中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

「大いなる日に」

2017年02月18日 21時13分40秒 | 活動日誌

 逝ってしまった富森さんをしのんで、昨年送っていただいた詩集を改めて開きました。

 一遍一遍が胸を打つ。富森さんの人間性がにじみ出た表現の、こころの琴線に深く触れてくる気高い思想が、私の心を一瞬止める。そして外の世界から隔離した自分を見つめている。

 

富森さんが横浜に行く2年前の2005年の詩「5月のある日に」は、最後の2行にこころが留まり、障がい者となってもなお、がんばり続けた富森さんの心情に思いをはせました。

 

富森さんが力を尽くした法曹界でのたたかい、衆議院選挙でのたたかいが礎となって、参議院選挙をはじめとする選挙戦での勝利の数々の「春」の兆しがやってきました。

 

詩に託した願い通り、如月ではなく花咲来始めた5月に逝ったのだと、私は考えたいと思いました。政治の春を見て死にたいという、それが言いたかったのでは・・・そんな風にも思えてきました。

 

自然の5月はつかの間の春、しかし、我々の作り出す春は、長くありたい。

憲法にもうたわれてあるように、それは国民の絶え間ない努力なくしてはありえないですね。

 

 

              5月のある日に

 

 それは5月のある日

 アルプスのふもとにいた

 

 緑に燃えた木々は果てしなく

 微笑むように風に揺らいでいた

 

 長い冬と雄平の日々から解き放たれ

 自由が自然の懐の豊かさが身に浸みる

 

 私は何時間も風の中に立ち尽くし

 子供たちを老人を男や女たちを見ていた

 

 風の中で一人一人が自分を生きていた

 歓声が野いっぱいを包み込み谺していた

 

 それは5月のある日

 何気ないこの平和のただ中で

 

 腹黒い悪だくみが雲間をかい潜り

 この国を危険極まる彼方へ誘おうとする

 

 老いさらばえ手も足も萎えたこの身には

 今更駆けることも歩くことさえ叶わない

 

 せめてこの屈辱に耐え

 再び栄光の日の到来を待ちたい

 

 それは5月のある日

 遅く短い束の間の春

 

 願わくば花の下にて春死なん

 その如月ならぬ望

 

2014年 中央法律事務所50周年記念祝賀会で富森さんと 

 

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