中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

教育基本法の学習をしました

2006年05月22日 18時32分31秒 | 活動日誌
(ライラック  庭に咲いています。リラともよびますね。)


 県常任委員会の日でした。今日の学習は「教育基本法」でした。

 「憲法九条」の方は、変えてはならないとの運動と世論が大きくなっていますが、「教育基本法」は、与党の密室で協議で、しかも内容も公開せず、なぜ変えるのか、どこがいけないのか、国民に説明もないまま、2ヶ月あまりで拙速にこの国会で採決してしまおうとの構えです。

 ですから、子どもだけではなく日本の未来にかかわる重大問題なのに、世論つくりはいまからです。しかし、「慎重に審議すべきだ」との声は大きくなってきています。

 「時代に合わない」とか、「少年犯罪」やライブドアのホリエモンまで、何でも教育基本法のせいにするという乱暴さですが、はっきりした理由がいえない、そこに国民を欺く魂胆が見えます。
 きちんと実施していないからこそ、子どもが苦しみ、傷つき、自己否定しているのではないですか。犯罪が起きる根底にもそれが横たわっているのです。

 実施の努力をしていれば、国連から「日本の子どもは激しい競争と管理の教育で、殆どの子が発達障害を起こしている。対策をとりなさい。」との再度に渡っての恥ずかしい勧告を受けなかったはずです。

 30人学級の実現も、高校再編問題も、教育基本法の具体的な実施につながる私たち住民の熱意に満ちた運動です。

 さて、改悪の目的は、ひとつは、愛国心の押し付けで、子どもたちを再び軍国少年、少女にして戦争に駆り立てようとのねらい、もうひとつは競争と管理をいっそう厳しくして、「非才、無才」の子たちうを振り落とし文句を言わずに、財界の安上がりな労働者に仕立て上げる、この二つなのです。
 
 基本法を変える考えの中枢にいる、元教育課程審議会会長の三浦朱門氏は、「人間は生まれながらに5つに分類される。天才、秀才、凡才、非才、無才だ。」とし、能力のない子に、時間も金もかける必要はない、とはっきり言っています。「どの子ものびる。たとえ障害があっても人間としての発達は無限」と考える私たちとは180度違う考えです。

 三浦氏のような考えに基づいたほうが、「戦争」や「儲け」には都合がいいのです。

 そのための学力テストも復活しようとのたくらみを持っています。勝ち組、負け具気、自己責任の更なる強化です。


 教育基本法を変える事で、国家権力が思い通りに教育内容へ介入できるようにすなってしまうのです。新たに定められている「基本計画」では、大変細かい目標を20以上も決めて、その実施を強制し、点検までしかねない勢いです。
 
 すでに、「君が代」を歌わなかった理由で先生が処分される不当な事件も起きています。
 子どもたちもすでに指導要領で、「態度」「やる気」が点数化されるなどの評価が先行して始まっており、こうした押し付けがさらに強化されるのです。それも、法律で。

 「教育勅語」の復活といっても、内容的には言いすぎではないと思います。

 内心の自由を侵してゆく、憲法違反の改悪をまかり通らせてはなりません。

 明日の朝の長野駅での街頭演説は、緊迫した国会を受けて「教育基本法」問題で、大勢の参加で大宣伝をする予定です。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする