2009年2月13日(金)
中山道ウオークのメンバーで群馬県邑楽町(おうらまち)にお住まい
のKさんから、お誘いのメールをいただき、邑楽町と館林市にまたがる
多々良沼(たたらぬま)と、ツツジで知られる館林の城沼(じようぬま)
での白鳥を見るウオークに出かけた。
ちなみに前日夜のNHK総合TVのニュースでは、2つの沼合わせて
154羽の白鳥を数えたと報道されていた。
東武伊勢崎線の多々良駅に10時9分に着く。参加メンバーはKさん
ほか6人。駅前で、お腹の大きなタヌキの置物が3匹出迎えてくれた。
駅の南で国道122号を越え、稲荷前集落から田園地帯に出て、群馬
県立館林美術館前へ。
用水沿いに桜並木の続く遊歩道を南西に向かう。
広々とした田んぼの向こうに、松林の緑の帯が長く続いている。
間もなく多々良沼の北側に出た。
冬枯れで寒々としたあし原などを眺めながら、車道沿いに沼の北西端
まで行く。左折して少し南下すると、沼の西端のあし原に囲まれた一角
に、「カバ沼」と呼ぶ水辺がある。
水が少なく遠浅に伸びた岸辺にたくさんのカモ類が羽を休め、その先
の水辺にコハクチョウがカモと一緒に30数羽泳いでいた。
湖畔に沿って桜並木や芝生の整備された自然探勝路を進み、ハート
形の多々良沼の凹んだところに回る。このあたりにもコハクチョウと、
わずかながらオオハクチョウも見える。
沼に突き出た浮島に多々良七福神の浮島弁天堂があった。
鎌倉幕府没落の時、執権北条高時の弟、四郎慧性(えしよう)が、夢枕
に立った江ノ島弁財天のお告げで、ここに恩林(おんりん)寺を建て、江ノ
島弁財天を勧請(かんじよう)して北条家の菩提寺としたもの。
そばに、青銅屋根の下に祭られたお地蔵さんもある。
近くの湿地では、コハクチョウがたくさん、土の中のえさをついばんで
いるのが間近に見られた。
すぐ先、鶉(うずら)新田集落の東側、沼に突き出す半島の付け根の
「荒間崎」と呼ぶ部分に、鶉古城跡の説明板が立つていた。
元弘3年(1333)、北条高時が鎌倉で滅ぼされたとき、弟の僧慧性、
荒間朝春らが逃れ来てここに築城。応永年間(1394~1428)には、
多々良四郎中致の居城に、戦国時代には館林城主の重臣、小曽根政
義が小田原北条氏の来功に備え守備したという。
天正18年(1590)、館林落城に伴い廃城となり、現在はうっそうとし
た林の中に、わずかに塁濠が残るのみらしい。
桜並木に沿って沼の南西を回り、成島町の北で再び自然探勝路に入
った。
大きく伸びた赤松林の中を抜けると、最近整備された多々良沼公園
の、中央広場やボランティアセンターがある。
正午を過ぎたので、その先の自然観察路付近で昼食とする。
松林をバックに記念撮影後、沼の東端付近まで回り、沼を離れて松
沼町や北成島町の住宅地を南東に向かう。
東武小泉線の南の成島町に抜け、鶴生田川沿いに出た。左岸沿い
の車道を東に進み、国道122号や館林駅の南で東武伊勢崎線を越え
る。本町一丁目付近からは、桜並木の緑道となり、川幅も広がる。
流れが大きく左カーブすると、南側にある躑躅ヶ岡(つつじがおか)の
ツツジで知られる、城沼の西端の橋際に出た。
予定ではこの先、城沼を一周するのだが、私は明日の予定や先週の
ギックリ腰の回復後間もないことから、ここで皆さんと別れた。
橋の上から城沼を眺め、そばの菖蒲園から、紅梅の咲く秋元別邸横
を抜け、駅に向かう。
田山花袋記念館や旧居、旧上毛モスリン事務所、向井千秋記念子ど
も科学館、館林市役所などのそばを通り、14時35分に館林駅に着いた。
(天気 曇、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 館林、佐野、足利南部、妻沼、
歩行地 群馬県邑楽町、館林市、歩数 22,600)
中山道ウオークのメンバーで群馬県邑楽町(おうらまち)にお住まい
