その背景にあるものは貧困。自由で豊かなアメリカのようになれば明るい社会に変わるとなんとなく想像していた。敗戦からの復興とともに貧困というものは消えていった。普通に働けば、徐々に生活は良くなって行く。高度成長期においては、日本が世界一の経済大国になるというようなことまで言われた。貿易立国である。安い、勤勉で、優秀な労働力を背景にして、日本の製品の評価は日増しに高くなり、年々日本は豊かな国に変わった。豊かになるとともに国というものより、個人の生き方が大切にされるようになった。その時期に成長期を過ごした年代が団塊の世代である。未来社会での自分の暮らしに希望を持てる時代。ところが、70年には社会は転換期を迎える。このままでは多くの日本人が持っていた、希望に満ちた豊かな日本社会は不可能だという事に気づき始めた。日本が自信というものを失う。と同時に明治日本に戻る兆候が表れ始める。格差が強まり、階級社会の再現。民主主義の弱まり国家主義の台頭。

社会の変革は出来ないまま、大学紛争程度に矮小化されて過ぎ去った。そして日本社会は予測されたような閉塞した階層のある社会になった。世界に国家主義が復活を始めた。明治時代の迷信と封建性は形を変えて復活をしたように見える。その背景には貧困の出現がある。貧しいがゆえに、差別というものを無意識に受け入れてしまう。差別されていると見える若年層にはそういう被差別意識はむしろ少ないように見える。差別社会というものには自覚がないようだ。何しろその若年層が、貧困層などないと考えている人が多数派のようだ。このまま進むことになると貧困層がトランプを支持したように、外国人移民を差別することこそ、自分たちの優位性を感じられるという事になりかねない。日本に外国人労働者が入るという事は、日本の貧困層対策にもなるという意図が隠されている。階級社会は士農工商の下に、もう一つの階級を設ける。

小学生のころには貧困は無くなると考えていた。未来社会はアメリカのホームドラマのような、自家用車に乗って、電気冷蔵庫のあるような暮らし。差別も人間がマシになり無くなるように思っていた。アメリカの現実を知らずに、希望だけを感じていた。社会は一人一人の自由を認めるようになるのだろうと思っていた。それは科学の進歩のように、黙っていても自然に良くなってゆくものだと漠然と考えていた。所が科学の進歩が良いことばかりでなかったように、社会は希望を失い、個人の尊重よりも国家が言われ始めた。アベ政権の目指す、経済至上主義の結果が、階層社会を作り出そうとしている。階層は徐々に明確化し新しい形の貧困層が生まれている。同時進行的に民主的な社会は日に日に後退している状況ではないだろうか。日本には特権階級が生まれ始めている。その為の国家主義なのであろう。能力のある人は優遇されるべきだという考え方が普通になり始めている。 経済戦争の中で、国家資本主義の台頭。国家の為の能力主義が人間の自由を奪う。問題はここにある。

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住んでいる家の生前整理

2018-11-05 04:29:59 | 暮らし

機械小屋の片付けが進んでいる。思わぬことから始まった移転であったが、片づけをしながら気持ちの整理がかなりついた。私の養鶏もこれですっかり片付いたという事である。子供のころからの夢が終わったという感じだが。やれることはやったので寂しさが湧いてくるという事もない。夢の後片付けもなかなか大変ではある。ずいぶんあれこれと夢の風呂敷を広げて、あちこちがツギハギだらけである。風呂敷に空いた穴を自分で繕う事の出来る間はまだ良かったが、今やらなければ穴は広がるばかりのていたらく。養鶏場をきれいな更地にして地主さんにお返しするのが、今の私の役割だと考えてしっかりとやりたい。石垣への引っ越しの前にこういうことが出来て少し安心をした。農の会は争いごとがなく、穏やかに楽しく。気持ちの良い活動でなければならない。今度作っている機械小屋はだいぶ使い勝手の良いものになりそうだ。駐車スペースが充分とれたことが大きい。家の周囲にあれば、眼も届くのでひとまず安心な機械小屋になりそうである。やはり借りている場所では限界がある。

