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25回水彩人展 展示が終わった感想

2023-09-10 04:31:54 | 水彩画


 水彩人展の展示が何とか無事終わり、一息ついた。8室あり、100人以上の絵を見やすい良い状態で飾るというのは、何度やっても難しさに変わりがない。今回は会場を大きく変えたので、どういう結果になるか、気がかりなことが多かった。

 それでも、予定通り2時までにはすべての陳列が終わり、2時から会員の作品の講評が行われた。水彩人では規約で批評会を行うことが決まっている。例年展示が終わった後、その場にいる会員の批評会が行われる。どういう段取りだったのか、私が進行係になってしまった。

 展示のことですべての力を出し切っていたので、まさか次の批評会までやるとは思いもよらなかった。展示の反省もその場ではできずに訳の分からないまま、会員の作品評に入った。そのつもりで会員の作品を見ていなかったので、ぶっつけ本番は良くなかった。間違ったことを言ってしまったかもしれない、申し訳ない。

 予定通り、2時前に会場のオープン点検というものを行った。都美術館の係りの方に、会場の展示で違反がないか見てもらうわけだ。以前あった事例では、政治的に問題がある作品があれば、展示させてはならないので撤去させるなどということになる。あいちトリエンナーレで問題化したようなことだ。

 最近話題になったことは、著作権の問題である。今回は会員の方がウルトラマンが山になっている面白い作品を出品した。これが著作権に問題があるのではないかということになった。作者に相談したうえで非展示ということになった。調べてみるとやはりまずいことらしい。

 ゴミが落ちているのもいけない。どこか汚したところがないかもチェックされる。点検中は展示を担当しているアートラインの方と、水彩人の担当以外は会場から出なければならない。展示係としては、落ちがないようにあれこれ気をつける必要がある。

 点検は無事終了ということになった。そこから引き続き、会員の批評会が始まった。この引き続きがまずかったが仕方がない。15人くらい会員がいた。そのほか同人もかなり参加していて、30人くらいで行った。オープン点検が終わって、続けて会員批評会を始めますといったのがいけなかった。

 一休みしたかったのだ。ところが誰も批評会を取り仕切る人が居ない。結局仕方がないので、引き続き進行係をやるきゃない。で突然批評会である。これはひどく疲れた。描いた人も命がけかもしれないが、作品評は本気である。ある意味命がけといってもいい。その人が良くなるための意見を本音で発言しなければならない。それが水彩人の約束である。

 進行係に行き掛かり上なってしまい、誰からの意見もない場合、発言せざる得ない。良くないと感じていたら、良くないと分かるように意見を発言しなければならない。ここがいいという意見は、影響が強いので、危険なことがあるものだ。誰からも発言がないので、ついつい発言をしていた。

 命を削って、ああ苦しかった。できれば、改めてブログに掲載したいと思うが、公開するのはやはり差しさわりがあるか。ブログの難しいところである。良いところだけ書くなら問題がないのだが、そうもいかないだろうからやめた方が無難かも。

 終わって事務所に行くと、事務所では目録制作でてんてこ舞いである。みんなで目録に印刷物を挟んでいる。これでは批評会のほうが、誰も進行係が居ないのも仕方がない。去年までは目録制作の担当のほうだったので、批評会の状況を知らなかったのだ。申し訳ないことだった。人間ついつい自分だけが大変だと思ってしまう。

 あっという間に5時である。もう都美館から出なければならない時間だという。5時半のはずが、5時と決めたらしい。5時は会場の終わりで、5時半が事務室の終わりだったはずだ。終わるときには、確か終わりの音楽が鳴り、5時半に真っ暗になる。

 この日は遠くからきてくれている人が居る。めったに会えないのだから、この機会に夕食ぐらい一緒に食べたい。どうせ、どこかで食べるのだから、みんなで食べたほうが楽しい。駅のそばの中華料理の店でみんなで食べておいしかった。

 久しぶりで会う人と、食べながらの今年の展覧会の話になった。おおむね会場の飾り方は好評だった。1室と4室は評判が良く、小品室の2,3番については今一つだった。やっぱり、公募展を見る目というのは、大作主義ということかもしれない。会場が天井が高いということもあり、小品が居心地が悪そうだ。

 都美術館という器自体が、大作向きなのだ。すでに日本の美術水準の停滞が現れているのだろう。新しくできた、国立美術館が似たようなものなのだから、美術界の会場に対する意識がこの程度ということで、恥ずかしいが仕方がない。

 これだから絵が停滞したともいえる。あの穴あきボードでは、小品は影響を受けてしまう。そういう意味でも、松任の「うるわし」の展覧会はなかなか良かったのだ。こんな展示をいつまでもしているのは、日本だけなのかもしれない。このおかしさに気づく人はいるのだろうか。

 水彩人展では毎年行うことが決まっている小品展を行わなければならない。それが水彩人の水準をあげることになる。小品展係が居ないということも問題なのだろう。東京で小品展ができないのであれば、地方展係として地方で小品展を企画することで、穴を埋めてゆく必要がある。

 奈良から関さんが出てきてくれていた。奈良での展覧会の企画ができればと資料を持ってきてくれていた。10月2日に奈良に行き下見をすることになっている。奈良でやるのであれば、京都の浅田さんにも協力をお願いしなければならない。多分出てくるだろうから、そのあたりのことを聞いてみたい。

 みんなが投票で選んだ1室の作家はさすがに頑張って、素晴らしい絵を描いてくれた。今回の企画の一番の成果だろう。水彩人がどこを目指しているのかを、示している。反対もあったのだが、無理をしてこの部屋を作った甲斐があった。今回の水彩人展の花の場になっている。

 また、大作室の考え方もよかったと思う。水彩画としては、大きい絵だけ集めたことが、良い結果になっている。大きい絵は大きい部屋で大きい絵だけで見たほうがいい。隙間があるからといって、小さい絵が混ざると何かおかしなものになる。

 その意味で一人の人が大作と小品を出すことがままある。これは大抵の場合相互に打ち消しあっている。自分の頭の中では成立しているのだろうが、会場で並べるとおかしなものにになりがちである。まさに会場向き作品のつもりであろうが、絵画ではない。

 
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