あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

奈良・聖林寺から安倍文殊院

2006-04-13 19:49:26 | 奈良を歩く
 今日は、年1度の人間ドックで、東京・池袋まで行って来ました。
検査は午前中で終わり、午後の面接では特に異常はないと言われ、安心しました。

 以下、昨日のレポートの後半です。


06年4月9日(日)(続き)
 桜井駅行きバスを聖林寺(しょうりんじ)バス停で下車し、南側にある聖林寺に
行く。

 聖林寺は、8世紀の初め、藤原鎌足の子・定慧(じょうえ)が、父の菩提を弔う
ために開山、のちに兵火に会い、鎌倉時代に再建された。

 寺は北向き斜面の高台にあり、北に三輪山が望まれる。

 本尊の子安延命地蔵尊(下の写真)は、大和最大の石地蔵とか。近在では安産
祈願のお地蔵さんとして知られているという。こんな大きなお地蔵さんは見たこと
がない。

 観音堂に上がり、国宝の十一面観音菩薩を拝観する。760年代に東大寺造仏所
で造られたとする説が有力という。豊かな顔立ちや量感のある上半身など、ミロの
ビーナスとも比較されるというが、確かに仏像彫刻の優作というのがうなずける。

 近くの下集落には、数戸の杉玉が下がった造り酒屋など、古い民家が残っていた。

 メスリ山古墳の下や、幾つかの製材所の横を通過し、国史跡の安倍寺(あべ
でら)跡へ。

 安倍寺は、大化改新時の左大臣、安倍倉梯麻呂(あべくらはしまろ)の建立と
伝えられ、一帯は安倍氏一族の本拠地だったという。

 寺の範囲は約200m四方で、東に金堂、西に塔を配し、北に講堂という法隆
寺式あるいは川原寺式に近かったようだ。写真の基壇は、塔跡らしい。

 東側に、りっぱな民家があった。中西家で、近くに同姓の家もあったので、
この地の旧家かと思われる。

 その通を北に進むと、境内を満開の桜に彩られた安倍文殊院(あべもんじゅ
いん)が見えてきた。

 17時を過ぎていたので入れないかと思ったが、桜並木の参道を進んだら、
まだ参観している人がいたので入る。

 安倍文殊院は、日本三文殊の一つで、先ほど寄った安倍寺の後身といわれる。
安倍氏の氏寺として、安倍仲麻呂や平安時代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と
しても知られている。

 文殊様だけあり、東京の湯島天神と同様、本堂前に合格祈願の絵馬がたくさん
下がっていた。

 本堂には、国重文で鎌倉初期の巨匠・快慶の作による、わが国最大の文殊像
「文殊菩薩騎獅像」があるというが、時刻も遅いので拝観は省略した。

 境内には、国特別史跡の文殊院西古墳など、3つの古墳もある。

 大きな池には金閣浮御堂があり、池の周辺は満開のソメイヨシノが咲き競って
いた。

 ほかに、広い境内には、葛の葉稲荷、縁結び大神の白山堂、奈良や京都を米軍
の空襲から救ったウオーナー博士の報恩塔、安倍晴明公の晴明堂など、幾つもの
堂塔があった。

 17時40分文殊院を出て桜井駅に向かう。桜井市は木材の町とか、途中、幾つ
もの木材業者が並んでいた。

 18時5分に桜井駅に着き、18時12分発近鉄電車で、京都に向かった。

 なお、この日、関西の歩きのグループ・野楽路(のらくろ)の皆さんも、明日香村
の甘樫丘(あまかしのおか)から高家(たいえ)を経て、聖林寺から安倍文殊院へ
と歩いたとのこと。私たちはその後を追ったことになる。
 
(歩行距離 7㎞、地図(1/2万5千) 畝傍山、桜井、歩行地 奈良県桜井市) 

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いい旅でしたね (竜馬16@会社)
2006-04-14 12:45:19
おかえりなさい。

桜の古都・奈良京都の御旅行の報告楽しみにしています。



聖林寺はいいところでしょう。

この付近から奧への里は,高家(たいえ)といいます。

私もHP「今日は風曜日」でアップしています。

返信する
高家も行きたい (saikoroat)
2006-04-14 18:47:24
竹ちゃんまんさんからのメールによれば、高家

から今井谷を経て、私たちより1時間余り早く、

聖林寺から安倍文殊院へ歩いたようです。



2万5千分の1「畝傍山」を見ると、飛鳥から

高家~今井谷~倉橋のルートも、なかなか

よさそうですね。次の機会に歩いてみたいと

思いました。
返信する

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