第4日 2019年5月31日(金)
== パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(3/3・ラヴェンナ) ==
フェラーラから南東へ、広々とした平原地帯を1時間30分余り進んでラヴェンナの町
並みに入り、15時40分にバスを下りた。
ラヴェンナ(Ravenna)は、フェラーラと同じエミリア ロマーニャ(Emilia Romagna)州
にあり、人口約15万人の基礎自治体でラヴェンナ県の県都。
歴史的にはアドリア海に面した海港都市として築かれたが、現代のラヴェンナ市街は海
から直線距離で約8㎞の内陸にあり、アドリア海とは運河で結ばれているという。
古代ローマ時代から中世にかけて繁栄し、西ローマ帝国や東ゴート帝国が首都とし、東
ローマ帝国ラヴェンナ総督府の首府でもあったとか。
「ラヴェンナの初期キリスト教建造物群」は、1996年に世界遺産に登録されている。
旧市街の町並みを10分ほど進み、通りに立つ門を抜けて、旧市街の西北側の同じ敷地
内にあるサン・ヴィターレ(San Vitale)教会(聖堂)とガッラ・プラチーディア(Galla
Placidia)の廟へ。何れも世界遺産である。
最初に、右手奥にある小さめのレンガ造りで十字架型の建物、↑ガッラ・プラチーディア
の廟の拝観だが、内部は狭いので少し待たされ、南側のサン・ヴィターレ教会の八角形の
建物↓や、ガッラ・プラチーディアの廟のそばにある高木などを眺める。
入っていたグループが出た後、廟に入って拝観する。
ガッラ・プラチーディアの廟は、ローマ皇帝テオドシウス1世の皇女であるガッラ・プ
ラチーディアの廟とされ、5世紀半ばの建立とか。
円天井は深い青色のモザイクに覆われ、奥行きある構図になっている。
「よき羊飼いの図」や「水盤から水を飲む鳩の図」が名高いようだが、ほかの装飾もみ
な素晴らしい。
10分ほど観覧してガッラ・プラチーディアの廟を出て、南側の大きなサン・ヴィター
レ教会に入る。
サン・ヴィターレ教会は、東ローマ帝国の支配下だった548年に建立された古い建物。
外観はシンプルだが、内陣の金色のモザイクの装飾が見事。
特に注目されるのは「ユスティニアヌス帝が宮廷人を従えた図」と「テオドラ妃と随臣
・侍女たちの図」という。
ほかも、どこを見上げても聖書のエピソードやキリスト像、自然の景観や動物など、金
色のモザイク画に圧倒される。
16時55分にサン・ヴィターレ教会を出た。門を出て教会をふり返り、から旧市街へ
と往路を戻る。
17時27分にバスは出発してラヴェンナを後にする。これで今日の観光を終え、今夜
の宿泊地サンマリノ共和国に向かう。サンマリノは、ラヴェンナから南南東におよそ85
㎞である。
バスはアドリア海に近い高速道路をリミニ(Rimini)まで進む。リミニからは南西へと
内陸部に入り、間もなくサンマリノ中央部のティターノ山が見えてきた。
山ろくまで進んで次第に高度を上げ、国境を越えてサンマリノ共和国に入る。
サンマリノ(San Marino)共和国の面積は61㎢、東京・世田谷区よりやや広く、JR
山手線の内側くらいで南北12㎞、東西8㎞ほど。バチカン、モナコ、ナウル、ツバルに
次ぐ世界で5番目に小さな国。人口は3万3千人ほどで、ほとんどがカトリック教徒のよ
う。
首都サンマリノは、標高739mのティターノ(Titano)山を中心に建設された城塞都市。
古代、山頂付近に修道院が開設され、13世紀頃に共和制の都市国家が成立し、1631
年にローマ教皇により独立を承認されて以来、独自の歴史と文化を育んで独立を維持して
おり、世界最古の独立国家でもあるという。
ゲートだけのイタリアとの国境を通過して、カーブの続く道路を次第に高度を上げて行
く。やがて東方にアドリア海も見えてきた。
さらに上がり、18時58分頃にホテル近くでバスを下りた。南から西へと広がる緩や
かな山並みなど眺めながら進む。
今日の宿、グランドホテル サンマリノには19時06分に入った。
部屋でゆっくりする間もなく、19時30分に集合して近くのレストランに行き夕食を
する。
夕食を終えた20時40分過ぎ、レストランから西に沈むきれいな夕日が眺められ、多
くの人がカメラを構えた。
食事を終えてホテルに戻る頃には辺りが薄暗くなり、街の明かりが点される。
ホテルには21時13分に戻った。
(天気 パドヴァ 快晴、フェラーラ 晴、ラヴェンナとサンマリノ 快晴、歩数
14,700)