舟原の家の方は生前整理するつもりだ。良い形で未来につなげたい。家だから、誰かに販売してしまう事も出来ない訳ではないが、今の気持ちとしては小田原に戻った時に自分が泊まるところが確保されていればそれでよいと思う。そして、うまく農の会で使ってくれればありがたい。家や財産を相続するような親族はいない。このままでは廃墟になる。そういう家も多くあることだろう。地方によってはすでにそうした状況が始まっている。親族がいたとしても、そこに戻ることがないことが普通になっている。家が明確な意図のないまま放棄されて、空き家になり荒れ果ててゆく。近所にとっても甚だ迷惑なことだろう。地域に一つでもそういう家があると、地域の雰囲気は悪くなる、その上不安なものだ。舟原の家も建てられて100年の家だ。なかなか良い作りの家である。まだまだ、100年は使える家だ。住み始めてからも何度も改修をした。雨漏りはない。床下には炭が大量に入っていて、今は比較的良い環境になっている。そこに味噌などをしまう事も出来る。

この家は出来れば農の会の家になればいいと思っている。しばらくは私の寝泊まりする部屋もあり、誰もが使える場所になれば最善である。管理をしなければならない訳だが、この点が現在の課題である。集団で管理するというのは良いようで、難しい点がある。やはり、見識のある人にお任せしないと無理だと思っている。石垣に家は10月末にはできる。カヨ子さんは一足先に引っ越す。当面舟原で一人暮らしになる。少なくとも来年一年間は舟原で暮らし、石垣には絵を描きに通うことになるだろう。その先のことは、始めて見なければわからないが、まずは2地域居住だと思っている。身体がいつまで動けるかで、だいぶ状況は変わる。田んぼや畑が人並みにできる間は自給的な農業のまとめをやりたい気持ちがある。遠からずできない時が来る。あと1年はやれそうである。その先何処で衰えるのかは人によってずいぶん違う。何とか自分で整理ができる間に結論は出さなければならない。

生前整理とは次の世代への引き継ぎという事なのだろう。十二分に生きるという言ことにまい進するために、整理する必要がある。生来無一物。十分に生きるという事は自分の始末もきちっとやるという事を含んでいるのだと思う。農の会の始末もしなければならない。後の人が気持ちよく活動できる状態にしたい。活動を続けるも、終わりにするのも後の人たちが自由に考えて決められる状態が良い。そういう引き継ぎ方がしたい。生きるという事は地球という場所をお借りしてしばらくを過ごすという事のようだ。過ごし方が面白く、充分であればいいという事なのだろう。まだ、家をどうすれば良いのかはわからないが、一年間この家に暮らしながら、未来につながる形を見つけたいと思っている。

 

 

 

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単管パイプの機械小屋作り

2018-11-04 04:23:54 | あしがら農の会

農の会では新しい機械小屋を作った。機械小屋を自作する能力がなければ、自給農業は出来ない。江戸時代の百姓仕事はそいいう事も含んでいた。農閑期に大工としてとか、酒造りとか、何でもこなしたのだ。観察という意味では、研究者でもある。大規模農業で外国人労働者を使う農業は細切れにされたある労働を担うという事になる。工場で働くようなことに近いのだろう。一番手軽に作れるのが、単管パイプで作る小屋だ。まず整地をして、単管で柱を立ててから、コンクリート打ちをする。その後単管で骨組みを組んでゆく。単管に垂木クランプを付けてそこに波板を打ち付けて作る。屋根も同じである。大型台風でも壊されないものが作れる。大きさは5m×18mである。90㎡と籾小屋が一坪。駐車が下に7台分新しく作った。前からある駐車スペースが広がって8台。上の機械小屋の前が3台として。何とか18台は止められる。機械小屋の中にはバインダー4台。ハーベスター3台。籾摺り機。トラックター2台、足踏み脱穀機、とうみが2台。枝シュレッダー。洗浄機。コンプレッサー。が入った。そのほか3つの田んぼの苗箱などが置かれている。コロガシやとんぼ。線引きなどの農機具類もかなりの量ある。

