あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

秩父ジオパーク歴史道歩き 宇根の里から根古屋城址(埼玉)

2012-03-25 21:07:56 | カントリーウオーク
 2012年3月24日(土)

秩父のシンボル武甲山(ぶこうざん)の北麓、横瀬町(よこぜまち)を歩く、「秩父ジオ
パーク歴史道歩き」に参加した。

 雨の上がった西武秩父線の横瀬駅前には、50人前後が集まる。主催のNPO秩父まるご
と博物館N理事長の挨拶、司会のIさんのコース説明、準備体操などの後、10時10分に
スタートした。


 駅北側の踏切を越えて、南側の宇根地区に向かう。小さい広葉樹林の向こうに、秩父神社
に納める米を作るという、富田家の神饌田(しんせんでん)が望まれる。

 日本の原風景を感じさせる静かなたたずまいの集落を進み、まずは八阪神社へ。社殿の棟
札(むねふだ)には弘化3年(1846)の墨書があり、以前は東方の天王山に祭られてい
たのを、明治末期にここにかつぎ下ろして遷座(せんざ)したのだという。


 覆屋に納められた社殿は小さ目だが、周囲には中国の寓話、三国志、鳥獣などの精巧な木
彫が施され、わずかに残る極彩色が、製作当時の豪華な彩りを忍ばせる。


 1週間後の4月1日が春祭りには、2基の笠鉾(かさほこ)が町内を曳き回されるようで、
そのポスターがそばの建物に掲示されていた。


 少し進むと、兎沢の左岸台地に山神社が祭られていて、鳥居のそばのヒイラギの古木が2
本ある。


 道路を挟んだ西側には、樹齢100年を超えるというチチブベニシダレザクラが、大きく
枝を広げている。2~3週間後には、色濃いという花が見られるのだろうか…。


 路傍のミツマタが花開き、雨後で展望を妨げていたガスが上がり、武甲山の山肌が現れて
きた。

 集落の南端近く、左カーブする三差路際に、「山裾の田中の道のきふねぎく ゆふくれな
ゐににほへるを見つ」の歌碑があった。

 昭和42年(1967)の埼玉国体で秩父を巡察されたときに、昭和天皇が読まれたもの。

 そばの高みにある「おきうね農園」は手作りアイスが人気で、以前来たときに賞味したこ
とがある。



 宇根峠に向かう道は南面が開け、武甲山の石灰岩を採掘した斜面が望まれる。車道を離れ
て広葉樹林と杉林の間を進む。峠に上がると、北面からの「思索の森ハイキングコース」や
「ひゃくいち田んぼ」方面からの遊歩道と合していた。


 車道に戻って、さらに緩やかに上がる。西側の林にキブシの花芽がふくらみ、ヘーゼルナ
ッツに近いというツノハシバミ↓も花芽を垂らし、春近しを感じさせる。


 下り道となり、配水池の横で左カーブする。その前後に、武甲山から採掘した石灰石を運
ぶベルトコンベアが道路下を横断していた。近くには、石灰石の集積場もある。


 ポツポツと雨が落ちてきた。右下に養蜂場を見下ろしながら下り、鳥居横に庚申塔の立つ
白髭神社の下で三差路に出る。

 根古屋集落に入り、神社のそばの一区コミュニティ広場が昼食地。12時ちょうどに着い
た。雨を気にしながら藤棚の下で食事をしていたが、食事を終える頃には予報とは違い本降
りになった。急ぎ弁当包みなどをしまい、雨具や傘を用意する。


 出発を前に、植物に詳しい人が、途中で採集してきた木の葉や草を幾つも紹介してくれた。
普段見慣れた草にも、帰化植物の多いことを知る。幸い雨も止み、12時40分に出発した。

