地場・旬・自給

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普通の人間がブログする意味

2013-06-21 04:31:25 | 身辺雑記
何でブログを書いているのですか。と聞かれることがある。不躾におかしいじゃないか、ということを言われたこともある。あまり他人のことを気にしない人間なので、気にせず続けている。普通の人間が、日々感じることを、ただただ書こうとしている。間違いもあるだろうし、知識も足りない。そんな普通の人間が考えを表明する必要があると考えている。特別な人間以外意見が表明できないようになってはならないと、思うからである。普通に暮らす一人として、庶民の発言を続ける意味を見ている。たぶんすべては、ブログが無ければ、消えてゆくことなのだろうと思う。それをあえて、人に見える形で書き留める作業をすることで、考えたり、まとめたり、気付いたり、主張できる。そのなかでも、自給の暮らしについては、深く模索し実践してきたので、自給の暮らしをやろうと考えた人には、参考になることもあるかと思っている。

江戸時代の普通の農民は、自分の体験を残すことがほとんどなかった。鶏の餌は何を与えていたのだろうと思っても、記録がある訳ではない。当たり前のことだと思って、ただ暮らしていたに違いない。ところがそこにあった、庶民の自給的な暮らし技術は、世界でもまれな完成された循環型の暮らしがあった。鎖国と幕藩体制という、独特の安定社会が作り上げられ、暮らし術が磨きあげられていったのだと思う。米本位制というような経済制度の中で、稲作技術は練り上げられていった。その技術はかなり伝わっている。その技術は、なるほどという豊かな世界である。自給的に暮らして思ったことは、特別な記録ではなく、普通の庶民の暮らし方こそ意味がある。消えてゆくことは残念でならない。柳田民俗学の続きのような意味で、特別なことでなく、ごく当たり前のことをすべて書き遺すことが、何かになるかもしれないと思う。無意味なことである可能性が高いが、結果は未来のことだからやれることをやってみている。

インターネットという、不思議な手法が現れた。私自身がこのブログを読み返すにしても、苗作りということで分類すると、過去の色々のことが出てくる。水彩画のこともそうだ。整理が上手くできる。しかも、同じようなことを世間全体で探ることもできる。人に対して考えを述べる以上、私がどのような人間かも示してはおきたい。サツマイモの作り方一つ、思想がある。どこの誰だかも明らかにしている。火曜日に見学に見えた方も、本当に自給は出来ているのですかと言われた。出来ているもいないも、それを見に来ているのだから、見て判断してもらえる。自給自足も範囲がある。塩、砂糖は自給していない。結構スーパーで買ってもくる。しかし、エネルギー換算では、200%にはなるだろう。エネルギーといえば、ガソリンは自給できない。その分太陽光発電をやりたいものだと思っている。こういう私以外にはどうでもいいようなことを、書きとめて置く事もあとで意味がある。

稲の作り方は沢山あるが、田んぼの作り方はあまりないだろう。手植えで、普通の人は1日どのくらい手植えの田植えが出来るか。1年目の人と、3年目の人はどのくらい速度が違うか。年齢でどう違うか。こういう記録はあまりない。手植えの苗作りも天皇家の映像が参考になる位いまれなものだ。数多くの失敗の蓄積が、庶民の自給技術を確立するはずである。ブログを書くもうひつつの目的は、自給で孤立してはならないということ。自分ひとりが平和に暮らすためには、国が平和の国でなければならない。自分がシェルターに入れば済む問題ではない。国が原発事故を起こせば、私の管理する農地も放射能汚染にさらされる。個人ではどうにもならない、国の政治の問題がある。これを、地場・旬・自給を目指す人間の視点から正してゆかなければならないという、ちょっと面倒くさい問題もある。

昨日の自給作業:コロガシ2時間 累計時間:31時間

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2 コメント

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Unknown (nao)
2013-06-21 08:50:31
生きていれば100歳を越す年になっているはずの祖父は、人の倍ほどの一日2反を手植えしたそうです。子どもの頃父に連れられて帰省した古い家の座敷に、反収の表彰状などが誇らしげに飾ってあったことを思い出します。
生家を出た父は、機械化の始まる頃までの稲作しか知りませんが、馬を世話し、稲藁で炊飯していました。
私が田んぼに関わるようになってから、初めて聞くことばかり。先日も、田植えの終わった田んぼを一緒に回っていたら、こうやって畦に泥を塗っていたな、と言ってひび割れた畦に泥を塗っていました。
ばらばらにある4町もの田んぼを日々回り、こうやって畦に泥を塗っていたのかと思うと頭が下がります。当然草取りも4町分、家族でコロガシをし、這い蹲って泥をかき回していたのです。父はアルミのコロガシを使ってみて、軽いなー、と感嘆していました。
自分から語ることはないのですが、いろいろと聞いておきたいと思っています。
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一日2反の手植え (笹村 出)
2013-06-22 05:38:26
江戸時代の奥三河の記録で、一日2反の田植えをしたという記録が残っているそうです。

私は一日2,5畝。つまり8分の1です。
4町の田んぼの草取りは、大変だったことでしょう。
コロガシも今やる人が少なくなりました。
初期の田んぼには、コロガシが一番だと思っています。
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