2017年10月1日(日)
秋晴れとなったので、練馬区西部の二つの催しの観覧を中心に、石神井(しゃくじい)
公園周辺のウオーキングに出かけた。
西武池袋線の練馬高野台(ねりまたかのだい)駅に下車し、駅構内の弁当店で弁当を求
めて10時50分に駅を出た。
東側から石神井川左岸沿いの遊歩道に入り、桜並木の下を西進する。次の橋で右岸に回
り、流れが南西へと向きを変える直前の和田堀歩道橋を渡って川を離れる。
少しだけの和田堀跡遊歩道を進み、都立石神井公園の東端、石神井池のボート乗り場際
に出た。
好天の日曜日なので公園は大勢の人出で、ボートもスワン型を含めてたくさん池に浮い
ている。
池の南側にあり、豊富な広葉樹林と池の残る石神井公園記念庭園に入り、池の縁を南に
進む。
記念庭園は、地元の資産家だった豊田家が大正時代に造成した第二豊田園という日本庭
園の跡だという。
公園を南に抜けて、バス通りの豊島橋交差点際にある禅定院(ぜんじょういん)に入る。
禅定院は豊島八十八ヶ所第70番札所で、「新編武藏風土記稿(しんぺんむさしふどきこ
う)」によれば、約600年前に願行上人の開基とか。
本堂はコンクリート造りだが、鐘楼は珍しいかやぶき屋根。
本堂前には「ねりまの名木」に指定された樹高7m、幹回り2.1mのヒヨクヒバが立
ち、その下には寛文13(1673)年建立の「キリシタン灯籠」と呼ぶ、珍しい石灯ろ
うが祭られていた。
石神井公園記念庭園に戻り、柿の実の色づくピークから北に下って石神井池の南岸に出
た。
池に浮かぶスワンボートなどを眺めながら樹林下の遊歩道を西進する。
中の島の橋近くにはカルガモが泳ぎ、池の西端近くに古くて奇怪な形のモニュメントが
立っていたが、説明板などは無い。
南側斜面を上がると稲荷諏訪合神社があり、社殿はコンクリート造り。拝殿前に古い手
押しポンプが残されていた。
神社と道を挟んで南側の「石神井公園ふるさと文化館」が、今日の目的地のひとつ。
入館してまず1階の情報コーナーで、石神井公園の歴史年表や練馬区の伝統工芸品など
の展示を見る。
2階の企画展示室が、来訪目的の特別展「描かれた練馬」である。
練馬区独立70周年記念展で、江戸時代の名所だった三宝寺池(さんぽうじいけ)や長
命寺(ちょうめいじ)などを描いた「江戸名所図会(ずえ)」、鉄道開通後の豊島園や三
宝寺池、武蔵野風景などの風景画、版画、水彩画、油彩画などである。
特別展は撮影禁止なので、リーフレットから何点か紹介する。
「池畔新緑」中村善策
「石神井」吉田 博
「三宝寺池(石神井)」川瀬巴水
「大東京十二景の内 八月・豊島園の夏」藤森静雄
「武蔵野古物」部分
私は、1950~60年代の15年近く練馬区に住み、最初の職場も石神井公園駅近く
だったこともあり、練馬区はなじみの場所で懐かしい風景もあった。
特別展を観覧後、同じ2階の常設展示室にも入り、土器などの出土品、名産だった練馬
大根ゆかりの展示、農具や生活、産業関連の展示などを観覧した。
館の東側は練馬区立池淵(いけぶち)史跡公園で、区の登録史跡「池淵遺跡」を埋め戻
し整備したところ。園内には、区指定文化財「旧内田家住宅」が移築復元されている。
明治20年代(1887~)初めの建築と推定され、一部には江戸時代の古在も使われ
ているという。土間にも入り裏手に抜けた。
桜の葉が色づき始めた園路沿いには、区内にあった庚申塔や馬頭観音など江戸時代の石
造物が配置されていて、縄文時代の竪穴住居跡の表示もあった。
左の馬頭観音は享和3(1803)年、右の庚申塔は享保5(1720)年の造立
縄文時代の竪穴住居跡の場所
13時を過ぎたので神社横を下って、石神井池を眺めながら近くのベンチで昼食をする。
昼食を終え、ふるさと文化館の西を南北に走る都道444号・井草通りを横切り西へ、
細道を進んで南に回って道場寺(どうじょうじ)に行く。
道場寺は、文中元(1372)年に石神井城主豊島景村の養子輝時が建立し、豊島氏代
々の菩提寺としたと伝えられているよう。寺には、永禄5(1562)年に道場寺の税を
免除することを記した、小田原の北条氏康からの朱印状が所蔵されているという。
緑がいっぱいの境内、山門の前や本堂の周辺などに白花のハギがたくさん花を見せてい
た。
山門を入った左手には三重塔が立つが、モミジなどの木々が多く全景は見えない。
中間に古くからの住宅地を隔てて、西側には三宝寺がある。三宝寺は応永元(1394)
