第2日 2017年5月18日(木)
== 高岡市内を徒歩と自転車、万葉線電車で巡る ==
宿泊した敦賀駅に近いビジネスホテルを8時10分に出た。敦賀発金沢行き下り特急サ
ンダーバード3号に乗る予定だったが、調べていた時間を10分後と間違え、8時22分
発で間に合わない。
幸い、間もなくの8時40分発金沢行き特急しらさぎ51号があったので、その自由席
に乗る。
沿線に見える麦畑は実りの季節を迎え、田植えを終えて間もない早苗田の田んぼもあち
こちに広がる。
10時5分に金沢駅に着いた。4分後発車のIRいしかわ鉄道からあいの風とやま鉄道
直通の泊(とまり)行き普通電車に急ぎ乗る。
北陸新幹線の開業で旧北陸本線の在来線が県別に名前を変えて、第3セクター化された
路線である。
途中の倶利伽羅(くりから)駅には「木曽義仲ゆかりの地」の看板が見えた。今日の目
的地、高岡駅には10時48分に着く。
コンコースから見下ろす駅構内は広い。コインロッカーに荷物を預け、観光案内所で今
日も貸し自転車を借りることにした。
高岡市内の見どころは古城公園口(北口)側が主だが、南口である瑞龍寺(ずいりゆう
じ)口にも国宝瑞龍寺や前田家墓所がある。
貸し自転車は両側に駐輪場があるが(1日200円)、反対側に行くにはエレベーター
で2階のコンコースに上がり、長いコンコースを通過しなければならないという。
そこで、南側の瑞龍寺などへは徒歩で往復し、その後北口から自転車で巡ることにして、
11時15分に瑞龍寺口をスタートした。
南の北陸新幹線新高岡駅方面に延びる駅南大通りを500mほど進み、西は瑞龍寺へ東
は前田利長墓所を結ぶ「八丁道」と呼ぶ通りを西進する。この通りは真ん中が歩道で両側
が車道である。
中ほどまで進むと前田利長の銅像があった。前田利長は、初代利家と妻まつとの間に生
まれた長男で、主君信長の4女永姫を妻に迎え、その4年後に高岡の守山城に移ったとの
こと。
その後、豊臣方と徳川方が対立したため、前田家の存続を図るため母まつを人質として
江戸に送るなどしており、関ヶ原の合戦後、加賀、越中、能登の3国を有する大名として
遇されている。
間もなく、八丁道の突き当たり、曹洞宗瑞龍寺の総門前に着いた。
瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長の菩提寺で、3代利常により約20年かけて寛文3
年(1663)に建立されたとか。
建立以来約350年、日本で唯一、七堂伽藍(しちどうがらん)と呼ぶ江戸初期の禅宗
の寺院形式を残す建築物として高く評価され、山門、仏殿、法堂は国宝に、禅堂、大庫裡
(おおくり)、大茶堂、回廊が重要文化財に指定されている。
総門を入り、正面の山門↑をくぐると、正面に仏殿から法堂↓へと続き、右手には大屋根
を修理中の大庫裡と鐘楼、大茶室が、左には禅堂が回廊を通して結ばれている。
大庫裡
禅堂
回廊に囲まれた境内は芝生の中に石灯ろうのみで、樹木は最奥に立つ法堂の左手背後に
限られる。
山門と大庫裡、鐘楼をのぞく各々の建物内にも入り、安置されている仏像や絵画、天井
画などを拝観した。
法堂の左手回廊から背後に出ると、瑞龍寺石廟(せきびょう)と呼ぶ5つの廟があり、
前田利家、利長と織田信長、信忠父子など5人の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が凝灰
岩(ぎょうかいがん)の石廟に祭られている。
奥が法堂、手前は仏殿(いずれも国宝)
一巡して総門前に戻ると、ケヤキの新緑がみずみずしい。12時20分過ぎに瑞龍寺を
後にした。
瑞龍寺門前から南へ、新高岡駅方面に延びる瑞龍寺通りの家並み。
八丁道を少し戻り、左手にあった「紀乃井」と呼ぶ味噌醸造所の売店で味噌ソフトクリ
ームを求め、乾いたのどを潤した。
八丁道沿いには、シャチホコを乗せたりっぱな民家や、紅葉のような彩りのモミジなど
が目に入る。
瑞龍寺でかなりの時間を経過したので前田利長墓所への参拝は省き、高岡駅瑞龍口に戻
る。
長い2階のコンコースを抜けて北側の古城公園口に下る。こちらには中層のビルなどが
目に付き、交差点の北西側の一角に万葉歌人、大伴家持(おおとものやかもち)の銅像が
立っていた。
大伴家持は、越中国主(今の県知事)として天平18年(746)年から5年間、国庁
のあった高岡(伏木)に滞在し、多くの優れた歌を詠(よ)んでいるという。
