2016年6月12日(日)
埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループの第234回例会に参加した。
集合地はJR高崎線の北本(きたもと)駅、参加者21人は5組に分かれて10時07分
に北本駅東口をスタートした。
== 北本総合公園から上谷総合公園へ ==
東に少し進み、宗教団体「解脱会(げだつかい)御霊地」の看板に近い県道164号・
中山道の最初の信号を渡ると、すぐ先に天神社がある。
天神社は、寛文2年(1662)頃、当時の元宿村(もとじゅくむら)の領地安全と領
民の無病息災・五穀豊穣をを祈願して、京都の北野天神社の分霊を勧請して祭ったのが始
まりと伝えられているという。
参道に咲くのはアジサイとクチナシのよう。
境内では、夏まつりの練習中なのか、子どもたちがそろって笛を吹いていた。
南東に接した多聞寺は堂々たる本堂。境内には県の天然記念物に選定されているムクロ
ジの古木があるが、落雷にあったのか幹の上部は欠落していた。
でも、県天然記念物に指定された昭和16年(1941)には、幹回り3.6m、根回
り7.6m、樹高27m、枝張り14.5mあり、樹齢は約200年と推定されたようだ。
天神社の背後に出て、北本二丁目から四丁目へと駅から延びる東中央通りを進む。
国道17号を横断し、次の交差点を左折して宮内六丁目に回り、少し迂回してナデシコ
や変わったネギ坊主などの見える畑の間を抜ける。収穫期となった小麦畑もあった。
東中央通りを斜めに横断して東側の古市場二丁目に入ると、ユリやアジサイなどの咲く
畑がある。
朝日一丁目の集落や水田の間を抜けて北本総合公園に入り、池の西側の芝生地で休憩し
た。
緑豊富な公園内を西進して、ショウブの咲き出した東屋(あずまや)の横や、子どもた
ちが水に入って遊ぶせせらぎのそばを通過し、公園の北に出た。
水をたたえた早苗田の広々とした水田地帯となり、前方に上越・北陸新幹線の高架が連
なる。
野新田の北側から新幹線の高架下を抜け、上谷(かみや)総合公園に入った。
6基の照明灯が目につく野球場「フラワースタジアム」の三塁側スタンド近くの昼食地
に、12時08に着く。暑さを避けて、桜の木陰の芝生にシートを広げて昼食をした。
== 元荒川周辺の早苗田の中を ==
ミーティング後、記念撮影をして13時15分に上谷総合公園を出て、北側の笠原集落
に向かう。
県道177号を横断したところに、享和3年(1803)造立の青面金剛(しょうめん
こんごう)像と元禄17年(1704)造立の上部が欠けた地蔵尊が並んでいた。
笠原集落の中心部に東光寺があり、鴻巣市保存樹木である2本の大イチョウが目につく。
西側の墓地際に新しい観音像が立ち、周囲を四国八十八か所、坂東三十三観音、秩父三
十四観音の各霊場名と御詠歌、そして奉納者名を刻んだ石柱が囲んでいた。
南北に走る県道38号を挟み、西側には久伊豆(ひさいず)神社が祭られていたの入り、
ヒサカキの咲く拝殿周辺で小休止した。
久伊豆神社は、「日本書紀」や「吾妻鏡」にも記された、平安末期から中世にかけてこ
の地笠原を本拠として南・北埼玉郡に勢力をふるった野与党に属する、「笠原」を苗字と
する武士団の共通の祖神のひとつだったと推察されるとのこと。
南に接する沼向集落の北側から、西北に延びる西浦用水路沿いの農道をしばらく進む。
集落の民家の裏手に、チシャノキかと思われる小さな白い花が咲いていた。
用水路の両側は広々とした田園地帯。植えて間もない早苗田が一望で、中には機械で植
え付け中の水田もある。
それら田んぼのひとつに、真ん中に松が1本だけ立ち下に石の祠(ほこら)が祭られて
いた。
若木のサクラの続く用水路沿いの農道を1㎞余り進む。電柱の並ぶ農道を左折して郷地
(ごうじ)地区の南西部にある竹林公園に入り、小休止して水分補給する。
北側に接した安福寺にも回って参拝する。
本堂前の地蔵堂には子育地蔵尊↑が祭られ、門前のお堂には地蔵尊と安政2年(1855)
造立の青面金剛像が並ぶ。竹林公園寄りには、大株のアジサイが花を見せていた。
竹林公園の北側から上越・北陸新幹線の高架沿いの道に入り、元荒川の橋を渡る。
次の三差路を左折して県道308号を横断し、ひばり野一丁目の戸建て住宅地を通過す
る。
ゴールの鴻巣市民文化センター「くれあこうのす」際の、鴻巣市役所前バス停に15時
07分に着いた。そばの公園に、C11 322号SLが保存展示されている。
大半のメンバーは鴻巣駅まで歩くとのことで駅に向かい、残る数人は15時15分発東
松山駅行きバスで鴻巣駅に向かった。
(参加 21人、天気 晴後曇、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 鴻巣、歩行地
北本市、鴻巣市、歩数 19,600)
