あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

アートウオークセラピー 三崎市三浦周辺を巡る(神奈川)

2013-06-25 18:16:19 | ウオーキング
 2013年6月23日(日)

 山浦敬子さんが2004年から毎年4回続けている、「アートウオークセラピー」の、
今年3回目に参加した。

 集合は京浜急行久里浜線の終点、三崎口駅に10時。駅前からバスに乗り、三浦半島
の南西端、城ヶ島を望む通り矢バス停(終点)まで行き、10時25分に出発する。


 バス停の通りを海岸際に向かうと、斜めに露出した露岩が望まれる。少しの住宅の間
を東に回り、宮川湾の西端に出た。



 東に延びる宮川湾は干潮で、露出した岩礁がずっと続いている。その岩礁を東に進む
ことにした。水際に海藻が流れ着き、それを採ったり海中のものを捕る人がいる。


 沖合に観光船のような船が来て、スピーカーで説明している。

 帰りに観光案内所でもらったリーフレットによれば、宮川湾の海中散歩のための水中
観光船で、この辺りは海中展望の場所らしい。


 ごつごつした岩礁を進むと、壊れた橋があり、骨組みとわずかの板だけ残っている。
落ちないようにバランスをとり、慎重に渡った。



 水中眼鏡を付けて海に入るのはアワビ捕りの人だろうか。さらに進むと岩壁に、海水
の侵食によるらしい大きな洞穴が二つあった。


 宮川湾の東側台地に数基のアンテナ塔が現れた。漁船との通信を行う三浦漁業無線局
の八浦原受信所のものらしい。北側には2基の風力発電用風車が回っている。


 岩礁の下に草地が現れ、そこでバーベキューを始めた若者のグループもある。湾の東
端にある小さい漁港のところで宮川湾を離れた。


 そばに「関東ふれあいの道」の「三浦・岩礁のみち」の新しい標柱が立ち、県道215
号に上がった宮川町バス停横には、このコースの説明板が立っていた。

 宮川町内を西に延びる道路に入り、すぐの児童館の横から南西への農道へ。周辺はス
イカ畑が多く、大きな実を付けた畑もある。



 広々とした台地を南西から折り返して北東に進み、宮川町西部の住宅地に戻って円覚
寺に入る。境内は狭く、南から西側は墓地になっていた。



 家並みを抜けて、東に緩やかな丘陵を眺められる台地北端を少し下がって神明社へ。



 クスノキの古木数本のほか、カシを主にイチョウやモミジなど豊富な鎮守の森が残っ
ている。ウグイスの鳴き後を聞きながら昼食をした。


 拝殿前で記念撮影をして鳥居の横から林間を下り、岬陽町(こうようちよう)の東北
端に出た。神社の北面台地下に、宮川水利組合の取水場があり、農業用水に使うのか4
本のパイプから取水できるようになっている。

 西に回って急階段を上がり、北西側の住宅地に出た。お孫さんと話をしていた私と同
学年の男性がおられた。座骨神経痛で現在は少ししか歩けぬが、若い頃は信州の車山や
霧ヶ峰などをハイキングしたこと、M社に長年勤務して自動車の納車で全国を回ってい
たことなどを話してくれた。

 岬陽小の東を通過して東側の谷間の住宅地に下り、小さい流れを渡って南面の台地に
上がる。マンションの横から南西に下って先ほどの流れの下流を渡り、急峻な台地下の
細い通りを進む。

 少しばかりの空き地に太陽光パネルがたくさん並び、S社の三崎第一発電所と記され
ていた。展示場を兼ねた発電施設らしい。近くの民家には、木彫の奇怪な立像が立って
いた。


 城ヶ島大橋に通じる高架橋下を通過して台地下の諏訪町を抜け、北条交差点で県道
215号に合する。川のように北条潟が延び、両岸にたくさんの漁船が見える。


 県道の商店街を少し進み、日の出交差点から県道の北を走る三崎二丁目の旧道へ。
神奈川の名産100選に選定の染物店があり、魚にちなむ大漁旗などの染め物が展示さ
れていた。


