あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東山の辺の道⑫ 栃木から佐野へ(栃木)〈後半〉

2013-10-01 15:42:29 | 関東山の辺の道
 2013年9月28日(土)〈続き〉

 西山田集落の中ほどにある、栃木市大平歴史民俗資料館と大平郷土資料館に入った。大
中寺とここは2年前の6月、「やまさん」こと山浦正昭さんと関東百駅巡礼歩行で訪ねた
ところ。


 歴史民俗資料館↑で、原始・古代から近世までの大平町の出土品や農具・民具、歴史資
料、2階の浮世絵版画室などを眺め(撮影は禁止)、隣の↓郷土資料館・白石家戸長屋敷
に回る。



 江戸時代の大庄屋の風格を残す長屋門を入ると、大きなかやぶき屋根の母屋をはじめ、
新蔵、収納蔵、東蔵、味噌蔵、裏の蔵などの蔵造りや、離れ、雪隠など12の建物が残っ
ている。




 離れ↓




 この時代の屋敷で、このように多くの建物が揃って残っているところは少ないのではな
いだろうか…。



 ひととおり建物を巡り館を出て、歴史民俗資料館前の休憩所で、入館者サービスのコー
ヒーをいただく。やまさんと来たときは新蔵が喫茶になっていて、真空管アンプの素晴ら
しい音楽を聴きながらいただいたのだが、昨年からここに移ったとのことだった。


 集落を抜けた西側のカーブ点にある、「山田かかしの里」↑と呼ぶ農産物直売所に寄る。
直売コーナーはそうスペースはないが、車の人が結構立ち寄っていた。



 南側に接する「いこいの広場」↑を抜けて、片岡集落を南進する。この辺りまでブドウ
畑や直売場があるが、こちらは早生種が多いのか、ぶどう園の営業を終えていた。



 JR両毛線が再び近づき、黄金田が広がりコスモスの咲く集落を西へ、白岩から鷲巣集
落に回ると、前方に土を採取して切れ込みの鋭い山並みが迫ってきた。


 このあたりも黄金田が残り、収穫中の田んぼもある(左手背後は筑波山)。


 その切れ込みの方向に向かって専用の土の車道に入る。ジグザグ坂を上がって行くと東
側の展望が開ける。


 さらに上がり、岩船山(172.7m)山頂の北側山上に広がる高勝寺の山門横に出た。


 岩船山高勝寺(いわふねさんこうしょうじ)は、宝亀2(771)の開山。関東の高野
山日本三地蔵の第一の霊場といわれているとか。

 岩船山は山全体が船の形をしていて、子どもの霊を供養するところで、本尊は子育て地
蔵として知られ、徳川四代将軍は岩船地蔵の申し子といわれているという。


 本堂は思ったほど大きくはなく、左手斜面の何体かの地蔵尊の回りに、たくさんの卒塔
婆(そとうば)が奉納されていた。


 境内には朱塗りの鐘楼、血の池と呼ぶ地蔵尊を祭った小さな池、享保9年(1724)
の造立という青銅の大仏、山門とともに県文化財に指定された三重塔などが目に付いた。


 南に下る長い長い石段の上部からは、南から西方へ岩舟町の中心部や、カタクリの群落
で知られるみかも山(三毳山)方面の展望が広がる。


 急石段の横には、ヒガンバナの群落が花を競っていた。


 南麓の岩舟駅に近い山の越集落に下ったら16時近い。まだ先はかなりあるので、夕暮
れが心配になってきた。

 JR両毛線の北側を西進し、北側山麓の神社に向かって田園地帯を進む。東方に、土を
採取して裸になった岩船山西面が望まれる。


 杉木立の中に祭られた八幡宮には入らず、鳥居の横から左側の林間を抜けて県道282
号に出た。県道は、信号のある交差点から西へ田園地帯を貫き、車の交通量はあるが広い
歩道がある。


 北側の緩やかな山並みや南側の独立峰、みかも山、黄金田や花の咲くソバ畑などを眺め
ながら先を急ぐ。送電線の下で県道は北に折れ、その先歩道は消えたが交通量は減った。


                   みかも山(三毳山)



 三杉川の東川橋を渡り古江集落に入ると、古江公民館を併設した読みにくい文字の神社
がある。


 背後の本殿には彩色の木彫が彫られていて、東側のそれはこの種の彫刻では見たことの
ないデザイン。奉納者の名を刻んだ石碑から、時平神社と分かる。


 夕日に照らされた岩船山や、山麓北側に大きなクリーンセンターらしい建物の広がるみ
かも山などを眺めながら進む。岩舟町古江集落を抜けて佐野市関川町へ。進むにつれ、ク
リーンセンターに接して幾つかの工場らしい建物が続いているのも分かる。


 東北自動車道の下を通過して県道237号に入ったところに、朱塗り色あせた薬師堂が
あり、「史跡 米山古墳」の石標も立っていた。

 お堂の横に『「真田父子犬伏(いぬぶし)の別れ」の地』の説明板があり、慶長5年
(1600)、関ヶ原決戦の前、徳川家康について会津の上杉家討伐に向かった真田昌幸
父子がこの地に着いたとき、石田三成から豊臣に味方するよう密書が届き、この薬師堂で
父子3人が話し合い、どちらが勝っても真田家が残るよう、分かれて戦うことを決断した
という。


 県道はこの先、西にまっすぐ延びている。日暮れが近いのと予定の電車に乗れるよう、
疲れた足どりを速める。暗くなって地図も見えなくなり、ミニライトで確認して武道館の
通りを進み、17時58分に佐野駅にゴールした。急ぎ階段を下り、1分後に発車の東武
佐野線の上り電車に乗る。

(天気 快晴後晴、距離 25㎞、地図(1/2.5万) 栃木、下野藤岡、佐野、歩行
 地 栃木市、岩舟町、佐野市、歩数 44,700、累積標高差 上り 約380m、
 下り 約400m)




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