あるきメデス

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赤城山南麓を2日間カントリーウオーク(群馬)第2日

2013-10-30 19:19:36 | カントリーウオーク
 2013年10月27日(日)

 == 群馬県畜産試験場から大胡駅まで下る ==

 
 台風27号が過ぎ去り、朝は雲ひとつ無い快晴である。8時20分に前橋さくらホテル
を出発し、中央前橋駅の先のコンビニ・セブンイレブンで昼食や飲み物などを仕入れる。

 駅前に戻り、9時5分発富士見温泉行き関越交通バスに乗り、9時30分に畜産試験場
入口バス停で下りた。赤城山腹のこの辺りの標高はおよそ360mである。

 上がって来た県道4号・赤城道路と、東西に走る国道353号線との交差する周辺が群
馬県畜産試験場。今日は「第24回酪農畜産フェスティバル」の2日目で、すでに多くの
人が車などで訪れている。私たちも、少しの時間だけ会場をのぞいてみることにした。


 露店の並ぶ間を進み、草の広場の周辺に幾つものテントの並ぶ会場に入ると、無料配布
のゆで卵や牛乳の試飲コーナーなどに長い列が出来ている。


 乳製品やはちみつ、卵などの直売もしていた。県内の牧場などから出店のテントもある。
9時50分に会場を出て、今日のウオーキングの開始である。

 国道を東へ、隣接する県家畜衛生研究所前を過ぎ、皆沢の散在する集落を抜ける。国道
が半円状にカーブする辺りにパンジー畑があり、色とりどりの花が咲き競う。


 カーブの終わる辺りからは南側の展望が開け、前橋市街からその向こうの山並みまでの
大展望が得られるが、やや霞んでいる。


 北側には、秋色に色づき始めた赤城山の西側山塊が望まれた。


 この辺りの国道は「メロディライン」と呼ばれ、時速40㎞前後で車が通過すると、唱
歌「チューリップ」のメロディが聞こえる。

 開拓地らしい金丸町付近にリンゴや野菜の直売所があり、台風で落下した傷リンゴを安
価で販売している。まだ歩き始めで重いのに、何人かが買い求めた。


 南側の広いエリアは嶺(みね)公園。広葉樹中心の山林は昭和58年度(1983)に
整備された前橋市の保健保安林で、その中に何か所か墓地が造られている。

 公園に入って園路を東南に回り、駐車場付近で小休止した。


 車道を挟んで東側の墓地の園路を回り、水道タンクの東側に出る。


 北に赤城山西部の山塊↑が、西方には榛名山↓が、昨日よりはっきりと望まれる。



 南北に走る細い林に沿って北上し、道の駅「さんぽ道」で休憩とする。店内では近隣の
農産物やその加工品、鉢花、花木などを販売していて、車で来た人で賑わう。


 道路の東側は「大胡(おおご)ぐりーんふらわー牧場」。国道際の広場中央に、旧大胡
町のシンボルとしてふるさと創生事業で建設した、高さ22mの風車塔にモーターで回る
オランダ風の風車があるが、運転は休止していた。


 風車の前で記念撮影をして、展望塔やホルスタイン牛の遊ぶ牧場の東側に付けられた遊
歩道を下る。


 階段を下るとウッディなバンガローもあり、下に棚田が見下ろせる。


 コナラの大木のそばからほぼ等高線沿いに右に回って少し上がり、道の駅横から下る車
道に出た。車道を横切り真っ直ぐに南下する車道は車も通らず、緩やかな起伏の牧草地な
ど、のどかな展望が広がり気持ちよい。


 宮窪集落の北端にある八柱神社で小休止した。



 寺沢川沿いの谷地田の辺りで県道101号に入り、東進して次の新井集落北部の交差点
で県道に分かれ、南南東に下る旧道へ。


 旧道の入り際、小さいお堂の前に、初めて見るものなど、江戸時代の10数基の石仏が
並ぶ。近くには、珍しい「豚魂碑」も立っていた。


 新井集落の中に、城壁のような大きな石垣に囲まれた建物が見えるが、建設関係の業種
のものだろうか…。


 その近くで、標高260m付近を流れる群馬用水の暗渠部を横切る。


 ちなみに群馬用水は、農業用水を主目的に昭和38年(1963)に着工し、昭和44
年に幹線水路が完成したとか。取水源は利根川西岸で、渋川市内で利根川サイホン水道橋
を経て前橋市から桐生市の早川貯水池までの約33㎞に及び、標高140~500mにあ
る耕地を潅漑し、一部は水道水としても利用しているという。