 近くの民家の大きなサンシュユが花を見せ始めているが、そばの紅梅はまだ咲き始めだ。


 アケビ沢の大指(おおざす)橋を渡り、すぐ先のY字路を上がって、「大指の湯屋跡」と
いう大きな建物の佐野家を訪ねる。


 元禄年間から続く「秩父七湯」の一つで、明治初年頃まで「元鳩の湯」と呼ばれたとか。
傷を負った1羽の鳩が10余り湯につかり、治り飛び去った伝承があるという。

 佐野家はこの地に2軒あった湯宿の一つで「上の湯屋」と呼ばれ、近くの鉱泉を運び、五
右衛門風呂で湧かせていたようだ。


 ちょうど奥様が居られ、土間まで入らせてもらい、掛け軸やそばの部屋を見せていただく。
庭先の紅梅が見頃で、フクジュソウも咲き出している。小さい池には金魚がたくさん泳いで
いた。



 道を挟んだ民家には焼き窯(かま)の設備があり、裏手には素焼きの壺などが並んでいる。
そばの小さいお堂に、素朴な石のお地蔵さんが祭られていた。


 Y字路に戻って南へ進むと、武甲山で採掘した石灰を扱う、武甲鉱業と秩父石灰の大規模
な施設が斜面下に並んでいる。


 生川橋を渡ってV字状に折り返し、生川の右岸上部を進む。斜面に祭られた猿田彦神社と
八坂神社のそばに、「古御嶽神社入口、右武甲山道」と刻まれた大きな標石が立っていた。


 天気が回復して次第に青空が広がり、振り返ると武甲山の採掘跡がよく見えてきた。


 中ノ沢近くの民家の前庭に2本の枝垂れ梅がかなり花開き、樹下のフクジュソウやフキノ
トウも花を見せていた。

 中ノ沢を渡ってY字路を左に入り、秩父三十四観音霊場第八番の西善寺前で小休止する。


 寺の山門を入ると本堂前に、秋の紅葉が素晴らしいという、県の天然記念物で高さ10m、
枝張り20m、樹齢約600年のコミネモミジの古木が枝を広げている。


 本堂は弘化2年(1845)の再建。境内には、六地蔵やなで仏なども祭られている。

 Y字路に戻って右手の道を進み、城谷沢を渡る。遊歩道西口の標識に従い、根古屋城址を
巡る遊歩道に入った。

 民家の間や茶畑の横などを進んで、山腹に祭られた稲荷神社の上の西郭(にしくるわ)付
近に上がる。

 根古屋城は、江戸後期の「新編武藏風土記稿」によれば、北条氏直の家臣、渡辺監物、浅
見伊賀守が在城したといい、往古には秩父別当武光以下五代にわたり居住したとか。天正18
年(1590)の鉢形城落城とともに開城し、その後廃城になったという。


 ここからは、根古屋城趾の発掘などに携ったという、Fさんに案内してもらう。まずは西
郭の空堀(からほり)や御殿跡、腰郭(こしくるわ)、横堀などの説明をしていただく。

 林間を東に進んで急な木の段を上がると、山頂の郭付近に出る。西方樹間に両神山などの
展望が広がり、南面は石灰岩の採掘で破壊され、急斜面になっていた。



 杉木立下の急な木の段を北西に下り、標高300m付近の配水池上部にある東郭付近に回
り、井戸郭や帯郭などの説明を聞く。ここで城址巡りを終え、西武秩父線のトンネル西側に
近い道路に下り、ご説明いただいたFさんに御礼申し上げて分かれる。

 遊歩道北口から秩父往還に入り、ケンムシ坂を下って国道299号下を抜け、生川の柳生
橋を渡る。国道に合したところの東側台地上に、秩父霊場第七番の法長寺があるが、予定時
刻を過ぎているので寄らずに通過した。

 横瀬橋を渡って国道に分かれ、西側の台地に向かって上がって行くと、秩父一の大伽藍
(だいがらん)という法長寺の大きな本堂が、裏手から望まれる。


 西に進む道筋からは、三菱マテリアルの工場の向こうに、武甲山の山容が一望である。



 T字路に突き当たって左折し、東方に連なる二子山↑などを眺めながら進んで、秩父霊場
九番の明智寺へ。


 ここも本堂にお参りしただけで境内を通過し、ゴールの横瀬駅には15時50分に着いた。

 後方のグループの到着を待たずに散会となったので、16時3分発飯能行きで帰途につく。

(天気 曇後晴一時雨、距離 9.5㎞、地図(1/2.5万) 秩父、歩行地 横瀬町、
 歩数 16,900、累積標高差 約700m)



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