あるきメデス

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中欧5か国8日間の旅② ウィーン歴史地区などウィーン市内観光(前半)

2016-06-09 11:43:03 | 中欧5か国旅行
 第2日 2016年5月29日(日) 晴

 == ウィーン歴史地区などウィーン市内の観光 ==

 ウィーンのホテル アメディアにて6時45分に起床した。8時頃からホテルのレストラ
ンでバイキング朝食をして、ホテル↓周辺を少し散歩に出る。





 近くには、自転車や自動車のカーシェアリングポートがあった。
      

 9時30分にデラックスバスでホテルを出発する。デラックスバスは、進行方向右側が
2列、運転手側の左側が1列で全座席数は30席。参加者27人と添乗員やガイドが乗る
と余席は無いが、普通のバスより前後や左右がゆったりしている。
         
 中欧諸国もほかのヨーロッパ各国と同様右側通行で、運転席は左側にある。

 ちなみに、オーストリアの面積は北海道よりやや広い約8万4千㎢。東西に約540㎞
と細長く、国境は西北側のドイツから時計回りにチェコ、スロバキア、ハンガリー、スロ
ベニア、イタリア、スイス、リヒテンシュタインの8か国に接している。

 総人口は約850万人でそのうちウィーンは約176万人、公用語はドイツ語である。
全行程を通してのドライバー、マルコさんは、スロベニアやハンガリーの南に位置するク
ロアチアの人で、バスもクロアチアのものだという。

    
 今日はウィーン市内観光の予定。ウイーンは、神聖ローマ帝国の皇帝として中央を統治
したハプスブルク家の帝都で、建築、音楽、絵画など独自の中央文化が花開いた芸術の都
でもある。

 最初に訪れたのは中心部から南南東に2㎞ほどの世界遺産ベルベデーレ宮殿(Schlos
Belvedere)で、9時50分頃に着いた。

 ベルベデーレ宮殿は、オイゲン公の夏の離宮として18世紀前半に建てられ、バロック
様式の上宮と下宮の2つの宮殿からなっている。





 南側の上宮前には広いフランス式庭園があり、上宮内はクリムトの「接吻」や「ユディ
ット」などの絵画を展示する19・20世紀の絵画館になっていて、ガイドの説明を聞き
ながらたくさんの作品を鑑賞した(絵画館内は撮影禁止)。
    

        
         なぜかフランス式庭園には、雪だるまの飾り付けがある。 


 正面ホールのきらびやかな飾り付けや天井の絵画なども眺め、1時間10分ほどの観賞
を終えてベルベデーレ宮殿を出た。




     

     

 市街地中心部に向かい、中心部を囲む「リング」(環状・Ring)と呼ぶ19世紀後半に
旧市街の城壁を撤去して造られた環状の大通りに入り、ウィーンフィルの本拠地で元旦の
ニューイヤーコンサートで知られる楽友協会ホール、19世紀末の建築というカールスプ
ラッツ(Karlsplatz)駅舎、オペラ座(ウィーン国立歌劇場)前などを通過して、ゴシック
様式の尖塔の建つ市庁舎や国会議事堂に近い、市民庭園前でバスを下りる。

     楽友協会ホール↑
                     カールスプラッツ駅舎↓




           オペラ座↓


                市庁舎


    
 市民庭園(Volksgarten)に入ると、たくさんのバラがちょうど見ごろ。色とりどりの
バラを眺めながら公園内を一巡した。
    









 北側には、「ホーフブルク」(Hofburg)と呼ぶ王宮の建物が広がり、2つの大きな騎
馬像が目をひく。

 市民庭園側は皇帝レオポルト二世の三男でナポレオンのウィーン侵攻をくい止めたカー
ル大公騎馬像、新王宮側は対トルコ戦で活躍したオイゲン公騎馬像↓で、2人はウィーン
の英雄だという。
      

 王宮は、1220年頃に建てられた最初の建物を中心に、20世紀初頭までの約640
年間、ハプスブルク家の歴代皇帝が次々に建て増しており、様式の異なる各時代の建物が
連なり、宮殿のほか乗馬学校、王宮礼拝堂、国立図書館、庭園などが附属し、多くが博物
館やギャラリーとして公開されている。


      
 王宮の正面入口だったというミヒャエル門(Michaelertor)から、中庭のミヒャエル広
場に入ると、中央にフランス一世像が立っていた。


     

 中庭には観光馬車も入ってくる。



 ミヒャエル門は18世紀の建築で、円形のドームに覆われている。



 ミヒャエル門の東側はミヒャエル広場で、正面に尖塔の目につく聖ミヒャエル協会があ
り、広場には発掘された古代から幾世代かにわたる遺跡が層をなして姿を見せていた。
     



      
 聖ミヒャエル協会の横から、細い通りをペーター教会(Peterskirche)に向かって北東に
進む。


     

     
 グラーベン(Graben)と呼ぶ細長い広場には、三位一体像が立っていた。ウィーンを
代表するポスト・モダン建築家、ハンス・ホラインが1990年に制作したものとか。
        


 観光客で賑わう賑やかな通りを東に少しで、旧市街のほぼ中央に位置するシュテファン
広場(Stephansplatz Nold)に出た。正面の大きなモザイク屋根と尖塔の建物は、ウィーン
の顔ともいえるシュテファン寺院(シュテファン大聖堂)(Stephansdom)。
     

     
 1147年にロマネスク様式の小さな協会として建てられたが、14世紀にハプスブル
ク家のルドルフ四世によりゴシック様式の大教会に建て替えられたという。

 モザイク模様の瓦屋根には、ハプスブルク家の紋章が描かれ、1番高い南塔の高さは
137mあり、塔に上るとウィーン誌全体が一望できるようだが、時間の関係で建物には
入らず、外から眺めるに留めた。
      

 

 南に延びる賑やかなケルントナー通り(Käntner Strasse)などを10分余り進んで近く
のレストランに入り、シュニッツェル(Schnitzel)と呼ぶウィーン料理の昼食をした。

                                    (続く)




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