工事は10月18日に始まった。そして、11月2日に第一期工事が終わった。13日間の工事であった。駐車場作りと旧機械小屋の解体移動。そして、新機械小屋の整地から建設と一気に行った。加えて私の家の周辺のガラクタの片づけまでやった貰えた。膨大な仕事量になったが、農の会のみんなが協力してくれて見事に完了した。多いい日は10人を超える人が集まって作業をした。有難かった。今安堵の気持ちと幸福な気持ちでいっぱいになっている。大変なことだが、楽しかった。みんなで心を併せて作業をするというのは楽しいものだ。農業も好きではあるが、みんなで何かをするという事が好きなのだろう。農の会をやってきてつくづく良かったと思う。7日に石垣島への引っ越しである。その前に農の会の機械小屋が整備が出来たことは最高の喜びである。ここまで早く進むとは思ってもいなかった。もう一年私は小田原に残る。その先のことまではまだ見えないが、これからの一年間で私が行ってきたことの引継ぎが出来ればと思っている。残った工事は旧養鶏場のコンクリートの片付けと新機械小屋の前のコンクリート打ちである。これは、旧養鶏場の片付けが終わってからという事になるので、早くて、13日あたり、遅ければ19日ぐらいになる予定だ。

すでに90㎡ある機械小屋がほぼ満杯になった。機械整備を兼ねて、倉庫全体を整頓する必要がある。農業を行うには程度は違うだろうが、それなりの機械が必要になる。倉庫がなければで農業はやりにくい。機械を一切使わない主義の人でも、シャベルや鍬が置ける農機具置き場や、お米の保存スペースなどなかなか普通の家では難しい側面がある。軽トラがなければ、自給農でも不自由することはある。堆肥を運ぶとか、農機具を運ぶという時に軽トラには必要になる。こうした部分を共同利用できれば、アパート暮らしでも自給農に成れる。耕作放棄地で困っている行政はこんなところに目を付けるべきだ。共同の農機具。共同の保存庫。精粉の機械。JAが本来ならやるべきことなのだろうが、自給農は当然枠外である。であれば条件不利の耕作放棄地はどうなるかである。もうそういうことを言っていられる状況でないと思う。自給農受入の設備を作り、新規就農者を歓迎することだ。

以前は雨の時には機械小屋で食事を食べたりもしたのだが。今度はそういう場合私の家がそばにあるのでそちらが使える。私の家全体を農の会の活動拠点にしてもらえればと考えている。機械小屋と活動拠点が隣接しているという事は、今後の活動にとって条件が良くなったと思う。利用の仕方は今後の課題であるが、家の方も上手く使ってもらえれば、私のやってきたことも無駄ではなかったことになるのでうれしい。大豆の会関係の大釜などもかなりの量あったのだが、これはすべてまごのりさんの倉庫に置かせていただいた。まごのりさんの広い圃場で味噌づくりなどをやらせてもらう事になったので、その近くに道具があれば便利という事で、倉庫を分離した。まごのりさんの好意がありがたい。今後の大豆の会の活動が新しい展開になることだろう。まごのりさんの圃場の草刈りぐらいはみんなでやれるといいのだが。みんなにとって良いということ以外は、続かないものだ。

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与那国島の99回目の議長選出

2018-11-03 04:08:01 | 暮らし

テレビでは面白おかしく、与那国島の議長選出のできない状況を表面だけを報道していた。地方議会の状況が良く見えた事例なのに深堀が出来ない。ともかくどんなに小さな議会であっても政治はある。想像するに歴史教科書問題があるのではないか。だから教育長を誰にするかが重要になる。私の嫌いな歴史教科書を選択しようとする動きが八重山諸島で起きている。簡単に言えば、右翼的教科書を使わせようという活動が起きている。石垣島でも、どうもおかしな画策があるらしい。情報少ないので本当のところは分からないのだが、想像力だけであるが。ここから先が調査報道ではないのか。テレビ報道の取り上げ方は、田舎の議会は幼稚でいこじで、話し合う能力すらないというバカにした空気。まったく状況が理解できていない。6時のニュース番組で偉そうな大学の教授という輩がとんでもない発言を当たり前のような口調で語った。もうこれには怒り心頭である。「与那国島は日本の防衛の重要拠点である。馬鹿なことを何時までもしていてもらっては困る。」こんな解説をしたのだ。許せない。