年の創建、正門の御成門(おなりもん)↓は徳川家光が狩りの際に休憩所としたことが由
来しているとか。
現在の門は文政10(1828)の再建という。東側の長屋門は、勝海舟邸の屋敷門を
移築したといわれているよう。
ここも緑が豊富で、広い境内には本堂↓を中心に大師堂、大黒堂、根本大塔、正覚院、
鐘楼堂などの堂塔が立ち、四国八十八ヶ所お砂踏霊場も設けられている。
根本大塔
西側墓地際には大きな平和観音が立ち、御成門の近くには「ねりまの名木」に指定され
た、樹高10mのサルスベリがある。
少し戻って道場寺の西側を北へ、突き当たりの長屋門のある屋敷の東側を北に進み、都
立石神井公園の西側を占める三宝寺池の東端近くに出た。こちらも多くの人出で、スケッ
チのグループもいる。
三宝寺池は石神井川の水源地で、豊富な湧水のもとに氷河期から生息してきた湿性植物
が残り、昭和10(1935)年に「三宝寺池沼沢植物群」として国の天然記念物に指定
された。
しかし、戦後は周辺の都市化で湧水が減って湿性植物も激減しており、東京都で平成5
(1993)年から水質改善や希少植物の保存増殖に取り組んでいるという。
スイレンだろうかビッシリと埋め尽くした池の東端から、中の島や周辺の豊富な樹木や
カルガモなどを眺めながら池の北側の遊歩道を西進する。
遊歩道の西側にはメタセコイアの高木も並んでいた。
池の西南端にある氷川神社や池に浮かぶ東屋(あずまや)を眺めて、西北端から北に上
がり三宝寺池を出た。
北側は、広いエリアを占める芝生の多目的広場などのある区立石神井松の風文化公園で、
庭球場、野球場、松林の広場などもある。
入った南西門から西側園路を少し進むと、気象庁アメダス練馬観測所があった。ここで
は気温、風向・風速、降水量、日照時間を観測しているようで、それら測器が狭い一角に
設置されている。
報道される練馬の気温は都内でも高温の日が多いが、このような公園の一角でのデータ
なので、区内東部の市役所周辺などではもっと高温ではないかと想像される。
北側の都道8号・富士街道沿いの出入口を出て、石神井台三丁目の都営石神井団地の間
や東京学芸大附属大泉小・大泉中などの正門前を通過後、上石神井通りを横断して、今日
二つ目の目的地である区立牧野記念庭園に行く。
ここは、世界的植物学者だった牧野富太郎博士↓が大正15(1926)年から昭和32
(1957)年に94歳で死去するまでの30年間居宅にした跡地。
博士が「わが植物園」としてこよなく愛した地を広く開放して博士の偉業を後世に伝え
るため、区立庭園として博士没後の翌年の昭和33年に開園したという。
園内には、博士が国内外から探し求めた300種以上の草木類が植栽されていて、珍し
いものも数多く、スエコザサ、センダイヤ、ヘラノキなど学問的にも貴重なものも残され
ているようだ。
園内西南端には、妻壽衛(すえ)さんへの感謝と愛情を込めて命名したスエコザサに囲
まれた牧野博士の胸像がある。
園内を一巡して、各々に名札の付けられた植物を確認して回る。この時期に花は乏しい
が、シモバシラ↑、マルバフジバカマ↓などが花を見せ、マユミは実がついていた。
マユミ
「ねりまの名木」に指定され、区内では珍しい樹高13mのヘラノキも立っている。
この後、北側にある建物に入り、常設展示室と企画展示室で開催中の今日二つ目の目的
の「牧野式植物図への道Ⅱ」と題する高知県立牧野植物園からの巡回展示を見た(撮影禁
止)。
牧野博士の植物図は、植物の成長段階を追った精密な部分図や解剖図などもあり、丹念
にスケッチされた実物大の図は、植物観察への強い執念が、石版印刷技術を習得したこと
や植物図の校正原稿などには印刷時におけるきめ細かなこだわりなどが感じられた。
牧野記念庭園のパンフレトに記載されていた展示室の写真
さらに園内東北端の鞘堂(さやどう)に保存された書屋展示室にも回り、牧野博士が研
究や執筆にこもったという、当時のままに保存されている7坪の書斎と書庫も観覧した。
書屋展示室近くにある、牧野博士の自筆文字を刻んだ石碑
これで今日の予定コースを回り終えた。東側を走る上石神井通りを北へ300mほど進
み、15時53分に西武池袋線の大泉学園駅に着いた。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 練馬区、歩数
16,300)
