あるきメデス

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春の北陸路3都市めぐり① 敦賀市内を自転車で(福井)

2017-05-31 17:31:20 | 国内旅行
 5月17日(水)~19日(金)、JR東日本の大人の休日倶楽部会員限定「北陸フリ
ーきっぷ」を利用して、福井県と富山県の3都市を訪ねた。

 第1日 2017年5月17日(水)
 == 敦賀市内を自転車で巡る ==


 自宅を7時10に出て、JR大宮駅8時38分発の北陸新幹線かがやき521号に乗る。
終点金沢までの停車駅は長野と富山のみ。長野駅の次の妙高高原駅周辺を通過中には、残
雪の妙高山などの山並みが望まれた。


 金沢駅には10時47分に着き、9分後の北陸本線大阪行き特急サンダーバード18号
に乗換え、敦賀(つるが)駅に12時14分に着いた。駅は最近改築したらしく新しい。



 駅前には、敦賀駅開業100周年の昭和57年(1982)に設置した9600形SL
29600号機の動輪があり、駅前広場の歩道には「心の旅敦賀への道」という女性像が
立っていた。
     

 予約した駅に近いビジネスホテルに荷物を預けて駅前で昼食後、駅構内の観光案内所で
貸し自転車を借り、13時35分に駅前をスタートした。



 白銀交差点で国道8号に入り北へ。広い通りの両側にはアーケードが続く。気比(けひ)
神宮交差点際には、「お砂持ち神事の由来」の銅像と新内節(しんないぶし)の祖の顕彰
碑があった。




 お砂持ち神事とは、正安3年(1301)に時宗の2代目上人が諸国巡錫(じゅんしゃ
く)で敦賀に滞在中、気比神宮の西門前参道周辺が沼地で参拝者が難儀しているのを知り、
浜から砂を運び改修した故事にちなみ、現在も時宗大本山遊行寺(藤沢市)管長が交代し
たときに、この神事が行われているという。


 次の元町交差点を左折、突き当たりの敦賀港際には、「きらめきみなと館」と呼ぶ建物
がある。


 館の前に、敦賀港100周年記念イメージソング「萩の花郷」の歌碑を刻んだ「五木ひ
ろし洋鐘」と呼ぶ鐘があり、作詞・水木れいじ、作曲・五木ひろしなどの名が記されてい
た。
      

 東側の広場には、敦賀港開港100周年記念モニュメントがある。風を受けて進む北前
船(きたまえぶね)の帆をイメージしたもので、北前船の冒険心や進取の気風を表現して
いるという。


 ちなみに、敦賀港は約1,600年の歴史があり、わが国で最も古い港のひとつとされて
いるようだ。


 モニュメントに近い港には、海上保安庁の巡視船「ほたか」が係留され、そばの歩道に
も開港100周年記念デザインのマンホールふたが目に付く。
    


 この辺りから港を囲む北側一帯は金ヶ崎(かねがさき)緑地と呼ぶ公園で、その南端に
旧敦賀港駅舎が復元されて敦賀鉄道資料館として公開されている(入館無料)。



 かつて「欧亜国際連絡列車」(新橋~敦賀港駅~ウラジオストク~シベリア鉄道経由ヨ
ーロッパ)の発着駅として重要な位置を占めていた敦賀港駅を再現したもので、敦賀の鉄
道の歴史を模型や資料などで紹介している。
    

 こちらは、大正2年(1913)に建築された旧敦賀機関区の扇形機関車庫の模型。平
成6年(1994)に解体されるまで県内最古の鉄筋コンクリート建物で、昭和28年
(1953)には職員数630名、機関車はD51形36両、C58形12両、8620
形4両が配置されていたという。



 その先の時計塔横を通過し、今回の旅の一番の目的地「人道の港 敦賀ムゼウム」に行
く(展示協力金100円・館内は撮影禁止)。館前では、団体の観覧者がボランティアか
ら説明を聞いていた。