 あい対する地魚とマグロ料理の店の前に待つ人が並び、店のショウウィンドウには、
松坂大輔選手などで全国優勝したときの、横浜高校の記念絵皿が飾ってあった。


 その先にも幾つかマグロ料理の店があった。近くの「みうら映画舎」の店内には、三
浦で撮影した作品の出演者のサインやロケに使用したセットなどが多数展示されていた。


 この通りには古い蔵造りの建物が幾つか残り、昭和期の姿を残す木造の住宅もある。


 三崎二丁目に入り海南寺への通りへ。


 変則十字路際には蔵造りの古い酒屋↑が、寺への通りにも蔵造りの建物や、昭和レト
ロ酒場と呼ぶ食堂など、古い建物が目に付く。




 通りの突き当たりに、こんもりとした広葉樹を背にした海南神社がある。

 貞観6年(864)、九州博多から当地に着き、付近の海賊を平定したり里人を教化
したりした藤原鎌足の後裔(こうえい)、藤原資盈(すけみつ)を祭り、天元5(982)
年にここに社殿を造営し、三浦一族の総鎮守としてあがめられたという。

 三浦七福神の弁財天を祭り、7月13、14日には盛大な夏まつりが開催されるよう
で、町内のあちこちにポスターが貼られていた。

 朱塗りの拝殿には10数本の鈴が下がり、神楽殿の屋根下には神話の絵が何枚も奉納
されていた。


 境内には源頼朝手植えと伝えられる樹齢約800年の大イチョウが2本、枝を細かに
広げて立ち、長い気根が幾つも下がる。


 参道を途中まで戻り西へ、県道26号を横断して石段を上がり、台地上の最福寺へ。
本堂の右手、庫裡(くり)前の松の植栽は見栄えがある。


 境内東側から北への道路に抜けると、東側台地下の住宅地を隔てて海南神社の大きな
森や、城ヶ島大橋が一望できる。


 白石町に下って見桃寺に行く。建物は近代的な四角いコンクリート造りで趣に欠ける
が、建久時代(1190~)に将軍、源頼朝が風光の優れた三浦に設けた三つの御所の
一つで「桃の御所」と呼ばれ、将軍はしばし来遊したという。


 境内には北原白秋の歌碑↑がある。白秋は大正2(1913)年10月、この寺の一
室を借りて妻と二人のわび住まいを始め、歌碑に歌われた上田秋成の雨月物語を読みふ
けったという。

 西側の相模湾岸に出て、白石町に向かう側道際から湾岸の台地に上がる。

 一帯は歌舞島公園で遊歩道が南西に延び、南側の三崎港を見下ろすところに、「よい
子が住んでるよい町は…」ではじまる童謡、「歌の町」の楽譜付きの歌碑がある。

 作曲した小村三千三(こむらみちぞう)はこの地の出身という。

 そばに、海上の安全を祈願する漁業関係者が建立した魚籃観音が祭られている。南に
下る途中に、ネムの花が咲いていた。


 公園下には、白秋文学コース「歌舞島」と、三浦一族の歴史コース「歌舞島」の説明
板が立っていた。

 三崎五丁目に入り、海寄りの車道の途中から北側を並行する細道に回り、住宅やマグ
ロ料理店などの間を進み、三崎港バス停のある広場に出る。そばに鮮魚店があり、マグ
ロの頭やイカや魚の天日干しが並んでいる。



 そばの、三崎港を望む広場の中心にある、ゴールの三崎港バス停に14時50分に着
いた。気温が上がり蒸し暑い。

 15時9分発のバスで三崎口駅に向かう。三崎口発15時37分の特急電車で帰路に
ついた。

 今日歩いたのは、2万5千分の1地形図を5倍に拡大した東西2㎞余り、南北1㎞余
りという狭いエリアだが、波打ち際の岩礁、台地上の畑作地帯、住宅地、レトロな建物
が残り新鮮なマグロ料理店の多い商店街、その間に祭られた古い寺社などで、海面から
標高30m前後までのアップダウンも結構あり、地形図とあらかじめ入手した観光地図
をもとにその場でコース取りをする、「やまさん」こと山浦正昭さんでなければ考えら
れそうにない、大変変化に富んだコースだった。

(参加 5人、天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 三浦三崎、歩行地 三浦
 市、歩数 14,800)




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