与那国島は最近自衛隊のミサイル探知基地が出来た。この時住民投票がおこなわれた。受け入れが僅差で決まった。人口1500人余りの島に自衛隊関係者200人が移住した。家族での移住が基本らしいので、その後はもう少し人数が増えているのかもしれない。自衛隊員は島の中に分散して暮らす方針で、あちこちの集落に暮らし始めていると聞いた。自衛隊員の家族は地域の活動には熱心に参加する。そう指示が出ていると考えた方がいい。それは悪いことではないが、30人ぐらいの集落の集まりに、若い隊員が4人参加していることになる。自治会活動が良い方向と悪い方向と両面で変貌してきたらしい。従来の島民の意識の方が変化をしていると聞いた。自衛隊員は村の祭りなどにも熱心に参加して、協力的だそうだ。良いことである。しかし、どうしても昔の慣習的なものとは違う。新しい関係が生まれて、昔からの人が集落の行事に少し白け始めていると聞いた。集落の活動への参加者も減ったとある。移住者の場合は、島を離れる人もいるらしい。1500人の島に200人の自衛隊員が暮らし始める実証実験のようなものだ。自衛隊員は移動がある。島の人たちの暮らしや意識がどう変わるのだろうか。

日本の南西の端にある島だから、何故防衛の最前線と決められるのか。全く現代の戦争に関して無知というしかない。政治的に重要な地続きの国境地域というのならわかるが、軍事的重要拠点はむしろ東京であろう。原子力発電所とか、ミサイル基地である。国境に近い島であるからというような発想は実に古臭い腐った頭だ。産経新聞レベルである。腐っていないならまだマシで、悪意が込められている。対中国の緊張を高めるためである。尖閣諸島を国有化した意図の延長である。中国を仮想敵国にして、日本の軍国化を進めようという発想である。その場合、確かに中国に近い島が脅しには最適である。日本の憲法に定め張られた平和主義を無視する行為である。日本の平和主義とは、国際紛争を軍事力をもって解決しないという考え方だ。平和的手段を駆使して、近隣諸国と仲良くしてゆくという、ごく当たり前の考え方である。小学校の道徳の時間にお友達と仲良くしましょうと、指導されていることと同じだ。原則的であり、崇高すぎるものではある。

アベ政権では沖縄は日本の防人に成れと、仮想敵国に対する防衛戦線という意位置づけである。沖縄が攻撃を受け占領されるという事を前提に、奪還作戦が計画されている。与那国島のミサイル基地は捨て石という意味での、軍事的な重要地点という事になる。それが今八重山諸島から奄美群島までミサイル基地を配置して中国と敵対するというのが、中期防衛計画である。これが間違った選択である。中国の南沙諸島の基地化とどこが違うというのか。中国の拡大主義に問題があるから。日本もそれに対抗する。この考え方自体が、日本国憲法に外れている。だから、アベ政権は憲法の改定を主張している。自民党憲法草案という事になる。与那国島の小さな議会は幼稚なのではない。民主主義の根幹の問題を含んでいる。日本の防衛というような、国の専権事項に対して、地域住民の意思は無視されていいのかという事だ。石垣島でも自衛隊基地に対する、住民投票の署名活動が始まっている。今沖縄で起きている、米軍基地、自衛隊基地の問題は、日本の民主主義にかかわる問題なのだ。自衛隊員の200票が与那国島を変える。もし票が足りないのであれば、自衛隊員の数を増やせばいいという事になる。

 

 