 なぜここに来たかというと、一昨年7月にバルト3国とポーランドへのツアーに参加し
て、リトアニアのカウナスにあった旧日本領事館だった杉原記念館を訪ねたことがきっか
け。

 1939年に日本領事館代理となった杉原千畝(すぎはらちうね)は、翌年夏ナチスド
イツの迫害から逃れてきたユダヤ人のために、人道的立場から外務省の訓令に反して大量
のビザを発給し、6,000人に及ぶ避難民を救済している。

 昨年春には杉原千畝の出身地、岐阜県八百津町(やおつちよう)を訪ねたが、今回は、
杉原が発給したビザでシベリア鉄道を経てウラジオストクからユダヤ難民が上陸した、こ
こ敦賀も訪ねることにしたもの。




 2階の二つのコーナーで、杉原千畝のビザ発給のこと、上陸したユダヤ人に関わる新聞
記事、ユダヤ人や敦賀市民の証言などについての展示を観覧した。
       

 このムゼウムでは、1920~22年に日本赤十字社が救助したポーランド孤児が上陸
した際の、敦賀の人々の暖かい対応についても紹介されていて、国際港敦賀がヨーロッパ
との交通の拠点であり、敦賀港の果たした人道的役割などを改めて理解することができた。



 すぐ先で、休止中の鉄道貨物線、敦賀港線の踏切を渡り、金ヶ崎城址の山ろくにある金
前寺(こんぜんじ)に行く。

 天平8年(736)開創という古寺で、弘仁2年(811)に弘法大師が来られた頃は
12坊を有していたとか。南北朝時代の延元2年(1337)には、足利尊氏に敗れた新
田義貞と尊良親王が当寺の観音堂で自害し、元禄2年(1689)には俳聖芭蕉が来遊し
ているという。


 本堂の右手には小さな五重塔と芭蕉をイメージした鐘楼がある。
      

 本堂左手背後には、芭蕉来遊の折に延元の戦いと沈鐘の物語を聞いて詠んだ、「芭蕉翁
鐘塚」と呼ぶ「月いづこ鐘は沈るうみのそこ」の句碑が立っていた。


 近くには、かつてそばまで泉浜と呼ぶ砂浜だった頃、泉浜に入港する北前船など船の給
水用に用いられたという古井戸が残り、その傍らにフウロに似た花が咲く。
       

 そばの緩やかな石段を上がると金崎宮(かねがさきぐう)や金ヶ崎城跡などのある高台
だが、同行の連れ合いの足では難しいので行くのは省いた。
      

 石段下付近からは眼下に、休止中の貨物線敦賀港駅構内の線路や貨車が見下ろせる。


 芭蕉翁鐘塚と道路を挟み、赤レンガ造りの「旧敦賀港駅ランプ小屋」が公開されていた。

 この建物は敦賀~長浜間に鉄道が建設された明治15年(1882)に竣工し、旧長浜
駅舎と並び国内最古の鉄道建築物のひとつとのこと。


 建物内には2つの部屋があり、左の部屋はランプ小屋に関するパネル展示(上は明治末
期の敦賀港の写真)、右側の小屋は開業当時のランプ小屋内部を復元して蒸気機関車用ラ
ンプが並んでいた。
  

       

 金前寺の東側斜面は金ヶ崎城趾から続く台地で、豊富な新緑に覆われている。


 近くにあった古いマンホールのふた


 金前寺を後にして少し戻ると、2棟の「敦賀赤レンガ倉庫」が並んでいる。1905年
に外国人の設計により造られた倉庫で、港町敦賀の象徴的建造物のひとつとか。

 現在はジオラマ館とレストラン館として活用されているようだが、今日は休館日だった。
    


 港に沿った道路を西進し、2つの橋を渡る。松原小の西側一帯が国の名勝「気比(けひ)
の松原」で、その入口に後藤新平が大正9年(1920)に記した「松原公園」の大きな
石碑が立っていた。
      