 さらに下って大胡総合運動公園に入る。野球場とサッカー場の間のベンチ付近に12時
48分に着き、昼食にする。


 ゆっくり食事をして、13時40分に出発する。野球場の南から東側の車道に出て南に
向かう。公園の南端より少し先で左折して東へ。


 色づく赤城山を眺めながら進んだが、地図上の道沿いにある池が現れない。どうやら少
し手前から東へ向かう新道が出来たようだ。

 南に下る車道に合してその道を緩やかに下る。次のY字路際に墓地があり、現在地を確
認できた。

 殿町集落にあった金蔵院に入り、山門付近で小休止する。本堂はコンクリート造り。


 山門近くに古い六地蔵が並び、傍らに梵字(ぼんじ)を書き並べた石灯ろうがある。境
内中央部には、モミジの古木が枝を伸ばしていた。


 ソメイヨシノの続く参道を出て次の十字路を右折する。すぐ先の標識に従い南に入って
長善寺へ。

 長善寺は、大胡城主大胡太郎藤原重俊が北方の白草に開山し、のちに現在地に寺域を移
し、その後、豊臣秀頼から真筆の豊国山の山号を賜ったという。

 松やツツジなど、よく整えられた植栽の多い境内、可愛らしいお地蔵さんが大小2組並
んでいる。


 北側の車道に戻る手前の畑に、パパイヤが3本、実を付けていた。


 交差点の東南は養林寺。南に回って境内に入り、本堂の扉を開けてご本尊に参拝してい
たらご住職が来られ、寺の沿革などを記した資料を人数分下さった。


 養林寺は、長善寺の開基でもある大胡太郎が草庵を建てて念仏修行道場としたのが始ま
り。のち2万石の大胡城主になった牧野康成が、草庵の旧跡を牧野家の菩提寺として養林
寺を創建したという。

 明治6年(1873)には「太田の吞龍様(どんりゆうさま)」で知られる太田市の大
光院から吞龍上人の分身を迎え、以後近郷近在からの信仰厚く、節分会(せつぶんえ)に
は参詣者で賑わうという。

 墓地の奥には、前橋市指定史跡になっている牧野家の墓地があり、牧野康成ほか妻、父
子など7基の墓石が並んでいた。


 境内の、ツタの絡まる高さ20mのクスノキは前橋市保存樹木。境内ではほかに、横に
長く枝を伸ばした老松↓も目に付いた。


 東に200mほどの車道北側にある大胡神社にも詣でる。

 急階段を上がった境内はうっそうとした木々に覆われ、拝殿前には前橋市天然記念物で
樹高25mのムクロジの巨樹が立っていた。


 東側の荒砥川沿いに走る県道16号に入り、東側からのトンネルを抜けて前橋市指定史
跡の大胡城跡に上がる。


 大胡城は、南北に走る丘陵上にある平山城で、南北670m、東西最大310mの規模、
枡形門、水の手門虎口、空堀、土塁などがよく残っているとのこと。

 天正18年(1590)、徳川家康が関東入部により牧野氏が大胡領2万石に封ぜられ、
康成、忠成二代の居城となったが、牧野氏が越後に転封後は前橋藩領となり、酒井氏の城
代が置かれたが、酒井氏が寛延2年(1749)姫路に転封し、廃城になったという。

 東側に回ると、北に赤城山東麓が、東に荒砥川沿いを見下ろし、南に大胡の町並みが一
望できる。


 北東端には、「慰霊の塔」や第二次大戦後のカスリン台風の大災害のことを記した記念
碑などがある。


 城跡を出て駅に向かう。細い旧道を回って県道16号に入り、シャッターの下りた店舗
の多い中心街を進み、15時50分に上毛電鉄の大胡駅に着いた。


 駅北側の小公園にも、道の駅と同型の小さい風車が置かれていた。


 16時5分発下り電車で赤城駅まで行き、東武桐生線経由で帰途につく。

(天気 晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 渋川、鼻毛石、大胡、歩行地 前橋市、
 累積標高差 上り約130m、下り約340m、歩数 24,900)




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