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日本ウナギが絶滅危惧種に

2014-06-16 04:20:32 | 環境関連


黒姫山 10号 美しい山である。山の穏やかな所が良い。柔らかな所が良い。実は、斑尾に絵を描きに行く。もしかしたら黒姫の方に行くかもしれない。




日本ウナギが絶滅危惧種になった。もちろん、日本人が食べつくそうとしているということもあるが、主たる原因は東アジアの河川の変化にあると思う。1950年代山梨県の山村の境川村の藤垈という集落の奥の向昌院の池にはウナギが遡上していた。今思えば幻のようなことだが、体験したことである。子供のころ年一回は行った池カイボリの際には、ウナギは見つかるものだった。笛吹川の支流の境川の奥の池である。川は途中扇状地を通る時は水無川になる。山の中の、まさか海から生き物が泳いでくるとは思えない山奥である。1950年代には日本カワウソが2回確かに確認されている。大きなコイが食べられた。日本の川というものがすっかり姿を変えた。川の水が汚染されてしまったということもある。日本の川が死んでしまったのは、環境汚染もあるが、河川管理の方法にあると思う。川というより用水路としてしか、機能していない。

ウナギが、フィリピン沖で生まれて、山奥の向昌院まで到達するためには、障壁がいくつもできてしまった。第一用水路というものが、通年通水されなくなってしまった。これは、工業用水優先という考え方が根本にある。日本の水環境は豊かさを失い、実用一点張りに変わり果てた。最近日本の川は水質的には、改善方向にあると感じられる。しかし、護岸工事、大規模堰堤、河口関、川というより、用水道と言いたいほど、人工的なものになってしまった。3面をコンクリートで固めた水が流れる通路という状態である。確かにこうした河川工事で水害は減少したのだろう。しかし、山は建築材の為の人工林に変わり、さらに、その人口林の管理が林業が成立しないということで、放棄されている。下草刈りや、枝打ち、間伐は全くされずに、真っ暗な林になっているところも少なくない。こうした急斜面の人工林は粘りが弱く、頻繁に崩落する。又、無理な林道工事が、崩落を生んでいる事例も少なくない。

久野川でも、過去何度も氾濫が起きている。ついこの前の440ミリの大雨でも下流では氾濫の恐れはなかった。大島豪雨災害のときには、12時間で800ミリの雨が降っている。いつこうした雨が降ったとしても不思議はない気候だ。その時でも耐えられる河川でなければならない。2010年9月には24時間雨量が700ミリになった。この時にはかなりの個所で土砂崩れが起きた。災害対策の主要になるべきは、山の再生である。豊かな森を作ることである。豊かな森は海を育む。ウナギも絶滅をなぬがれる。ウナギはたまたま美味しい食べ物であったので、絶滅危惧種に認定されたことで、注目を浴びている。しかし、多くの水生生物は瀕死の状態である。そして外来生物の侵入問題がある。メダカのように外来種による交雑によって、純系のものが失われる事例も少なくない。シジミやザリガニのように外来種によって駆逐された日本固有種もある。

ウナギが絶滅するということは、いつかは人間が絶滅するということだと気づかなければならない。メダカは無用のものだから、追いやられた。ウナギは経済性があるから採り尽くそうとしている。その果てにあるものは、人間も無用だからいらない。経済の役に立つ能力だけを利用しよう。こうして人間らしく生きるというような、本来ただそうあればいいという人間の生きる意味が、矮小化され始めている。人間は誰かの為で無くとも良い。他人の役になど全く立たない無用の者でも良い。生きるということは、勝手であって良い。そういう類の人間が絶滅しない社会の方が面白い。多様であることこそ、人類の価値である。ウナギがお惣菜として、スーパーで売られるような社会を良い社会とは思わない。このままでは、いつの日にか、人間が絶滅危惧種になるのだろう。

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