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石垣島の住民になって

2018-11-17 04:32:22 | 石垣島

猫5匹が石垣島の住民になった。飛行機の中はどうだったのだろう。とても心配だった。石垣空港ではなかなか、出てこないので心配でハラハラしてしまった。やっと出てきたのだが、じっとしていた。家に着くまでニャンともスンでもないのでますます心配になった。家に着いて、ケージを開けてやってもきょとんとして出て、来ない。2,3分して、のそのそと出てきたと思ったら、一斉に素早く隠れてしまった。3時間ぐらいは出てこなかった。その後うろうろあたりを探り歩いている。何とか大丈夫だったようだ。最初に出てきたのは、一番臆病なサーヤ、次に出てきたのは、2番目に臆病なうずらだった。一番強気の、ララは出てきたのは最後だった。まだ、落ち着かないようだが、何とかなりそうで安心した。よほど不安だったのだろう、今もまとわりついている。何か様子の違いが受け止めきれないようだ。

 

人間の方も本来の出来は猫と同じなのだろう。頭で理解するから、石垣に来たのだという事になるのだが、空気に慣れるまで、水に慣れるまで、土に慣れるまで、数年はかかるのだろう。かかるようでなければおかしいことになる。猫の反応のように時間をかけるという事も大事。昨日は持ってきた醤油で、石垣のマグロを食べた。これはすばらしいおいしさだった。今日は持ってきた2年物の味噌で味噌汁を作ってみる。石垣の水とあうだろうか。今年の二年物は小田原ではおいしいと思えた。小田原の水にあっていた。石垣の水との相性が気になるところだ。お風呂に入ってみて、石垣の水も悪くないと思えた。今までもホテルのお風呂には入っていたのだが、水を感じるほど落ち着いて、いなかったようだ。感触が小田原の水とは違う。小田原の水の方が肌に合うという感じだが。これも慣れなのだろうか。こんなことは大したことではないのだが、こういう事で絵も違ってくるのかもしれない。今回は絵を描けない。仕方がないことだが、残念。

身土不二という事がある。大豆を作るとその土地の大豆になるためには、時間がかかると思う。いくら丹波の黒大豆が美味しいからと言って、小田原で作ると違うものになる。何度もいろいろの大豆を取り寄せて作ってみて、食べてみて、丹波の黒大豆は丹波で作るのが一番である。小糸在来種を作っているのだが、この豆もだんだんおいしくなった気がしている。千葉県の大豆なのだが、小田原の水土になじんだ。この大豆で仕込んだ、味噌、醤油が絶品である。なじんだ私の舌がそう思わす。これから石垣の身体になるのだろう。39歳から69歳まであしがら地域で暮らした。69歳から99歳まで石垣で暮らしたいものだ。できる限り石垣のものを食べる。石垣島のすごいところは、石垣地域の有機農産物でほぼ暮らせる。こんな島は世界にも少ないだろう。キューバぐらいか。人口5万人の島で考えれば、数少ないのではないだろうか。50年前は世界中がそうだったのだろうが。身土不二の島石垣島は文化の奥が深い。

「八重山諸島は芸能の島と言われています。」アートホテルでの毎晩8時からの結心(ゆいぐくる)コンサートでの枕詞である。毎晩コンサートのあるホテルが、5,6か所あるのではないか。町の民謡酒場は30以上ありそうだ。となるとそこで歌者は育つのではないか。八重山民謡を学ぶために石垣に来たという人にも合う。芸能と食の島。食といえば、泡盛の古酒(クウス)だ。100年を超えるものがあったそうだ。1斗甕を3つ用意する。その3つを順次継ぎ足してゆく。古いものを飲んでは飲んだ分だけとなりの甕から移す。新しい甕には新酒を継ぎ足す。玉那覇酒造さんに玉の露をお願いした。これを順次クウスにしてゆく。これが石垣の暮らしのしるしだ。飲むというより、未来の誰かのためにクウスを残したいと思う。100年先の石垣の暮らしを思って今日を暮らす。クウスを作るという事はそういう文化なのだろう。石垣にこうした文化が生まれたのは、二重三重に支配されたからだ。自分たちの存在の場を文化に作り上げた。

 

 

 

 

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