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日々の一枚で水彩画を描くことを続けている。何でこんなことをやっているのだろうかと思う日もある。ただ、決めたことなので続けてみよう、と思って何とか続けている。日々の一枚は葛飾北斎から学んだことだ。その心意気がすごいと思ったから真似をしている。描きたい思いが湧いて来るので、続いている訳なのだが。
続けてきた今の状態を少しまとめておこうかと思う。日曜日には200回目になる。はじめて200週1400日ということになる。描いた絵の数は1411枚。これが私のすべてである。毎日1枚は描いてきたことになる。始めたのは2020-05-17 04:00:46とある。こういうことが、すぐ分かるのがブログの良いところである。
始めたのはコロナの流行が契機だった。絵を発表すること自体が難しくなった。水彩人も中止せざる得なかった。絵を描いて行く気持ちの維持と言うことがあり、このままではいけない。ブログで発表して行こうと考えたのだ。始めた頃は絵が出来たら出すと言うことで、毎日描く日々の1枚は考えていなかった。
北斎は日々の1枚を行い100歳を超えれば、何でも生きたように描けると書いている。「画狂老人卍」の画号を用る。長寿を得て百数十歳に至れば、一点一格が生きるがごとき絵を描けることだろう、と記す。そして絶筆を昇り龍にした。
その龍は絵から抜け出て空に舞い昇って行く。その龍が北斎なのだ。所が北斎は残念なことに、1840年北斎は90歳で亡くなる。北斎は歳をとっても衰えなかった、数少ない絵描きの一人である。日々の一枚の意欲が北斎の絵を最晩年まで北斎の精神をその絵は伝えている。
書いておけば、葛飾北斎の絵は島根県立美術館が多数保存している。ウエッブで一部の絵を公開しているので、いつでも北斎の絵を見ることが出来る。代表作とも言える富嶽三十六景は、70歳代前半のもので四十六作品の連作である。今の私と同年代だ。今更のことだが、改めて考えてみるとすごいものだ。
江戸時代に70歳を超えた老人が歩いて、富士を巡り回って絵を描いている。愛知県当たりから富士山を描いた絵もある。今の私が富士山の周りを何年もの間、歩き回り絵を描くようなことが出来るかである。富士山にも登って描いているとおもわれる。本当に絵を描くことに狂った人だったのだろう。またそれを受け入れた江戸の庶民もすごいものだ。
北斎では無く、自分のことであった。北斎に匹敵する、絵に対する情熱はあるつもりだ。しかも、マチスも、セザンヌも、ボナールも、私には付いていてくれる。改めて100歳を超えて、描いてみようと思う。それが北斎が出来なかったことだ。
自分の絵の空間を作ることが、最近の目標のようだ。意識してそうしていると言うよりも、自分の絵がいつの間にかそうなってきていた。どういうときに絵になってきたと感じるかというと、絵に空間が出てくると、はっと、その勢いに気付くのだ。何か絵が現われた感じがするのだ。
空間が表れていない絵もいくらでもある。それは絵が出来ないと言う感じが無いまま、終わりまで行った絵だ。なかなか絵にならないで、試行錯誤している絵は、ある時絵が立ち上がる感じがする時が来る。どこかに線を引いたり、色を付けたりしたときに、何故か画面が大きく変り動き空間が広がる。
何故、そんなことが起こるのかは分かっていなかったのだが、繰り返している内に、どうも空間が現われたときらしいと思うようになった。空間が現われるとはどういうことか、言葉になりにくいのだが、平板な絵の姿が突如立体的になる感じだろう。その絵画空間は写真のような陰影による空間でもないし、ぼかしによる空間でも無い。もちろん遠近法による空間でも無い。
平板な色面の組み合わせが、突如空間を表わし始める。その中心となる原因は画面の中の色や形に動きの調整が付くというような感じだ。西洋画の言うところの、いわゆるムーブマンというものなのかも知れないが、もう少し違う感じもしている。もったいぶって言えば、絵が精神的なものになるという感じがする。
どちらかと言えば、北斎の絵にある絵の気韻生動という姿である。絵に命が宿るという状態。どうしてそうなるのかは分からないが、あれやこれや訳が分からず、やっている内に偶発的に起こる。それで、はっとしてあれこれさらにやる。それで絵が終われる時もあれば、また絵が死んでしまうこともある。
線の動きが絵に流れを生む時もあれば、色彩が命を吹き込むときもある。一枚一枚絵によって違うので、絵を描く公式があると言うことではないようだ。自分の気持ちの方の違いもある。その日はそれで生きたと思えたものが、翌日には死んでいると言うこともままある。
多分水彩画がかなり自由に描けるようになってきた気がする。沢山描いたからだろう。日々の一枚の成果と言える。色々の紙に描いている。しかし、和紙に描いたとしても、木炭紙に描いたにしても、ケント紙に書いたとしても、水彩画紙に描いても同じことである。
描く技術が巧みになったために、その紙に応じて描けるようになり、自分の世界観をどんな紙でも対応できるようになってきた。そのことが良い方向に進んだと言うだけの意味では無い。むしろ上手は絵の外に気を付けろと言うことである。
下手で無くなってしまうことで、絵では無くなってしまうことは、絵の世界ではむしろありすぎるくらい、普通のことなのだ。上手に描けたために、絵の世界観が無いにもかかわらず、一般論としての絵らしきものに見えてしまう危険がある。絵で唯一意味のあることは、作者の世界観が絵の中に表現されているか、どうかだけである。
当たり前の事で、絵は作者の内的な世界を表現するものなのだ。外界をきれいに写すものは、装飾品としては良いが、芸術表現としての絵画とは関係がないものなのだ。内的な世界と言うことが以前よりは、絵の表現として感じられるようになった気がする。
自分に至ると言うことが、絵の目標である。それは絵の宗教的目的のようなものだ。ある意味信仰の世界と言えば言えるようなものだから、他の人の絵とは関係の無いことだろう。絵を描くことで、自分とは何かを考えていると言うことになる。
人間として生まれて、遠からず死んで行く以上、自分というものを知りたい。その思いを絵を描くことに託したのだ。仏教で言えば、回心とか、悟りとか、言うようなものなのだろうが、私の場合は、その修行の道が絵を描くと言うことらしい。坐禅とか、念仏とか、そういう形の無い修行が出来なかったのだ。
絵であれば、自分の成長とか、変化とか、衰えとか、そういう物が画面に現われる。その形を頼ろうという姑息な修行の方法なのだ。姑息に見える方法ではあるが、私にも出来る唯一の方法なのだ。自分の死ぬまでのことだ。やり尽くしてみるほか無い。