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韓国徴用工の問題

2018-11-02 04:00:36 | Peace Cafe

韓国の最高裁判所で戦時中日本で強制的に徴用工として働かせられた韓国人に対して賠償すべきという、判決が出た。大半の日本人がもういい加減にしてくれと、不愉快な気持ちになったことだろう。私にもそういう気持ちがないと言わないが、公正に考えるとある意味正しい判決なのだ。個人の被害に対して、国が一方的に請求権を放棄できるかという問題である。名古屋の三菱で飛行機生産をさせられていたとある。私の母と同じである。母は名古屋の大学に行っていたのだが、戦時中なので、学校に行くより学徒動員で飛行機の製造工場で働いていたと話していた。朝鮮の人もいたと話していた。別の棟の工場で分けられて働いていたと聞いた。母と同じ工場の可能性がある。名古屋で大地震があり、工場が壊れた話。又工場に爆撃があり逃げ回った話をしてくれた。母はいやいや強制労働をさせられたという感じではなく、お国の為に必死に働いたと言っていた。母は軍国少女だった気がしている。同じ工場で働いていても、植民地から連れてこられた朝鮮人にしてみれば、複雑な思い、我慢できない気持ちがあったのは当然であろう。従軍慰安婦問題も同様である。解決など不可能な怨念が横たわっていることを考えておく必要がある。忘れがちな日本人への警鐘である。特に安倍政権の最近の軍国主義復活の姿勢を考えれば、当然なのかもしれない。

日本国と日本人はすべからく、この問題に対して謝罪の気持ちを持つ必要がある。そして、謝罪を繰り返したとしても、ぬぐい切れない傷が残るという事も覚悟しなければならない。若い人たちであっても、関係ないとは言い切れない問題である。国や民族が関係する、差別につながる問題については、差別され利用された側の視点に立ってみることが大切なことになる。日本政府は直ちに、韓国政府に対してすでに55年前に解決済みのことだから、その前提で対応するようにと安倍総理大臣が記者会見をした。もし、賠償を請求するのであれば、国際裁判所で判断してもらう事になるとも発言した。このことは忘れずやってもらわなければならない。アベ総理大臣の言葉の端々に、怒りが溢れていて謝罪の気持ちが全くない点が気になった。日本人として怒りの気持ちになることは理解できない訳ではない。しかし、そこをこらえて、過去の過ちに対して謝罪はすべきである。その上で、すでに両国政府が話し合いで、問題の解決を目指したいと言えばいいのだ。韓国政府に直接的には対応してもらう以外にないので、何か方法を両国で話し合いを持つという事だろう。

このように植民地を作り、戦争をしてしまい一度犯した罪は消えることはない。戦争で解決できることなどない。残るのは怨念である。恨みの気持ちである。そうであっても、両国が未来志向で協力し合うほかない。世界が平和になるためにはこの大前提がある。その大前提の上で、韓国という国の現状を考えてみる必要もある。韓国は日本のおよそ半分弱の面積、国民数である。そして、稲作を中心とした農業国であった。そして、近年極端な貿易立国を目指し、あらゆる競争を激化させ、徹底した社会変革をした。競争を激化した結果優秀な人材が一部の企業に集中し、数社の政府と結びついた企業が世界企業に躍進した。国の大きさが少し小さいがために、すべてが徹底して行われる。農業分野も日本に先行して衰退を始めている。日本の農村以上にすでに地域の維持には困難を極めているようだ。教育分野では激しい競争が行わる。格差社会がいち早く到来している。しかも、北朝鮮とはいまだ朝鮮戦争は終結せず、徴兵制度が存在する国である。

日本の戦後の復興は戦争には負けたが、経済競争では今度こそ負けない。こういう思いが、高度成長につながった。農村から優秀な人材が、都会に集まった。能力の高い、大量の安い労働力が世界の競争に有利だった。韓国では新しいIT産業分野なので高度な製品開発をして、競争に勝利している。海外に工場を進出させると同時に、国内にも外国人労働者を入れている。植民地化した日本に負けてなるものかという、恨みの思いが高度成長に繋がっている側面もある。これから韓国が豊かになることが、恨みの気持ちの解決になる可能性もある。まだ時間が必要であろう。日本はそれまで、反省の気持ちを持ちながら未来志向を一貫させる以外にない。韓国社会に有るものは日本に対して批判的なものばかりではない。日本をきちっと評価し、良きところは学ぼうという人たちも多い。韓国の未来の為に、日本との関係改善を望む人も多数存在する。今のところそうした人が声が出しにくい空気があるだけだ。感情的問題は時間が解決してくれるまで、待つ以外にない。

 

 

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11月の自給作業

2018-11-01 04:12:24 | 自給

毎月月初めに、自給作業の予定を思い出すように書いている。毎年繰り返しなのに、忘れてしまう事が多い。11月は大豆の収穫、麦の播種、タマネギの植え付け、ソラマメの播種、がある。今年は大豆の収穫期が遅れている。何か気候の影響を受けているようだ。夏のあの暑さが今に影響している。11月になっても緑のままである。家のプランターに播いたものは葉が茶色くなった。乾燥も進んでいる。そろそろ収穫できそうになった。10本ぐらいあるから、1キロになればと考えて作っていたが、せいぜい500gぐらいだろうか。それでも種の足しにはなるかと思っている。田んぼの畔の大豆は岩手ミドリであるが、これもまだである。遅れて実の付いた鞘にはどうも実が膨らんでこない。去年は遅れた鞘にも実が入ってくれたのだが、これも今年の天候のせいなのだろうか。大豆の会の大豆は小糸在来種である。これは晩生なので実りが遅い。小糸在来種は後から実が付いてくる数が少ない。最初できた鞘が実って終わりのことが多いい。大豆と言っても様々な性格がある。まだ葉が色濃いので、充実した実りになることを期待している。100キロは行ってもらいたいのだが。ギリギリの所か。

小麦は昨年ハルユタカを作り、よくできた。やっと粉になったそうである。小麦は冷蔵保存をしてから、粉にした方が風味の良さが継続するのだそうだ。パンにしたときに香りが一年間持続が出来ると、小麦に詳しい大磯のふもとパンの青沼さんが言われていた。青沼さんは小麦の栽培から、パン作りまで小麦の専門家になった。舟原田んぼに参加したのはもう10年以上前になるのではないか。小麦は遅くとも11月下旬には播かなければならない。という事は参加者の募集も行わなければならない。現在3名という事だが、この状況では中止した方がいいかもしれない。11月6日にソバカス撒き。そして、トラックターで耕しておく。ソバカスをもう一度入れなければならないだろう。昨年の経験では小麦はともかく肥料が沢山必要である。肥料を入れやすい場所でないと、運ぶのが大変な骨になる。冬の間に追肥。春になって追肥。やるとすれば、播種は11月20日になるのか。耕ししておいて、播種になる。70cm間隔で播くことにする。

また場所の移動である。ジャガイモを連作で作りたくないという事で、ジャガイモ畑が小麦を予定していたところに移動の希望があった。仕方がないので、舟原の以前やったところに戻るという事になりそうである。しかし、私の見るところ総生寺裏の畑は、ジャガイモには向いていない。連作障害というのは土壌管理が悪いために起こるものだと考えている。きちっとした土壌を作り出せば、目立つような連作障害は無くなると考えている。自給農業では土地づくりを十分行えば、連作障害は克服できる。自給では販売品とは違うから、作物の見た目は気にしないでかまわない。自給農業は狭い場所で繰り返し行うものである。連作も行う。それでもよくできるような農業見つけなければ、自給農業に合理性は出来ない。連作できないのであれば、自分の栽培技術の問題点が出たという事と考えるべきだ。あえて連作技術に挑む必要があると考えている。豆類の連作も良くないと言われている。しかし、連作をしても多収できる技術はある。大豆の上手な人が連作を続けてさらに良くなっているという技術を見てきた。それを自給農業技術としては模索すべきと考えている。

タマネギの発芽が悪かった。理由は良く分からない。昨日の石綿薫先生の指導では、土ぼかしを混ぜたことがいけなかったと言われた。二見堆肥を入れて苗床に播いた種はよく発芽している。11月3日にタマネギの草取りをする。セルトレーは今年は絶望。苗床も危うい状況。昨年は私の家の所にセルトレーで播いて、毎日こまめに水やりをした。今年は諏訪の原圃場で撒いてそのままお天気任せであった。去年初めて種まきから、365個収穫まで達成できた。やはり野菜はこまめにやらなければだめだ。残念であるが、仕方がない。タマネギの植え付け予定地には一度そばかすを撒いた。もう一度播いて、耕すつもりだ。そのあと、11月25日がタマネギの植え付けになる。苗が何とか足りればと思う。空豆の播種もある。ササゲの後にソラマメを撒こうと思う。しかし、4月からの圃場の方針が立たない事には、ソラマメは作れない。ソラマメは沢山種があるからどこかほかでやるか。

 

 

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