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あるきメデス

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冬の飛騨路〈2日目 高山を観光後 下呂温泉へ〉〈2/3〉(岐阜・高山市)

2023-02-07 11:26:04 | 国内旅行
 2023年1月18日(水) 〈高山観光・その2〉

 高山駅前から、飛騨国分寺や国分寺通り、下三之町、下二之町大新町などを経て、11
時過ぎに桜山八幡宮境内に入り、まずは手前にある「高山祭屋台会館」に入館することに
した。

 高山祭は、4月14~15日に開催される日枝神社例祭「春の山王祭」と、10月9~
10日に開催されるここ桜山八幡宮の例祭「秋の八幡祭」の二つがあり、京都の祇園祭、
埼玉県の秩父夜祭とともに“日本三大美祭”といわれている。

 ここでは、秋の高山祭で曳き出される豪華絢爛な屋台を、年3回(3,7,11月)入
れ替えて展示しているという。

 ちなみに、高山祭は国の重要無形民俗文化財に指定され、2016年12月にはユネス
コの無形文化遺産にも登録されている。


 高山祭屋台会館は、お城の上に屋台がくっついているような建物。入館料は1,000円
だが、境内に相対して設置されている桜山日光館も観覧で来る。
     

 受付では音声ガイドを無料で貸してくれるので、各屋台の前でその屋台の説明を聞くこ
とができ、フラッシュ撮影しなければ撮影も可能。


 天井の高さは11mあるという広い展示場を順路に従って回り、精巧できらびやかな屋
台をひとつずつ観覧した。
     



     

          

     

          

     



     




 2階では、高山祭の様子を紹介する10分間のビデオ映像を上映していたので視聴する。








     
 さらに2階からも屋台の上部などを間近に観覧し、ミュージアムショップを抜けて会場
を出た。




 このあとは桜山八幡宮を参拝することにして、正面の石段を上がる。


 桜山八幡宮は、仁徳天皇65年に、飛騨国に二つの顔を持つ宿儺(すくな)という賊が
現れ、それを討伐するために派遣された和珥氏(わにうじ)の祖・難波根子武振熊命(な
にわのねこたけふるくま)が戦勝祈願のために先代の応神天皇を祀ったのに始まると伝え
られ、聖武天皇が諸国に設けた護国八幡だという説もあるとか。

 江戸時代に、金森氏が当地の領主となったときには氏神として当社を保護し、宮川以北
の住民を氏子とし、明治時代に八幡神社に改称、昭和7(1932)年に県社になり、桜
山八幡宮といわれるようになったのは戦後からという。




 拝殿に参拝後は左手に回り、幾つかの摂社の前を通って別の石段から下りるようになっ
ていた。

 杉木立に囲まれた境内には、残雪がかなり残っている。


 参拝を終えた後、高山祭屋台会館の附設館である「桜山日光館」を観覧することに。


 ここでは、大正時代に、当代の左甚五郎といわれていた長谷川喜十郎など33人の匠に
より、15年間かけて製作された日光東照宮の十分の一模型を展示している。

 陽明門をはじめ本殿、拝殿、五重塔など28の建物と、鳥居などの付属物をすべて再現
していて、構造から装飾や彫刻、絵画にいたるまで忠実に再現され、その部品総数は50
万個といわれているという。


 入口の正面には、模型製作に従事した当時の匠の衣装だろうか、古い法被(はっぴ)や
纏(まとい)などが展示されていた。


 その背後、全面見通せる展示場に陽明門などの精巧な模型が並んでいる。







 通路を回ると、正面や側面、背面など全面が見られるようになっていた。


 小さいだけに、一層の精巧さが求められると思われるが、どれを見ても飛騨の匠の技の
確かさが感じられるものばかりだった。


     



     


 側面には、百物揃(ひゃくものそろい)仙人行列の部分模型も。




 10分余りで観覧を終え、桜山八幡宮境内を出た。この後は、国の伝統的建物群保存地
区の下二之町から上二之町方面に向かうことにする。


 細い通りを左右折して南西へ、下一之町を南進する。 途中には屋根に酒樽や米俵が上が
る古い日本家屋も。


 日下部民芸館の横から東に伸びる細い流れの橋を渡って下一之町を南進すると、下一之
町下組の「大八台」(だいはちたい)と呼ぶ屋台蔵がある。
     

          


      近くには、飛騨らしい興味深い雑貨を扱う店も。
     


 ひとつ西側の橋を渡って下二之町を南進する。




     
      中ほどには、下二之町中組の「神馬台」(じんまたい)と呼ぶ屋台蔵が。
            

 国文寺通りから東に延びる幹線道路、安川通りに出た。12時30分を過ぎているので、
そろそろ昼食をと周辺を見渡したら、すぐ先、上二之町に入ったところに「手打そば恵比
寿本店」が目についたので入る。


 評判の店のようで、相次いで3,4組のグループが来て、テーブルはすべて塞がる。急
ぎとろろ入りなめこそば(1,380円)を注文し、美味しくいただき昼食とした。

 帰宅後、観光案内所で入手した「るるぶFREE飛騨高山」を見たら、この店は「明治31
(1898)年創業のそば店で、職人技で作りあげる挽きたてで香り高い手打そばが自慢」
と紹介されていた。


 上二之町をさらに先へ、通りには平田酒造場と二木酒造の二つの酒造店がある。




     
      その先には、上二之町下組の「鳳凰台」(ほうおうたい)の屋台蔵が。
          

     
      さらに別の酒造店、川尻酒造場や饅頭店なども目につく。


 家並みが右に折れるさんまち通りとの交差点の手前に、「飛騨高山まちの体験交流館」
があるが、入館は省いた。



 さんまち通りとの交差点へ。近くには天守閣のような屋根の上がる建物などが。

 

 通りが右に折れてさらに上二之町の家並みが続き、宮川の中橋近くで終端となる。


 その突き当たりは、大きな和風建築の高山市政制記念館である。

 ここは、明治28(1895)年に建築された旧高山町役場で、市指定文化財になって
いた。

          
      近くには、上二之町上組の「石橋台」(しゃっきょうたい)と呼ぶ屋台の屋
      台蔵がある。
          

 西側の宮川に架かる中橋際には、客待ちの人力車が。


 
 朱塗りの中橋から望む上流↑と下流↓。


 橋を渡った左岸際に広場があり、飛騨匠のひとりと伝えられる彫刻の名手で、平安時代
初期に自作の木鶴に乗って中国へ渡ったという伝説上の人物、韓 志和(から しわ)像が
ある。
     

 この場所は人馬問屋跡でもあったようで、東屋も設けられていた。



 その先は高山陣屋で、陣屋前には高山のシンボルである朝市の開催される広場がある。
                                    〈続く〉 



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