あるきメデス

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本庄市児玉町をカントリーウオーク(埼玉)

2013-06-11 21:55:29 | カントリーウオーク
 2013年6月9日(日)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの第204回例会を開催した。集合
はJR八高線(はちこうせん)の児玉駅。4組に分かれて10時30分に出発した。

 == 桜並木の小山川沿いから小平の里へ ==

 駅前から県道75号を南進して児玉小の横を通過する。斜めに横断する通りを南に入る
と、鎌倉街道上道(かみつみち)の説明板が立っていた。


 すぐ先、左手は龍體稲荷神社。社殿の左に接して背の高い本町の山車蔵(だしぐら)が
出来ている。社殿右手には大きな庚申塔があった。


 隣接する法養寺の山門はコンクリート造りで上は鐘楼。



 本堂前に芝生が広がり、両側の木々ともども緑が気持ちよい。山門の外、南側には六角
屋根の不空羂索(ふくうけんさく)観音堂があり、その下に、「父母の しきりに恋し 
雉子の声」と刻んだ芭蕉句碑がある。

 国道254号を横断して御沢地区に入り、区画整理された通りを南下して千本桜公園の
横から小山川(こやまがわ)左岸に出た。


 桜並木の続く左岸沿いを上流に向かうと、近くに在住らしい男性が、2本の桜の木にし
ばったハンモックで気持ちよさそうに休んでいた。聞くと、近くのホームセンターで求め
たものという。手軽で安価な消夏法と感心した。


 県道287号の秋平橋際に出て、橋を渡って南側の風洞集落へ。このところの小雨で小
山川の流れはわずか。近くの普賢寺は無住で、ひっそりとしている。


 気温が上がり蒸し暑いが、日陰の少ない県道を進む。古くからの街道なのか、道沿いに
二か所、大きな庚申塔などが集められていた。


 二つ目の庚申塔の並ぶところで県道に分かれて南へ、天神社の森に裏手から入る。


 本殿には極彩色の木彫が施されている。豊富な木々に囲まれた境内で小休止した。


 境内を南に抜けて西南すぐ先に、室町時代のものと推定されるという、石幢(せきどう)
が立っていた。

 そばの標柱に「石幢には胎蔵界(たいぞうかい)四仏の種子と縦連子(たてれんじ)を
刻み、六地蔵を浮き彫りにした…」と記されていたが、彫りが落ちたのか、はっきりとは
認識できなかった。

 近くの民家の庭先の実はスモモだろうか、色づいていた。


 小平集落に入ると、切妻屋根に高窓をのせた、明治期に建てられた養蚕住宅が幾つか見
える。児玉地方の原風景として平成20年度「彩の国景観賞」を受賞している。



 朱塗りの仁王門を入り、畑の間を進んで成身院(じようしんいん)へ。寺院では珍しい
土壁の質素な建物で、現在は無住。

 しかし、第4代関東管領足利持氏(あしかがもちうじ)が応永6(1399)年に中興
開基したといわれ、上州、武州にわたり末寺122か寺を総管する御朱印寺だったという。

 寺の周辺にも高窓の家が幾つか望まれる。近くにある昼食地、観光農業センター前の東
屋(あずまや)付近に12時19分に着いた。東家と緑陰の芝生地に分かれて昼食とする。

 

 == 成身院百体観音堂を拝観する ==

 昼食後、希望者のみ成身院の百体観音堂を拝観することにする。観光農業センターのN
さんの案内で背後の百体観音堂前に上がり、観音堂の歴史などの説明を聞く。


 観音堂は、天明3(1783)年の浅間山大噴火の火砕流やなだれなどで利根川に流さ
れてきた犠牲者の供養のために建立されたが、明治21(1888)年に火災で焼失、明
治43(1910)年に地元の義援金や労力奉仕で再建したとのこと。

 建物の外観は二階建てだが内部は三層で、秩父三十四観音、坂東三十三観音、西国三十
三観音の本尊などが並び、一巡する通路は上りと下りが異なる「さざえ堂」形式の造りに
なっているという。


 観音堂の鍵を開けていただき、内部に入って各層のご本尊や室町時代造立の三仏などに
参拝する。最上階の天井には極彩色の天井画が残っていた。


 観音堂正面に下がる鰐口(わにぐち)は、寛政7(1795)年の鋳造で直径180㎝、
重さ約750㎏あり、国内最大級とのこと。その前部社殿には精巧な木彫が施されている。


 お堂の前の唐銅造(とうどうづくり)大日如来座像は、地元金屋(かなや)の鋳物師
(いもじ)が造った数少ない文化遺産のひとつという。



 ゆっくり拝観後に観光農業センター↑の売店にも寄り、昼食地に戻ってミーティングを
済ませ、14時12分に出発する。

 == 小山川の桜並木を経て町内の社寺へ ==

 西側の黒石集落に向かうと、路傍の桑の実が色づいていた。用意してきたパックに収穫
する人もいる。

 県道287号に出て、北側台地上の日本(にほん)神社に希望者だけ往復してもらう。
待つ人はそばのA商店に入ってアイスを求め、暑くなり乾いたのどを潤す。


 県道を北へ少し、巳待塔(みまちとう)の並ぶ三差路で県道に分かれて小集落を抜け、
小山川右岸へ。すぐ先から下流は桜並木が続いている。


 桜並木の下を次の千本桜橋まで進んで左岸へ。堤内ではオオヨシキリが賑やか。1㎞ほ
ど進んで長沖集落の飯玉神社で小休止し、遙拝所周辺で記念撮影をする。


 第一金屋の交差点から御沢集落の西部を進み、スーパーヤオコーの駐車場を抜け、児玉
水道の旧配水塔のそばに回る。

 昭和6(1928)年に竣工した県内3番目の近代水道施設の配水塔。高さ17.7m
あり、旧児玉町内5千人に給水されたが役割を終え、現在は国登録文化財となっている。

 東進して国道254号に入り、広い境内の八幡神社の池の周辺で最後の休憩をする。


 いまの社殿は享保7(1722)年の完成で、地方では珍しい青銅製鳥居とともに県の
有形文化財である。


 境内にはほかに、朱塗りの随身門↑、近くから移設された江戸時代の高札場、講の人達
が築いた石積みの山などがあった。

 神社を東に抜けて、北側にある玉連寺に入る。この寺には、日蓮聖人が佐渡流罪の途中
と赦免を得て鎌倉への帰途に泊まったという。背の高い独特の鐘楼が目に付く。



 仲町に戻り、県文化財になっている競進社模範蚕室↑の近くを通過して、児玉駅に16
時26分にゴールした。

(参加 17人、天気 晴一時曇、距離 10㎞、地図(1/2/5万) 本庄、寄居、
 鬼石、藤岡、歩行地 本庄市、歩数 18,400)



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