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秋晴れとなったので、練馬区西部の二つの催しの観覧を中心に、石神井(しゃくじい)
公園周辺のウオーキングに出かけた。
西武池袋線の練馬高野台(ねりまたかのだい)駅に下車し、駅構内の弁当店で弁当を求
めて10時50分に駅を出た。
東側から石神井川左岸沿いの遊歩道に入り、桜並木の下を西進する。次の橋で右岸に回
り、流れが南西へと向きを変える直前の和田堀歩道橋を渡って川を離れる。
少しだけの和田堀跡遊歩道を進み、都立石神井公園の東端、石神井池のボート乗り場際
に出た。
好天の日曜日なので公園は大勢の人出で、ボートもスワン型を含めてたくさん池に浮い
ている。
池の南側にあり、豊富な広葉樹林と池の残る石神井公園記念庭園に入り、池の縁を南に
進む。
記念庭園は、地元の資産家だった豊田家が大正時代に造成した第二豊田園という日本庭
園の跡だという。
公園を南に抜けて、バス通りの豊島橋交差点際にある禅定院(ぜんじょういん)に入る。
禅定院は豊島八十八ヶ所第70番札所で、「新編武藏風土記稿(しんぺんむさしふどきこ
う)」によれば、約600年前に願行上人の開基とか。
本堂はコンクリート造りだが、鐘楼は珍しいかやぶき屋根。
本堂前には「ねりまの名木」に指定された樹高7m、幹回り2.1mのヒヨクヒバが立
ち、その下には寛文13(1673)年建立の「キリシタン灯籠」と呼ぶ、珍しい石灯ろ
うが祭られていた。
石神井公園記念庭園に戻り、柿の実の色づくピークから北に下って石神井池の南岸に出
た。
池に浮かぶスワンボートなどを眺めながら樹林下の遊歩道を西進する。
中の島の橋近くにはカルガモが泳ぎ、池の西端近くに古くて奇怪な形のモニュメントが
立っていたが、説明板などは無い。
南側斜面を上がると稲荷諏訪合神社があり、社殿はコンクリート造り。拝殿前に古い手
押しポンプが残されていた。
神社と道を挟んで南側の「石神井公園ふるさと文化館」が、今日の目的地のひとつ。
入館してまず1階の情報コーナーで、石神井公園の歴史年表や練馬区の伝統工芸品など
の展示を見る。
2階の企画展示室が、来訪目的の特別展「描かれた練馬」である。
練馬区独立70周年記念展で、江戸時代の名所だった三宝寺池(さんぽうじいけ)や長
命寺(ちょうめいじ)などを描いた「江戸名所図会(ずえ)」、鉄道開通後の豊島園や三
宝寺池、武蔵野風景などの風景画、版画、水彩画、油彩画などである。
特別展は撮影禁止なので、リーフレットから何点か紹介する。
「池畔新緑」中村善策
「石神井」吉田 博
「三宝寺池(石神井)」川瀬巴水
「大東京十二景の内 八月・豊島園の夏」藤森静雄
「武蔵野古物」部分
私は、1950~60年代の15年近く練馬区に住み、最初の職場も石神井公園駅近く
だったこともあり、練馬区はなじみの場所で懐かしい風景もあった。
特別展を観覧後、同じ2階の常設展示室にも入り、土器などの出土品、名産だった練馬
大根ゆかりの展示、農具や生活、産業関連の展示などを観覧した。
館の東側は練馬区立池淵(いけぶち)史跡公園で、区の登録史跡「池淵遺跡」を埋め戻
し整備したところ。園内には、区指定文化財「旧内田家住宅」が移築復元されている。
明治20年代(1887~)初めの建築と推定され、一部には江戸時代の古在も使われ
ているという。土間にも入り裏手に抜けた。
桜の葉が色づき始めた園路沿いには、区内にあった庚申塔や馬頭観音など江戸時代の石
造物が配置されていて、縄文時代の竪穴住居跡の表示もあった。
左の馬頭観音は享和3(1803)年、右の庚申塔は享保5(1720)年の造立
縄文時代の竪穴住居跡の場所
13時を過ぎたので神社横を下って、石神井池を眺めながら近くのベンチで昼食をする。
昼食を終え、ふるさと文化館の西を南北に走る都道444号・井草通りを横切り西へ、
細道を進んで南に回って道場寺(どうじょうじ)に行く。
道場寺は、文中元(1372)年に石神井城主豊島景村の養子輝時が建立し、豊島氏代
々の菩提寺としたと伝えられているよう。寺には、永禄5(1562)年に道場寺の税を
免除することを記した、小田原の北条氏康からの朱印状が所蔵されているという。
緑がいっぱいの境内、山門の前や本堂の周辺などに白花のハギがたくさん花を見せてい
た。
山門を入った左手には三重塔が立つが、モミジなどの木々が多く全景は見えない。
中間に古くからの住宅地を隔てて、西側には三宝寺がある。三宝寺は応永元(1394)
