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安倍総理大臣の靖国参拝決行

2013-12-27 04:57:17 | Peace Cafe
いつか安倍氏は靖国神社に行くだろうとは思っていたが、暮れも押し詰まってやってくれた。安倍氏個人の痛恨の思いとは別に、外交は動いている。安倍氏の本音としては、こういう態度が日本にと必要だと考えて、あえて実行したと考えられる。それが安倍氏の思い描く美しい日本の姿なのだろう。その日本はどこの国の思惑も関係なく、自らの主義主張で行動できる国ということなのだろう。確かに、日本という国が一国だけで存在しているのであれば、分らないでもない。しかし、日本という国が、世界の中で存在し、日本の行動で耐え難い感情を持つ朝鮮中国があるということは、その何が正義かは別にして、配慮が要らないわけがない。それが近隣諸国との付き合いというものだろう。さらに安倍氏の本音としては、A級戦犯と言われる人こそ、尊敬すべき人であり、不当な戦争裁判を受け、日本の戦争責任を一身に背負わされた人という認識がある。神として祭られるべき人だという思いがあるに違いない。

安倍氏がそういう人間であるということは、隠されてもいないし、公言もしてきたところである。そうした考え方が日本の保守勢力がこの人を支持する、一番の根拠なのだ。戦争責任などということは、建前では認めているが、本音では全く日本が悪いところがあったなど思ってもいないに違いない。そういう考え人が自民党の政治家の中のかなりの数存在すると思われる。戦争に負けたから、戦犯などと呼ばれるのであって、正義は日本にあったのであり、勝てば評価されたと本音で思っているはずである。この本音と外交上の公式見解の乖離が、ナチスに対する評価と根本から違うところだろう。日本は、やむえず戦争に引きづり込まれたのであって、アジアの諸民族からの救援要請に従い、大東亜の解放の為に立ちあがったのだ。欧米の帝国主義に対抗し、アジア人の尊厳のために戦ったのだ。今でも安倍氏はこう考えていると思われる。では戦争敗戦の責任というものは、誰にあるのだろう。

第2次大戦に敗戦したのだ。その遠因は、明治政府の富国強兵策に由来する。敗戦国の外交として仕方がないので、日本の侵略戦争を認めているという不誠実な態度をとっている。この安倍政権の2重構造が、徐々に表面化してきている。しかも、大半の日本人は、経済至上主義に巻き込まれているから、そんなややこしいことはどうでもいい、今更こんな古い話を蒸し返すのはどうかしている、ぐらいにしか感じていないと思われる。しかし、侵略された当事者には過去の問題ではなく、日本の外交の未来を左右する重大な歴史認識の問題なのだ。第2次大戦の敗北を深い反省に基づき、自らの過去の過ちとして理解しない限り、日本は又この失敗を繰り返すはずである。日本が侵略して、多大な迷惑をかけたことは、公式に認めていることだ。A級戦犯と呼ばれる人が、潔い武士の魂の人であれば、責任を回避するはずがない。

中国や朝鮮の国内事情を、問題点をあげつらい、揶揄するような分析ばかりが幅を利かせている。これは日本人の自信の無さと、劣化の現われである。日本人は中国朝鮮から多くのことを学び、日本人になったのである。稲作の技術は天皇家が日本に広げたのではないかと想像しているが、その背景にあるのは中国朝鮮の、優れた農業技術、水土技術によるものである。安倍氏も、靖国に行けないくらいで、がっかりするのは弱い証拠だ。自らが総理大臣としてしっかりとしているなら、戦争で死んだ人達も、お参りに行けなとしても、必ず評価してくれるはずだ。そして、すべての国民が気持ちよく戦没者を慰霊する状況を作ることこそ、美しい日本の総理大臣の責任である。宗教色のない場所に、戦没者霊園を作ることだ。そこには軍人だけでなく、戦災で亡くなった人も含めて、慰霊すべき場所を作る。そして、今だアジアに広がる、何万に及ぶと言われる遺骨収集を行うべきだ。

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
戦没者霊園 (松本茂)
2013-12-27 09:44:45
戦没者霊園は千鳥ヶ淵にあります。米国のバイデン副大統領とルース大使は、国際儀礼として参拝しています。何れの外国賓客はも同じです。靖国神社は国際的には "war shrine" と認識されているのです。
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戦没者霊園 (松本茂)
2013-12-27 09:57:57
ご免なさい。バイデン氏ではなく国務長官のケリー氏でした。
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戦没者霊園 (笹村 出)
2013-12-28 05:35:31
千鳥ヶ淵の霊園で、確かにいいはずです。
これは重要な観点だと思います。

靖国神社ではなければならない理由こそ、
安倍氏の本質だと思います。

現状の議論を考えると、千鳥ヶ淵霊園を靖国の代わりにすることは、難しいと考え、
あえて別に、新たな霊園を作った方がいいかと、考えました。
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僧籍の身としての見解は? (荻窪太郎)
2013-12-29 09:31:59
千鳥が淵の戦没者墓苑は建前上は無宗教ということになっています。慰霊という行為そのものについて、宗教性を排除できないと考えれば、千鳥が淵に収められている大多数の名も無き戦没者はペット霊園に収められた犬や猫と同等の扱いをされているように思います。
新たな霊園を作るといっても、それこそが国家的宗教施設になる可能性が排除できないわけで、矛盾しています。
日本国の国会は、サンフランシスコ条約発効からほどなく、全会一致の国会決議で国内法による戦争犯罪人がいないこととしています。極東国際軍事裁判は、事後法による報復を目的とした違法裁判です。違法な判決により刑死された人々は、国内法によっても国際法によっても犯罪人ではありません。
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曹洞宗の僧侶として (笹村 出)
2013-12-29 14:16:07
道元の作った曹洞宗は本来葬式はしないものでした。
仏教と死者とを結びつけたのは、江戸時代の
檀家制度という、地域で人を縛ろうという幕府の政策が背景にあります。

宗教は個人の生き方の問題であります。
私はそういうものとして、得度をしましたし、
寺院とは一切関係したことがありません。

霊園と宗教を結び付けることこそ、本来おかしなことです。
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問題のすり替えです (荻窪太郎)
2013-12-29 19:26:41
笹村さんが新たな霊園(国立の追悼施設?)が必要であるかもしれないと述べているので、ではそのような施設は慰霊の対象となるものですかと尋ねているわけです。
慰霊はそれ自体が宗教行為になりませんかとの問いかけですし、霊園と特定宗教との関係ではありません。
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僧侶としての回答 (笹村 出)
2013-12-30 04:55:35
僧侶としての回答ということが、荻窪さんのコメントのタイトルでした。

それで、慰霊と宗教の問題を回答しました。
慰霊と宗教は関係はない、と答えたのです。
それが道元が考えた宗教です。

戦没者の慰霊施設は、一切宗教は関係すべきではありません。
それが誰でも、等しく、お参りできる環境です。

慰霊行為に於いて、宗教を排除できないという前提がおかしいと思います。
何故、宗教と関係しないと、ペットと同じになるのかが、
私には不思議な考え方に思います。
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