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マイクロプラステック

2023-12-29 03:49:41 | 環境関連
 

 人類の危機は様々あるが、最も始末が悪く取り返しようもないものが、マイクロプラステックである。静かに、深刻に、人間の終わりが近づいていると考えざる得ない。プラステックを取り込み、動物はいなくなるとしても、植物は生き残るだろうから、動物の危機であり、生物の危機ではない。

 また微生物から始まり、動物も再生する時代は来るのだろう。二度目の人類は誕生するかは分からないが、人類が誕生すればまた同じようなことをやるに違いない。プラステックはまだ100年の歴史はない。我々世代はずいぶんの恩恵を受けたが、たぶん200年後にはプラステックは禁止されているだろう。

 プラステックが無くなる時代に、まだマイクロプラステックが人類を滅ぼしていなければ良いと思うが、多分手遅れに成ることだと想像している。プラステックを取り込んだ人体が、どう変化しているのか、想像することすら怖い。がんの多発は間違いないことだろう。人類の寿命も大分短くなるのだろう。

 マイクロプラステックが至る所に存在し、人間はそれを避けることが出来ないことになっている。人間の細胞の中までプラステックが入り込み、様々な問題が生じることになる。遺伝的影響は避けられないはずだ。マイクロプラステックは増加を続けている。

 経済協力開発機構(OECD)によると、2019年には世界で約4億6000万トンのプラスチックが消費され、プラスチックごみが約3億5300万トン発生したと書かれている。プラスチックごみは2000年の約1億5600万トンから、倍以上に増加している。

 プラスチックごみで、とくに問題視されているのが「マイクロプラスチック」だ。ペットボトルやビニール袋などは、自然環境中で紫外線などに晒されて劣化すると破砕・細分化され、概ね直径5ミリ以下の微小な粒子となる。始末に負えないものは、微細なマイクロプラスチックと呼ばれるプラステック粒子である。

 これがさらにミクロ単位の小さな粒子になり、海に集まり、魚は身体の中にマイクロプラステックを取り込んでいることになる。特に小さな粒子は細胞の中にまで取り込まれ、様々な障害を生むことになるはずだ。こうした現象はすでに始まっている。もう海は取り返しが付かないことになっている。

 プラスティクゴミはそれでも着実に増加している。気象変動以上の環境問題である。しかし、気象変動の方は、化石燃料の使用を止めれば解決できると言う対策があるからまだましである。世界もその対策に国際会議まで行っている。しかし、プラステックは対策もないから、人類の滅亡に着実に進んでいる。

 確かに分別再生が言われているが、無駄とまでは言わないが、プラステックゴミの減少には繋がってはいない。むしろ燃やしてはいけないという考え方が、マイクロプラステックの増加に繋がっている。再生されるものなどほんの一部で、海に流れ出るものが大半である。プラステックの使用禁止が行われない限り、もう手遅れとと考えなければ成らない。

 当面の対策は燃やす処理を認めることしかない。プラステックは燃やしてはならないと言うことから、マイクロプラステックを増やすことになった。焼却処理が良くないことは当然だが、さらに悪い事はマイクロプラステックだ。燃やさない処理がマイクロプラステックを急増させている。

 グレタ・トゥンベリ さんはノーベル平和賞を受賞したまだ若い環境活動家である。気象変動に対して発言をしている。飛行機を使わないで、ヨットで移動するというようなことをされている。フランスでは「内のグレタちゃん」。と言う話があるそうだ。プラステック容器を拒絶する子供の事だそうだ。

 最近、グレタさんは共産主義的な発言をするようになったために、世界の環境活動から閉め出され始めた。例えば、COP26の会議には以前には招待されていたが、今は拒否されていて、会議場の外で反対の活動をしている。つまり、現状の環境運動は、環境運動で一儲けしたいという人達の会議になったと主張しているのだ。

 例の国会で風力発電の推進を発言したような秋本真利衆院議員が悪い見本事例だ。環境事業の補助金狙いである。こうして環境問題を突き詰めて行くと、結局の所「人間の進歩と調和は、ない」と言うことになる。経済成長そのものが問題になってくる。

 日本が作り出した江戸時代という、循環型停滞社会が次の社会のモデルではないだろうか。前より良くなると言うことでは無く、前のままである事を良しとする社会である。昨日のままの今日であれば、十分なのだ。その停滞の中で、どのように生きる事を充実させられるかである。

 プラステックがもしあったとしても、必要な以上には使用されなかったはずだ。再利用するもの以外はなかった。もったいない社会である。今日のような明日であれば、十分なのだ。民主主義も、独裁政治も、成長信仰から逃れられない。ここに大きな落とし穴が在る。

 中国は経済成長することで、独裁政権が国民から支持されている。監視社会も、自由のない社会も、経済が良くなるならがまんしようという社会だ。もし経済成長が止まれば、政権は維持できない。しかし経済停滞は必ず来る。まだまだ中国は成長余地が大きいが、それでも10年先は危ういだろう。

 経済成長信仰は民主主義国家でも変わらない。去年より生活を良くしたことで、選挙で選ばれる。良くしたとは、経済をよくしたと言うことが主たる理由である。今年は良い年でしたというのは、少し生計が良くなったという場合が大半ではないだろうか。江戸時代は変らず結構でしたである。

 この頑張って良くなる哲学が間違っていると言うことになる。頑張るのは今のままである事が新しい目標になる。資本主義から、共産主義への転換。良くなるために頑張ることが目的ではなくなる。平等である事が主たる目的になる。発展を制御しなければ、環境破壊で人類が滅亡する。

 ここに現状の環境運動の限界がある。石垣島では観光を選ぶのか、環境を選ぶのか。いつも問われている。環境運動の主たる目的が環境破壊阻止である。生活できなければ始まらない。石垣島の経済の主たるものは、観光とそれに伴う公共事業である。

 生活するためには、自然破壊に繋がっても、ある程度止むえないというのが、市民の選択なのだろう。だから、環境運動は移住者中心になる。移住者は石垣島で生計を立てている人が少ないからだ。観光客が減る事をどうでも良いと考えているからだ。このすれ違いが、深刻である。

 西表島ではやまねこか人間かと言われた。人間の暮らしが出来ないでどうするのかと言うことだ。世界遺産になり、自然保護は最優先である。さらに西表島の住民の暮らしに、環境保護が突きつけられている。屋久島では林業が衰退し、暮らしが成り立たなくなり始めている。人口減少が深刻である。

 環境保護はマイクロプラステック問題を最優先すべきだ。イリオモテヤマネコも、カンムリワシも、そして人間も、身体に取り込んでしまうマイクロプラステックで生存の危機を迎えるはずだ。近い内に限界を超えるだろう。その前に、停滞社会の価値観を見付けなければ成らない。

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