 気比の松原は長さ1.5㎞、広さ約32㏊あり、三保の松原(静岡県)、虹ノ松原(佐
賀県)と並ぶ日本三大松原のひとつ。今日ここに来て私は、日本三大松原を全部訪ねるこ
とが出来た。

 気比の松原は明治31年(1898)には倍以上の約76㏊あったが、明治末期~大正
時代に松原小や敦賀商高、松原神社敷地、道路用地などで減り、昭和18年(1943)
には船舶用地として約2,000本の松が伐採され、戦後には住宅地や道路用地として活
用され、現在の広さになったという。


 東端の松原小近くに高浜虚子の句碑があり、クロマツの多い海岸沿いを西に進むと、敦
賀湾東部に敦賀港などが望まれる。







 昭和天皇のご成婚記念として大正8年(1920)に造られた運動場の周囲を巡ると、
東側に敦賀市指定史跡「駐輦(ちゅうれん)の碑」があった。

 明治天皇が明治11年(1878)の北陸巡幸の際に気比の松原に立ち寄り、13年後
に勝海舟が訪れた際に、明治天皇が景色をご覧になったことを回想して詠んだ漢詩が刻ま
れている。

 松原小のそばに戻り気比の松原を後にする。手前の川沿いをひとつ南側の通りまで進み、
東進して市立敦賀病院前を通過し、気比神宮交差点に戻る。


 17時を過ぎたが、最後に気比神宮に参拝することにして工事中の大鳥居をくぐり境内
へ。拝殿前の鳥居まで行くが、門は閉じていたのでその前で拝礼した。



 気比神宮は大宝2年(702)の建立と伝えられ、7柱の祭神を祭る北陸道の総鎮守。
主祭神「伊奢沙別命(いざさわけのみこと)」は「御食津大神(みけつおおかみ)」とも
称され、元はその名の通り食べ物の神様だという。

 工事中の大鳥居(国重文)は、春日神社(奈良県)、厳島神社(広島県)と並ぶ日本三
大木造大鳥居のひとつのようだ。

      
 拝殿前の鳥居近くには敦賀市天然記念物のユーカリの巨木があり、東側、神苑際の絵馬
殿には、昭和天皇の御即位大典模様の絵馬や、昭和9年(1934)に奉納された北日本
汽船の汽船の絵馬などが掲げられていた。




    
 神苑の池にはキショウブが咲き、近くには、元禄2年に奥の細道の旅で敦賀を訪れた際
に詠んだ芭蕉の句碑と芭蕉立像がある。


     

 その背後には樹齢700年というタモの木が立っていた。


 大鳥居近くに湧いていた「気比の長命水」をいただいて無病息災と延命長寿を祈り、
17時40分過ぎに気比神宮を出た。


 中心街にあった大型スーパー平和堂で買い物をして駅に戻り、貸し自転車の精算をする
(4~6時間700円)。駅に近いビジネスホテルに入ったのは18時30分に近かった。




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2 コメント

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いいですね。 (節分草)
2017-06-04 13:14:26
久しぶりに和んで拝見させていただきました。
四季の装いが隅々に、映し出されて癒されました。
杉原チ畝氏は4/10日の新聞で再認識でした。
命のビザ発給でしたが、遠い過去の人道のあり方に敬意の念に駆られたことでした。沢山のプログ拝見しながら、微々たる自分に反省と再発見の証になっております。
思うように成らずは世の常と耳にしておりますが、新たな気分にさせて頂きました。
返信する
新たな発見 (saikoroat)
2017-06-05 10:24:58
新たな旅に出ると新しい発見があり、どこを訪ねても興味が広がるような気がします。
敦賀ムゼウムを訪ねるまでは、杉原千畝の命のビザ発給より前に、
ポーランドの孤児を敦賀市民が温かく迎えたいたことは知りませんでした。
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