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埼玉県内を中心に歩く、カントリーウオークグループの第234回例会に参加した。
集合地はJR高崎線の北本(きたもと)駅、参加者21人は5組に分かれて10時07分
に北本駅東口をスタートした。
== 北本総合公園から上谷総合公園へ ==
東に少し進み、宗教団体「解脱会(げだつかい)御霊地」の看板に近い県道164号・
中山道の最初の信号を渡ると、すぐ先に天神社がある。
天神社は、寛文2年(1662)頃、当時の元宿村(もとじゅくむら)の領地安全と領
民の無病息災・五穀豊穣をを祈願して、京都の北野天神社の分霊を勧請して祭ったのが始
まりと伝えられているという。
参道に咲くのはアジサイとクチナシのよう。
境内では、夏まつりの練習中なのか、子どもたちがそろって笛を吹いていた。
南東に接した多聞寺は堂々たる本堂。境内には県の天然記念物に選定されているムクロ
ジの古木があるが、落雷にあったのか幹の上部は欠落していた。
でも、県天然記念物に指定された昭和16年(1941)には、幹回り3.6m、根回
り7.6m、樹高27m、枝張り14.5mあり、樹齢は約200年と推定されたようだ。
天神社の背後に出て、北本二丁目から四丁目へと駅から延びる東中央通りを進む。
国道17号を横断し、次の交差点を左折して宮内六丁目に回り、少し迂回してナデシコ
や変わったネギ坊主などの見える畑の間を抜ける。収穫期となった小麦畑もあった。
東中央通りを斜めに横断して東側の古市場二丁目に入ると、ユリやアジサイなどの咲く
畑がある。
朝日一丁目の集落や水田の間を抜けて北本総合公園に入り、池の西側の芝生地で休憩し
た。
緑豊富な公園内を西進して、ショウブの咲き出した東屋(あずまや)の横や、子どもた
ちが水に入って遊ぶせせらぎのそばを通過し、公園の北に出た。
水をたたえた早苗田の広々とした水田地帯となり、前方に上越・北陸新幹線の高架が連
なる。
野新田の北側から新幹線の高架下を抜け、上谷(かみや)総合公園に入った。
6基の照明灯が目につく野球場「フラワースタジアム」の三塁側スタンド近くの昼食地
に、12時08に着く。暑さを避けて、桜の木陰の芝生にシートを広げて昼食をした。
== 元荒川周辺の早苗田の中を ==
ミーティング後、記念撮影をして13時15分に上谷総合公園を出て、北側の笠原集落
に向かう。
県道177号を横断したところに、享和3年(1803)造立の青面金剛(しょうめん
こんごう)像と元禄17年(1704)造立の上部が欠けた地蔵尊が並んでいた。
笠原集落の中心部に東光寺があり、鴻巣市保存樹木である2本の大イチョウが目につく。
西側の墓地際に新しい観音像が立ち、周囲を四国八十八か所、坂東三十三観音、秩父三
十四観音の各霊場名と御詠歌、そして奉納者名を刻んだ石柱が囲んでいた。
南北に走る県道38号を挟み、西側には久伊豆(ひさいず)神社が祭られていたの入り、
ヒサカキの咲く拝殿周辺で小休止した。
久伊豆神社は、「日本書紀」や「吾妻鏡」にも記された、平安末期から中世にかけてこ
の地笠原を本拠として南・北埼玉郡に勢力をふるった野与党に属する、「笠原」を苗字と
する武士団の共通の祖神のひとつだったと推察されるとのこと。
南に接する沼向集落の北側から、西北に延びる西浦用水路沿いの農道をしばらく進む。
集落の民家の裏手に、チシャノキかと思われる小さな白い花が咲いていた。
用水路の両側は広々とした田園地帯。植えて間もない早苗田が一望で、中には機械で植
え付け中の水田もある。
それら田んぼのひとつに、真ん中に松が1本だけ立ち下に石の祠(ほこら)が祭られて
いた。
若木のサクラの続く用水路沿いの農道を1㎞余り進む。電柱の並ぶ農道を左折して郷地
(ごうじ)地区の南西部にある竹林公園に入り、小休止して水分補給する。
北側に接した安福寺にも回って参拝する。
本堂前の地蔵堂には子育地蔵尊↑が祭られ、門前のお堂には地蔵尊と安政2年(1855)
造立の青面金剛像が並ぶ。竹林公園寄りには、大株のアジサイが花を見せていた。
竹林公園の北側から上越・北陸新幹線の高架沿いの道に入り、元荒川の橋を渡る。
次の三差路を左折して県道308号を横断し、ひばり野一丁目の戸建て住宅地を通過す
る。
ゴールの鴻巣市民文化センター「くれあこうのす」際の、鴻巣市役所前バス停に15時
07分に着いた。そばの公園に、C11 322号SLが保存展示されている。
大半のメンバーは鴻巣駅まで歩くとのことで駅に向かい、残る数人は15時15分発東
松山駅行きバスで鴻巣駅に向かった。
(参加 21人、天気 晴後曇、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 鴻巣、歩行地
北本市、鴻巣市、歩数 19,600)
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