年の創建、正門の御成門(おなりもん)↓は徳川家光が狩りの際に休憩所としたことが由
来しているとか。
現在の門は文政10(1828)の再建という。東側の長屋門は、勝海舟邸の屋敷門を
移築したといわれているよう。
ここも緑が豊富で、広い境内には本堂↓を中心に大師堂、大黒堂、根本大塔、正覚院、
鐘楼堂などの堂塔が立ち、四国八十八ヶ所お砂踏霊場も設けられている。
根本大塔
西側墓地際には大きな平和観音が立ち、御成門の近くには「ねりまの名木」に指定され
た、樹高10mのサルスベリがある。
少し戻って道場寺の西側を北へ、突き当たりの長屋門のある屋敷の東側を北に進み、都
立石神井公園の西側を占める三宝寺池の東端近くに出た。こちらも多くの人出で、スケッ
チのグループもいる。
三宝寺池は石神井川の水源地で、豊富な湧水のもとに氷河期から生息してきた湿性植物
が残り、昭和10(1935)年に「三宝寺池沼沢植物群」として国の天然記念物に指定
された。
しかし、戦後は周辺の都市化で湧水が減って湿性植物も激減しており、東京都で平成5
(1993)年から水質改善や希少植物の保存増殖に取り組んでいるという。
スイレンだろうかビッシリと埋め尽くした池の東端から、中の島や周辺の豊富な樹木や
カルガモなどを眺めながら池の北側の遊歩道を西進する。
遊歩道の西側にはメタセコイアの高木も並んでいた。
池の西南端にある氷川神社や池に浮かぶ東屋(あずまや)を眺めて、西北端から北に上
がり三宝寺池を出た。
北側は、広いエリアを占める芝生の多目的広場などのある区立石神井松の風文化公園で、
庭球場、野球場、松林の広場などもある。
入った南西門から西側園路を少し進むと、気象庁アメダス練馬観測所があった。ここで
は気温、風向・風速、降水量、日照時間を観測しているようで、それら測器が狭い一角に
設置されている。
報道される練馬の気温は都内でも高温の日が多いが、このような公園の一角でのデータ
なので、区内東部の市役所周辺などではもっと高温ではないかと想像される。
北側の都道8号・富士街道沿いの出入口を出て、石神井台三丁目の都営石神井団地の間
や東京学芸大附属大泉小・大泉中などの正門前を通過後、上石神井通りを横断して、今日
二つ目の目的地である区立牧野記念庭園に行く。
ここは、世界的植物学者だった牧野富太郎博士↓が大正15(1926)年から昭和32
(1957)年に94歳で死去するまでの30年間居宅にした跡地。
博士が「わが植物園」としてこよなく愛した地を広く開放して博士の偉業を後世に伝え
るため、区立庭園として博士没後の翌年の昭和33年に開園したという。
園内には、博士が国内外から探し求めた300種以上の草木類が植栽されていて、珍し
いものも数多く、スエコザサ、センダイヤ、ヘラノキなど学問的にも貴重なものも残され
ているようだ。
園内西南端には、妻壽衛(すえ)さんへの感謝と愛情を込めて命名したスエコザサに囲
まれた牧野博士の胸像がある。
園内を一巡して、各々に名札の付けられた植物を確認して回る。この時期に花は乏しい
が、シモバシラ↑、マルバフジバカマ↓などが花を見せ、マユミは実がついていた。
マユミ
「ねりまの名木」に指定され、区内では珍しい樹高13mのヘラノキも立っている。
この後、北側にある建物に入り、常設展示室と企画展示室で開催中の今日二つ目の目的
の「牧野式植物図への道Ⅱ」と題する高知県立牧野植物園からの巡回展示を見た(撮影禁
止)。
牧野博士の植物図は、植物の成長段階を追った精密な部分図や解剖図などもあり、丹念
にスケッチされた実物大の図は、植物観察への強い執念が、石版印刷技術を習得したこと
や植物図の校正原稿などには印刷時におけるきめ細かなこだわりなどが感じられた。
牧野記念庭園のパンフレトに記載されていた展示室の写真
さらに園内東北端の鞘堂(さやどう)に保存された書屋展示室にも回り、牧野博士が研
究や執筆にこもったという、当時のままに保存されている7坪の書斎と書庫も観覧した。
書屋展示室近くにある、牧野博士の自筆文字を刻んだ石碑
これで今日の予定コースを回り終えた。東側を走る上石神井通りを北へ300mほど進
み、15時53分に西武池袋線の大泉学園駅に着いた。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 練馬区、歩数
16,300)
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