そばのビルの1階にあった「北前(きたまえ)そば高田屋」で昼食をする。
私はしらす飯と、連れ合いは親子丼とそばのセット(各890円)だったが、美味しく
て食べきれないほどのボリュームもあり満足した。
ビルの前は「ドラえもんの散歩道」で、幾つものドラえもんが並ぶ。ちなみに高岡市は、
ドラえもんの作者である藤子・F・不二雄氏の出身地である。
近くの駐輪場で貸し自転車を借り、西北への「すえひろーど」を700m余り進み、左
折して土蔵造りの町並みが続く山町筋(やまちょうすじ)に入る。
山町筋は国の重要伝統的建造物群保存地区となっており、その建物のひとつ、高岡御車
山(みくるまやま)会館に入館(300円)した。
館の前に並ぶ貸し自転車。私たちが借りたのは、左手のいわゆるママチャリタイプであ
る。
館内中央の吹き抜け空間には、国指定重要有形・無形民俗文化財の「高岡御車山」の実
物7基のうち1基が展示されている。
これら御車山は、毎年5月1日の關野神社の例大祭である高岡御車山祭りを神輿(みこ
し)とともに曳廻(ひきまわ)されるもので、当日は7つの町内のものが勢揃いするとい
う。
この日展示されていたのは二番町のもの。ほかの6基は4輪だが、この山車だけが2輪
で、金光品では最上品といわれているよう。
間近からなので全体像が撮れず、2輪なので車の大きさが目に付いたが、写真ではとて
もその大きさを理解してもらえそうにない。
なお、重要有形・無形文化財両方の指定を受けているのは京都祇園祭、嵩山祭、日立風
流物、秩父祭、嵩山御車山祭の五件だけとか。昨年12月にユネスコ無形文化遺産登録さ
れた「山・鉾・屋台行事」33件のひとつでもある。
隣には、市民の総意で造ったという「平成の御車山」も展示されていた。
館内にはほかに、7つの御車山のミニチュアが並び、漆工、金工、染織といった分野ご
との技法や部材の紹介、御車山祭の行事や歴史、前田家との関わりなどのパネル展示もあ
った。
蛇足ながら御車山会館には、9日後の5月27日(土)、翌日の県内魚津市での全国植
樹祭のため来県された天皇・皇后両陛下も来館されている。(続く)
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== 高岡市内を徒歩と自転車、万葉線電車で巡る ==
宿泊した敦賀駅に近いビジネスホテルを8時10分に出た。敦賀発金沢行き下り特急サ
ンダーバード3号に乗る予定だったが、調べていた時間を10分後と間違え、8時22分
発で間に合わない。
幸い、間もなくの8時40分発金沢行き特急しらさぎ51号があったので、その自由席
に乗る。
沿線に見える麦畑は実りの季節を迎え、田植えを終えて間もない早苗田の田んぼもあち
こちに広がる。
10時5分に金沢駅に着いた。4分後発車のIRいしかわ鉄道からあいの風とやま鉄道
直通の泊(とまり)行き普通電車に急ぎ乗る。
北陸新幹線の開業で旧北陸本線の在来線が県別に名前を変えて、第3セクター化された
路線である。
途中の倶利伽羅(くりから)駅には「木曽義仲ゆかりの地」の看板が見えた。今日の目
的地、高岡駅には10時48分に着く。
コンコースから見下ろす駅構内は広い。コインロッカーに荷物を預け、観光案内所で今
日も貸し自転車を借りることにした。
高岡市内の見どころは古城公園口(北口)側が主だが、南口である瑞龍寺(ずいりゆう
じ)口にも国宝瑞龍寺や前田家墓所がある。
貸し自転車は両側に駐輪場があるが(1日200円)、反対側に行くにはエレベーター
で2階のコンコースに上がり、長いコンコースを通過しなければならないという。
そこで、南側の瑞龍寺などへは徒歩で往復し、その後北口から自転車で巡ることにして、
11時15分に瑞龍寺口をスタートした。
南の北陸新幹線新高岡駅方面に延びる駅南大通りを500mほど進み、西は瑞龍寺へ東
は前田利長墓所を結ぶ「八丁道」と呼ぶ通りを西進する。この通りは真ん中が歩道で両側
が車道である。
中ほどまで進むと前田利長の銅像があった。前田利長は、初代利家と妻まつとの間に生
まれた長男で、主君信長の4女永姫を妻に迎え、その4年後に高岡の守山城に移ったとの
こと。
その後、豊臣方と徳川方が対立したため、前田家の存続を図るため母まつを人質として
江戸に送るなどしており、関ヶ原の合戦後、加賀、越中、能登の3国を有する大名として
遇されている。
間もなく、八丁道の突き当たり、曹洞宗瑞龍寺の総門前に着いた。
瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長の菩提寺で、3代利常により約20年かけて寛文3
年(1663)に建立されたとか。
建立以来約350年、日本で唯一、七堂伽藍(しちどうがらん)と呼ぶ江戸初期の禅宗
の寺院形式を残す建築物として高く評価され、山門、仏殿、法堂は国宝に、禅堂、大庫裡
(おおくり)、大茶堂、回廊が重要文化財に指定されている。
総門を入り、正面の山門↑をくぐると、正面に仏殿から法堂↓へと続き、右手には大屋根
を修理中の大庫裡と鐘楼、大茶室が、左には禅堂が回廊を通して結ばれている。
大庫裡
禅堂
回廊に囲まれた境内は芝生の中に石灯ろうのみで、樹木は最奥に立つ法堂の左手背後に
限られる。
山門と大庫裡、鐘楼をのぞく各々の建物内にも入り、安置されている仏像や絵画、天井
画などを拝観した。
法堂の左手回廊から背後に出ると、瑞龍寺石廟(せきびょう)と呼ぶ5つの廟があり、
前田利家、利長と織田信長、信忠父子など5人の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が凝灰
岩(ぎょうかいがん)の石廟に祭られている。
奥が法堂、手前は仏殿(いずれも国宝)
一巡して総門前に戻ると、ケヤキの新緑がみずみずしい。12時20分過ぎに瑞龍寺を
後にした。
瑞龍寺門前から南へ、新高岡駅方面に延びる瑞龍寺通りの家並み。
八丁道を少し戻り、左手にあった「紀乃井」と呼ぶ味噌醸造所の売店で味噌ソフトクリ
ームを求め、乾いたのどを潤した。
八丁道沿いには、シャチホコを乗せたりっぱな民家や、紅葉のような彩りのモミジなど
が目に入る。
瑞龍寺でかなりの時間を経過したので前田利長墓所への参拝は省き、高岡駅瑞龍口に戻
る。
長い2階のコンコースを抜けて北側の古城公園口に下る。こちらには中層のビルなどが
目に付き、交差点の北西側の一角に万葉歌人、大伴家持(おおとものやかもち)の銅像が
立っていた。
大伴家持は、越中国主(今の県知事)として天平18年(746)年から5年間、国庁
のあった高岡(伏木)に滞在し、多くの優れた歌を詠(よ)んでいるという。
そばのビルの1階にあった「北前(きたまえ)そば高田屋」で昼食をする。
私はしらす飯と、連れ合いは親子丼とそばのセット(各890円)だったが、美味しく
て食べきれないほどのボリュームもあり満足した。
ビルの前は「ドラえもんの散歩道」で、幾つものドラえもんが並ぶ。ちなみに高岡市は、
ドラえもんの作者である藤子・F・不二雄氏の出身地である。
近くの駐輪場で貸し自転車を借り、西北への「すえひろーど」を700m余り進み、左
折して土蔵造りの町並みが続く山町筋(やまちょうすじ)に入る。
山町筋は国の重要伝統的建造物群保存地区となっており、その建物のひとつ、高岡御車
山(みくるまやま)会館に入館(300円)した。
館の前に並ぶ貸し自転車。私たちが借りたのは、左手のいわゆるママチャリタイプであ
る。
館内中央の吹き抜け空間には、国指定重要有形・無形民俗文化財の「高岡御車山」の実
物7基のうち1基が展示されている。
これら御車山は、毎年5月1日の關野神社の例大祭である高岡御車山祭りを神輿(みこ
し)とともに曳廻(ひきまわ)されるもので、当日は7つの町内のものが勢揃いするとい
う。
この日展示されていたのは二番町のもの。ほかの6基は4輪だが、この山車だけが2輪
で、金光品では最上品といわれているよう。
間近からなので全体像が撮れず、2輪なので車の大きさが目に付いたが、写真ではとて
もその大きさを理解してもらえそうにない。
なお、重要有形・無形文化財両方の指定を受けているのは京都祇園祭、嵩山祭、日立風
流物、秩父祭、嵩山御車山祭の五件だけとか。昨年12月にユネスコ無形文化遺産登録さ
れた「山・鉾・屋台行事」33件のひとつでもある。
隣には、市民の総意で造ったという「平成の御車山」も展示されていた。
館内にはほかに、7つの御車山のミニチュアが並び、漆工、金工、染織といった分野ご
との技法や部材の紹介、御車山祭の行事や歴史、前田家との関わりなどのパネル展示もあ
った。
蛇足ながら御車山会館には、9日後の5月27日(土)、翌日の県内魚津市での全国植
樹祭のため来県された天皇・皇后両陛下も来館されている。(続く)
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