あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

赤城山南麓を2日間カントリーウオーク(群馬) 第1日

2013-10-29 13:31:24 | カントリーウオーク
 カントリーウオークグループの、「特別例会」と呼ぶ1泊2日のカントリーウオーク
で、赤城山の南麓、上毛電鉄沿いを歩いた。台風27号の接近が心配されたが、伊豆諸
島の東を通過して交通機関に支障はなく、予定通り実行することができた。

 
 2013年10月26(土)

 == 大間々から上毛電鉄沿いを西へ ==

 
 10時30分に東武佐野線の終点、赤城駅に集合する。風は無いが台風の雨が残って
いるので雨具を付け、10時47分に出発した。


 旧大間々町(おおまままち)中心街に通じる県道を北へ、すぐ先のT字路を左折して
細道を西に向かう。低い雲が次第に上がり、天神集落まで進むと、赤城山の一部が姿を
現した。


 県道73号に出て少し旧道を回り、ぼけ封じ観音のあるという龍真寺に入る。ねじれ
た黒松が、独特の幹を斜めに伸ばしている。本堂は簡素な造りである。


 ボタン寺としても知られているようで、境内には2500株のボタンがあるとか。い
まは季節外れで葉も落ち始めていた。


 その一隅に小さいお地蔵さんが雨に濡れ、近くにぼけ封じ観音が立つ。ぼけないよう
にお祈りして寺を出た。


 谷地田を横断して次の鏑木集落に入る。民家の屋敷林に、「鏑木のアラカシ」と呼ぶ
アラカシの古木があり、数本の幹から大きく枝を広げていた。


 その先、北側の高台にかやぶきのお堂が見えたので回ってみる。善昌寺の峯薬師堂で
そばの柿が、たわわに実を付けていた。


 善昌寺本堂は、さらに山すそを少し入ったところ。大同元年(806)の開基とされ
る古寺である。


 本堂の背後に回ると、覆屋の下に鎌倉時代の素朴な五輪塔が並ぶ。中央の大きいのは、
新田義貞の首塚と伝えられているという。


 傍らに「阿閼井明皇水(あかいみようこうすい)」と記された窪みがあるが、水は涸れ
ていた。


 十三塚集落を西に抜ける頃には、赤城山にかかる雲も少しずつ上がり次第に姿を広げ
てきた。標高223m標高点の西側、視界の開けた辺りからは、西に榛名山↓の独特な
山容が望まれる。


 雨はほぼ止んだが下は濡れているので、竹上集落を南下して12時42分に無人の新
里(にいさと)駅に入り、昼食の場とさせてもらう。

 駅構内には、役目を終えたらしい採石運搬用貨車が留置されていた。


 ここで今日の歩きは終える2人といったん分かれるので、駅前で記念撮影をして13
時20分に駅を後にする。


 新里中央小の南側の道に入り、再び西に向かう。元町集落を西北に抜け、西八幡宮に
背後から入る。周囲に民家は無く、社殿は杉に囲まれた静かな環境にある。


 境内から西に出ると、赤城山がはっきりと望まれるようになった。

 落花生を収穫中の畑の横を回って行くと、畑の中を貫く広い道が出来ている。南側の
森が山上城址で、その北側に前橋市粕川歴史民俗資料館が見える。


 手前の広いエリアは造成中で、記念公園でも造るのだろうか…。

 道路の北に目を転じると、広々とした畑の向こうに赤城山の山並みが一望できる。


 越後では見かける風景だが、関東では珍しい4段掛けの稲架(はさ)が二つ、畑の中
にあった。その先の水田で収穫した稲を運んできたものと思われる。



 近くの溜池の北側にあった中公園で、しばし休憩する。


 そばの鷺川の寺後橋を渡ると田園地帯となり、刈り入れ前の黄金色の田んぼが広がり、
ネギや大豆の畑も多い。


 粕川の手前の十字路際に、「曲田石造物群」の標柱が立ち、古い庚申塔やお地蔵さん
などが集められていた。



 川を渡り、宅廻集落の西南端の県道102号交差点際には、延享4年(1749)建
立で前橋市重要文化財の、高さ185㎝、馬頭観世音としては珍しい三面六臂(さんめ
んろっぴ)の姿の石像が立っていた。


 近接して立つ、笠かぶり地蔵尊も延享4年の造立とか。いずれも安山岩製で、この地
方に多い高遠石工の作と推察されるという。


 青空が広がってきたが西風が強まり、向かい風が少し冷たい。農家の点在する新屋
(あらや)の集落に入ると、風で波立つため池があり、その向こうに背の高い4基のサ
イロの並ぶ小泉牧場が見える。


 川東集落の近くを南西に回りこむ。周辺は牧草地が多く、牧草用トウモロコシの若葉
が、強まる風に揺れ動く。


 大前田町の東側で標識に従い南側の農道を進み、次の標識を右折すると、周辺には家
も無いひっそりした林の中に、前橋市指定史跡の大前田英五郎の墓がある。



 国定忠治と並ぶ上州の侠客として知られる大前田英五郎は、寛政5年(1793)に、
ここ旧大前田村に生まれ、父や兄の血筋を受けて博徒(ばくと)の大親分になり、地元
上州や関東、東海、甲州など全国に224か所の縄張りを持っていたとされるという。


 赤城連峰を望む牧草地の間を南下して、無人で片側ホームだけの上毛電鉄北原駅に
15時38分に着いた。

 15時45分発上り電車で終点の中央前橋駅まで行き、近くの今日の宿、前橋さくら
ホテルに入る。

(参加 14人、天気 雨後晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 大間々、鼻毛石、
 大胡、(桐生)、歩行地 桐生市、前橋市、歩数 22,000)




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