のKさんから、お誘いのメールをいただき、邑楽町と館林市にまたがる
多々良沼(たたらぬま)と、ツツジで知られる館林の城沼(じようぬま)
での白鳥を見るウオークに出かけた。
ちなみに前日夜のNHK総合TVのニュースでは、2つの沼合わせて
154羽の白鳥を数えたと報道されていた。
東武伊勢崎線の多々良駅に10時9分に着く。参加メンバーはKさん
ほか6人。駅前で、お腹の大きなタヌキの置物が3匹出迎えてくれた。
駅の南で国道122号を越え、稲荷前集落から田園地帯に出て、群馬
県立館林美術館前へ。
用水沿いに桜並木の続く遊歩道を南西に向かう。
広々とした田んぼの向こうに、松林の緑の帯が長く続いている。
間もなく多々良沼の北側に出た。
冬枯れで寒々としたあし原などを眺めながら、車道沿いに沼の北西端
まで行く。左折して少し南下すると、沼の西端のあし原に囲まれた一角
に、「カバ沼」と呼ぶ水辺がある。
水が少なく遠浅に伸びた岸辺にたくさんのカモ類が羽を休め、その先
の水辺にコハクチョウがカモと一緒に30数羽泳いでいた。
湖畔に沿って桜並木や芝生の整備された自然探勝路を進み、ハート
形の多々良沼の凹んだところに回る。このあたりにもコハクチョウと、
わずかながらオオハクチョウも見える。
沼に突き出た浮島に多々良七福神の浮島弁天堂があった。
鎌倉幕府没落の時、執権北条高時の弟、四郎慧性(えしよう)が、夢枕
に立った江ノ島弁財天のお告げで、ここに恩林(おんりん)寺を建て、江ノ
島弁財天を勧請(かんじよう)して北条家の菩提寺としたもの。
そばに、青銅屋根の下に祭られたお地蔵さんもある。
近くの湿地では、コハクチョウがたくさん、土の中のえさをついばんで
いるのが間近に見られた。
すぐ先、鶉(うずら)新田集落の東側、沼に突き出す半島の付け根の
「荒間崎」と呼ぶ部分に、鶉古城跡の説明板が立つていた。
元弘3年(1333)、北条高時が鎌倉で滅ぼされたとき、弟の僧慧性、
荒間朝春らが逃れ来てここに築城。応永年間(1394~1428)には、
多々良四郎中致の居城に、戦国時代には館林城主の重臣、小曽根政
義が小田原北条氏の来功に備え守備したという。
天正18年(1590)、館林落城に伴い廃城となり、現在はうっそうとし
た林の中に、わずかに塁濠が残るのみらしい。
桜並木に沿って沼の南西を回り、成島町の北で再び自然探勝路に入
った。
大きく伸びた赤松林の中を抜けると、最近整備された多々良沼公園
の、中央広場やボランティアセンターがある。
正午を過ぎたので、その先の自然観察路付近で昼食とする。
松林をバックに記念撮影後、沼の東端付近まで回り、沼を離れて松
沼町や北成島町の住宅地を南東に向かう。
東武小泉線の南の成島町に抜け、鶴生田川沿いに出た。左岸沿い
の車道を東に進み、国道122号や館林駅の南で東武伊勢崎線を越え
る。本町一丁目付近からは、桜並木の緑道となり、川幅も広がる。
流れが大きく左カーブすると、南側にある躑躅ヶ岡(つつじがおか)の
ツツジで知られる、城沼の西端の橋際に出た。
予定ではこの先、城沼を一周するのだが、私は明日の予定や先週の
ギックリ腰の回復後間もないことから、ここで皆さんと別れた。
橋の上から城沼を眺め、そばの菖蒲園から、紅梅の咲く秋元別邸横
を抜け、駅に向かう。
田山花袋記念館や旧居、旧上毛モスリン事務所、向井千秋記念子ど
も科学館、館林市役所などのそばを通り、14時35分に館林駅に着いた。
(天気 曇、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 館林、佐野、足利南部、妻沼、
歩行地 群馬県邑楽町、館林市、歩数 22,600)
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