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== パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(3/3・ラヴェンナ) ==
フェラーラから南東へ、広々とした平原地帯を1時間30分余り進んでラヴェンナの町
並みに入り、15時40分にバスを下りた。
ラヴェンナ(Ravenna)は、フェラーラと同じエミリア ロマーニャ(Emilia Romagna)州
にあり、人口約15万人の基礎自治体でラヴェンナ県の県都。
歴史的にはアドリア海に面した海港都市として築かれたが、現代のラヴェンナ市街は海
から直線距離で約8㎞の内陸にあり、アドリア海とは運河で結ばれているという。
古代ローマ時代から中世にかけて繁栄し、西ローマ帝国や東ゴート帝国が首都とし、東
ローマ帝国ラヴェンナ総督府の首府でもあったとか。
「ラヴェンナの初期キリスト教建造物群」は、1996年に世界遺産に登録されている。
旧市街の町並みを10分ほど進み、通りに立つ門を抜けて、旧市街の西北側の同じ敷地
内にあるサン・ヴィターレ(San Vitale)教会(聖堂)とガッラ・プラチーディア(Galla
Placidia)の廟へ。何れも世界遺産である。
最初に、右手奥にある小さめのレンガ造りで十字架型の建物、↑ガッラ・プラチーディア
の廟の拝観だが、内部は狭いので少し待たされ、南側のサン・ヴィターレ教会の八角形の
建物↓や、ガッラ・プラチーディアの廟のそばにある高木などを眺める。
入っていたグループが出た後、廟に入って拝観する。
ガッラ・プラチーディアの廟は、ローマ皇帝テオドシウス1世の皇女であるガッラ・プ
ラチーディアの廟とされ、5世紀半ばの建立とか。
円天井は深い青色のモザイクに覆われ、奥行きある構図になっている。
「よき羊飼いの図」や「水盤から水を飲む鳩の図」が名高いようだが、ほかの装飾もみ
な素晴らしい。
10分ほど観覧してガッラ・プラチーディアの廟を出て、南側の大きなサン・ヴィター
レ教会に入る。
サン・ヴィターレ教会は、東ローマ帝国の支配下だった548年に建立された古い建物。
外観はシンプルだが、内陣の金色のモザイクの装飾が見事。
特に注目されるのは「ユスティニアヌス帝が宮廷人を従えた図」と「テオドラ妃と随臣
・侍女たちの図」という。
ほかも、どこを見上げても聖書のエピソードやキリスト像、自然の景観や動物など、金
色のモザイク画に圧倒される。
16時55分にサン・ヴィターレ教会を出た。門を出て教会をふり返り、から旧市街へ
と往路を戻る。
17時27分にバスは出発してラヴェンナを後にする。これで今日の観光を終え、今夜
の宿泊地サンマリノ共和国に向かう。サンマリノは、ラヴェンナから南南東におよそ85
㎞である。
バスはアドリア海に近い高速道路をリミニ(Rimini)まで進む。リミニからは南西へと
内陸部に入り、間もなくサンマリノ中央部のティターノ山が見えてきた。
山ろくまで進んで次第に高度を上げ、国境を越えてサンマリノ共和国に入る。
サンマリノ(San Marino)共和国の面積は61㎢、東京・世田谷区よりやや広く、JR
山手線の内側くらいで南北12㎞、東西8㎞ほど。バチカン、モナコ、ナウル、ツバルに
次ぐ世界で5番目に小さな国。人口は3万3千人ほどで、ほとんどがカトリック教徒のよ
う。
首都サンマリノは、標高739mのティターノ(Titano)山を中心に建設された城塞都市。
古代、山頂付近に修道院が開設され、13世紀頃に共和制の都市国家が成立し、1631
年にローマ教皇により独立を承認されて以来、独自の歴史と文化を育んで独立を維持して
おり、世界最古の独立国家でもあるという。
ゲートだけのイタリアとの国境を通過して、カーブの続く道路を次第に高度を上げて行
く。やがて東方にアドリア海も見えてきた。
さらに上がり、18時58分頃にホテル近くでバスを下りた。南から西へと広がる緩や
かな山並みなど眺めながら進む。
今日の宿、グランドホテル サンマリノには19時06分に入った。
部屋でゆっくりする間もなく、19時30分に集合して近くのレストランに行き夕食を
する。
夕食を終えた20時40分過ぎ、レストランから西に沈むきれいな夕日が眺められ、多
くの人がカメラを構えた。
食事を終えてホテルに戻る頃には辺りが薄暗くなり、街の明かりが点される。
ホテルには21時13分に戻った。
(天気 パドヴァ 快晴、フェラーラ 晴、ラヴェンナとサンマリノ 快晴、歩数
14,700)
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今回の旅の収穫のひとつでした。